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ちょっとスペイン横断してくるわ。徒歩で(1)

「あのさぁ、明日からちょっとスペインにいってくるわ。横断してくるわ、徒歩で。」

  そんな言葉をいきなり聞いたら大抵の人は、まず『は?』と聞き返すのではないだろうか。アンタ、何言ってんだ?的なニュアンス込みで。ちなみに、私はそうしたが、込められたニュアンスには、アンタ、何いってんだ?阿呆か?学生で無職で、1か月前に母親を亡くしたばかりで、そもそも徒歩で横断って何?意味わかんないし、なんでスペインよ(叫)とまぁ様々なものがあった。パートナーであるアルゴのこういった気まぐれと思いつきはいつものことだったけれど、今回はレベルが違う。そもそも「ちょっくら明日、スペイン行ってくるわ」なんて相当なお金持ちが映画やドラマで言うセリフであり、たかが地方のイチ公務員である私と貧乏大学生であるアルゴのセリフではない。

「いや~さぁ、スペインにね、巡礼路あってさ。そこ、歩くやつよ。ほら一昨日、映画みたじゃん?あれよ、あれ。すげぇなぁって思ってたら、聞いて!これは奇跡。運命よ!今日、大学で、先月そこを歩いたって人と出会って話を聞いたのよ。だからもうこれは行くしかないかな…って」

  El Camino de Santiago、カミノデサンテアゴ。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路はキリスト教の聖地であるスペイン、ガルシア州への巡礼路である。日本のお遍路巡りと似ている。映画は自分探しの旅に出ていってしまった息子のいる父親の話。息子と父親は関係不全で、ある日、父親は、消息不明だった息子がスペインの巡礼路で亡くなったことを知る。父親が亡き息子を思い、息子が果たせなかった巡礼路を歩き、知りえなかった息子のことを考え、そして終着点で遺灰を散骨する、という映画だった。良い映画だったし、泣いた。だがしかし、その二日後に「明日いってくるわ」ってそれは何事よ。何が「行くしかない」だ。まったくもって意味不明である。そもそもアンタ、洗礼受けたくせにキリスト教信じてないし、都会生まれの都会育ちで200キロ歩くような基礎体力もないじゃん。ほぼほぼ山登り、舗装されてもいない山道や林なんかを延々と歩くこの巡礼路。人によってはハイキングや山登りで練習を積んで、数年がかりで計画を立てていくものなのだ。体力的な意味でも、金銭を含んだ旅行の計画的な意味でも。思いつきで何とかなるものではないし、装備もない。そもそも金はどこにある。大学はどうすんだ。そのようなことを一気に捲し立てた私だったが、アルゴは、行くと決めたら行く、やるときめたらやる、計画?は?くそくらえ、というような人間。さらにそこに、運命とか奇跡とか言い出している始末。どう言ったところで行くんだろうよ……9割方「行くな」という説得を私は、この会話が始まって15分、その時点であきらめていた。釈迦に説法というやつだ。なぜ至極当たり前のことを言っている私が、己を愚かしいと感じなければならないのは理不尽であるが、話していると、あれ?私がおかしいのか?阿呆なのか?とすら思えてくる始末。

  話を聞けば、空港で働いている友人がおり、会社の優遇システムでスペイン行きのチケットが無料で手に入れるらしい。そして、話した時点ですでに予約済。『ゴミ出しといて』『お皿洗っておいて』等、アルゴは動かない。とにかく、動かない。何かにつけておしりの重い、基本的にとても怠惰な男だというのに、こういう時の行動と喧嘩をするときの動きだけは異様に速い。チケット代を除く旅費、つまりホテル代や食事など(なんせ徒歩移動なので交通費はいらない)は自分のなけなしの貯金を全部使うという。ホテルといったってホステルや野宿になるから、大した金額にはならない、と、そこまで言ったあたりで、アルゴは真顔になり、「あ……装備ねぇわ」と神妙につぶやいた。いや、それはとても基本的な、初めの一歩的な事実なのでは?あきれる私だったが、アルゴの勢いは止まらない。

「ちょっくら、さっき会った人、ほら、先月、巡礼路歩いた人の家にいってくるわ!」
  私の言葉を聞くこともなく、アルゴはそのまま、家を出て行く準備を始めた。というか、その人だって、さっきたまたま会って話しただけの人でしょう?!何でもう家とか知ってるわけ?というか、そのグイグイいく対人関係、相手はどうなのよ!まだ行くことに賛成も同意もしてないんだからね!驚き、怒り、焦燥。とにかく色々な感情の交じった声音で私はほぼ叫ぶようにアルゴの背中に言葉を投げつけた。Fワード交じりの大きな声で。そんな私に彼は背中を向けたまま答えた。

"If I don't go now if keep staying here, I will kill my brother. If you don't want me to be a murderer or stay out of the jail, you have to make me go.  You HAVE to "

 それはとても強い言葉だった。「もし今、行かなかったら、このままここにいたら俺はきっと弟を殺すよ?もしもアンタが俺のこと、殺人者にしたくなければ、刑務所に送りたくなければ、アンタは俺を行かせるしかないんだよ。必ず。」彼はそう言って振り向きもせずに家を出て行った。残された私は、アパートメントの狭いリビング、コーヒーテーブルの上に置いてあった義母の骨壺をぼんやりと眺めていた。

(その2に続く)


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