見出し画像

今こそ禁断の扉に手をかける

こんばんは!Kanaです。

実は最近ボーカルレッスンを受け始めました。
でも、普通のボイトレみたいなスクールに通って、先生に発声指導してもらって発表会をしてって感じじゃなくて

オンラインで、自分の選曲したものを歌って、自分が心地よく歌えるようになるというもの。
テクニックよりも、内省もできるようなマインドにこだわった不思議な時間を過ごしながら、気づいたら歌が上手くなってるって感じ。


レッスンを始めてから気づいたことや、それ以外でも過去の禁断の扉に手をかけ始めている自分を今日は書き残しておこうと思います。

うたごころ

歌の先生はクライさくらさん。

元々はわたしの運営していたコミュニティーに入ってくださったお客様として知り合ったんだけど、

1年の時を経て今度はわたしがお客さん側に。

さくらさんは「うたごころ」を大事にしている。

「うたごころ」とは、

この想いに共感して、この先生のレッスンなら受けたいって思えました。


先ほど紹介した先生のnoteにも過去の影響は大きいとあるけど

わたしにとって「歌」は黒歴史なんです。

高校時代に軽音部で組んだバンドでボーカルをすることになって。

わたしは同じ中学出身の友達もいなかったし、誰と組むか決まってなかったからとりあえずメンバー決めの部会に出てみたら
元々同じ中学出身のギター、ドラム、ベースの女の子が、ボーカルだけいないから探してるって声をかけてきて

特に何も考えずに決めてしまった。

後から気づいたんだけど、みんなは完全にクラスの中心人物になるような陽キャなグループで、
わたしは高校デビューしたてで陽キャを演じてるだけの陰キャだったから、バンドの中に紛れ込んじゃった「異物」

本当なんであのバンドを組んだのかわからないんだけど、
当時は歌が好きで、ただ歌が上手くなりたいって気持ちと、陽キャの中にいれば自分が変われるんじゃないかって期待もあったんだと思う。

さらに空いた時間で、歌がもっと練習できるかもって合唱部にも入りました。


現実は

でも現実はそんなうまくいかなくて。

まず、合唱部で「音が取れてない」「周りにつられてる」って指摘をずっと受けて、少ない部員なのにわたしはパートを1人で持てないからって、もう1人入れてくれたりして。

「誰かがいればそれなりに歌える人」、そんなレベルにしかならなかった。

軽音の方で組んだバンドも、最初こそ良かったけど、ライブを重ねるうちに「異物感」が増した。

途中でもう1人男のボーカルが入ってツインボーカルにしようとなったけど、その後のLIVEで失敗したわたしは

ただの邪魔な「下手で盛り上げられない奴」になった。

大人になってからもカラオケに行けば歌えるし、うまいと言ってくれる人もいたけど、
わたしにとって歌は人前では披露出来ないもの、「封印しておかなければいけないもの」だった。


レッスンを受けてみて

数回レッスンを受ける中で、

自分のトラウマになってることがどんどん出てきて、「あーやっぱりダメ」そう思うこともあったけど

先生が「大丈夫です」「それでいいんです」「ジャッジしてない今の歌い方が一番上手だった」という言葉は不思議と素直に受け取ることができた。

普通のボイトレなら怒られてたかな?
もっとテクニカルなことを教えられてその練習をしたのかな?

この先生は怒らない。

そもそも歌のことを教わるというより、
・どういう気持ちでこの歌と向き合ってるのか
・どういうふうに歌いたいのか?
・どうすれば解放されるのか?

そうした精神論の話メイン。

不思議なセッション。

もちろん、歌は歌う。
フィードバックを受けて、いくつか問いを立てられる。
「じゃあ〜を意識して歌ってみて」
そうしてまた歌を歌う。

意識するのは体を使った表現の方法だったり、手を使った表現を加えてみることだったり、ただスピードを落としてラララと歌うことだったり
特別なことはない。


でも。
たったそれだけなのに、多くのことに気づけるし、勝手に上達してる(らしい)

らしい、と表現するのは
自分では歌い終わった後「気持ちよかった」の思いしか残らないので、それが「上手くなったのか、そうでないのか」にそもそも関心が向かない。

だけど先生が「今日一番よかった」と言ってくれるから、そうなんだろう。

この本当に「ジャッジしなくなる感覚」がすごい。

これがうたごころで歌う・・・


「自分が一番気持ちよく歌えてる状態が、一番うまい」と先生は言う。
でもその状況に、何よりのトラウマを感じていたわたしにとっては、「そんなはずがない」の心の声を消すのは難しいけど

「でも・・先生の言うとおりなのかもしれない」
「こんなふうに何も考えずに、ただ『この歌いいな』って思いながら人前で歌えたのはいつぶりだろうか」

そんなことを思った。


禁断の扉に手をかけてもいいのかもしれない


そうして「歌うことが大好き」だった自分を少しずつ取り戻している。
まだまだジャッジしたり不安になったりトラウマが疼いたりすることはあるけど、

今なら向き合える。

別に歌うことなんてしなくても生きていけるから、もう開けないでおけばいいと思っていた領域だった。

でも、ふとした瞬間にチクリと刺されるような痛みはあって・・・
解消できるなら解消したほうがいい、とは思っていた。


実は最近もう一つ、手を掛けかけている禁断の扉があってその話はまた今度したいのだけど
やっぱり過去の清算はまだまだあるみたい。


ジャーナリングアドバイザーになって、「生き方」「考え方」の領域では悩むこともなくなってきたけど
それは過去の全てを清算したわけじゃない。

そのことに対する「扱い方」を知っただけで、何かの拍子にチクリと痛むものには変わりない。


だからジャーナリングを使いこなして、生き方のコントロールできるようになったり、過去の傷に対する扱い方を知れた今、少しずつ過去に閉じ込めてきた思いを少しずつ見直して行こうと思う。


来年は、そうしたことに時間をかけて
もっと自分を大事に、自分に優しくなれたらいいな。

1人でできないことは誰かの手を借りて、できないことは上手に諦めつつ、自分に優しい世界をもっと作っていきたい。

異端児なわたしが「わたしのまま」で生きられる環境を作ってあげたい。


最後まで読んでいただきありがとうございます!
今日の話があなたにとっても何か考えるきっかけになれば嬉しいです❤️
スキとフォローが励みになります♪

▼Kanaのホームページ

▼Kanaと話してみたい!と思ってくださったらLINEから

▼一番Kanaのことを知ることができるのはここ!


サポート嬉しいです!いただいたお気持ちは文鳥カフェ開業のために有効活用させていただきます✨