誰かの都合

世の中は誰かの都合によって形成されている。
人は何よりも、自分の都合を優先して動く生き物だから。

世の中に理不尽を感じた時、それは誰の都合によって作られたものなのか、生み出されたものなのか?
考えてみることは大事だと思う。
それは巡り巡って自分自身になることもあれば、もしかしたら隣人の都合であるかもしれない。
誰かにとって都合の悪いことは、私にとって都合の良いことであったりする。

幸せ・不幸せという観点でも同じことが言えるかもしれない。
全ての人が平等に幸せになるなんてことは、全ての人を平等に不幸せにするということに等しい。

私の幸せで不幸せになる人間が、世の中には少なからず居るのだろう。
それは隣人かもしれないし、インターネットを通じて出会った遠い遠い人間かもしれない。

それでも私は自分の幸せを求め、その最中に不幸せで不都合な出来事が起きたとしても乗り越え受け入れていくと思う。

そして薄っぺらな博愛主義を掲げては、せめて自分に“都合の良い”人間だけでもたくさんの幸せを享受して欲しいと切に願う。


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