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本を開く意味|『アウシュビッツの図書係』


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『アウシュビッツの図書係』アントニオ・G・イトゥルベ 著・小原 京子 訳

1944年、アウシュヴィッツ強制収容所内には、国際監視団の視察をごまかすためにつくられた学校が存在した。そこには8冊だけの秘密の“図書館"がある。
図書係に任命されたのは、14歳のチェコ人の少女ディタ。その仕事は、本の所持を禁じられているなか、ナチスに見つからないよう日々隠し持つという危険なものだが、ディタは嬉しかった。
彼女にとって、本は「バケーションに出かけるもの」だから。ナチスの脅威、飢え、絶望にさらされながらも、ディタは屈しない。
本を愛する少女の生きる強さ、彼女をめぐるユダヤ人の人々の生き様を、モデルとなった実在の人物へのインタビューと取材から描いた、事実に基づく物語。

久しぶりに風邪をひき、子どもと別の部屋で眠ることになったので、思いがけず本を読む時間ができた。(映画も観られた)

5月に読もうと思っていた本だったが、どんどん先延ばしになり、結局読み始めることができたのは7月に入ってこの風邪をひいたタイミングだ。
私はこの本を2晩かけて読むことになる。

2日目の晩は恐ろしいほど静かな夜だった。
いつもはジージーと聞こえる家電の音も、外の風や車の音もなにも聞こえない。まるで世の中の音が本を読む私に遠慮しているかのようだった。
あまりにも静かなので、私にはゲットーの中の人々の息づかいやささやき声、体を掻きむしる音までもが聞こえていた。

少し前までの私なら、この本を主人公の図書係ディタの気持ちで読んだだろう。
でも今の私は、子どもと一緒にゲットーに送られる母親、無慈悲な選別で子どもと離れ離れにされる母親で。子どもの希望と尊厳を守るため奮闘する教師たちだった。

私ならどうやって子どもの希望の炎を消さぬよう立ち回るだろう?
そもそも、この環境下で私は人間でいられるだろうか?

なぜ人は本を読むのか、人はなぜ絶望の中に希望見出せるのかを考えさせられた。

本は私たちに「問い」を与える。
考えることこそが人を「自由」にする。
「思考」は誰にも奪うことはできない。

恐ろしいほど静かな夜の中で私はSSの足音を聞く。
病気に苦しむ人たちの声を聴く。

じめじめと暑い夏なのに、身体が凍り付くような寒気のする読了感だった。

― 2020年7月7日 読了

《処方》

💊 希望を失いそうになったとき

💊 正しい決断をしたいとき

💊 大切なものを思い出すため

《印象的な言葉》

文学は、真夜中、荒野の真っただ中で擦るマッチと同じだ。マッチ一本ではとうてい明るくならないが、一本のマッチは、周りにどれだけの闇があるかを私たちに気づかせてくれる。

ウィリアム・フォークナー (ハビエル・マリアスによる引用)
本はとても危険だ。ものを考えることを促すからだ。
狭い場所に動物のように詰め込まれ、烙印を押されると、人は自分が人間であることを忘れてしまう。が、笑ったり、泣いたりすると、自分たちはまだ人間であると思い出す。

《蛇足》

月並みだが、やはり思い返すのは『ライフ・イズ・ビューティフル』だ。

作品を観てどう思うかは人それぞれだし、その「どう捉えるか」の中でのみ、人は本当の意味で自由だと思う。

でもどうしても「どんなことでもユーモアがあれば乗りこえられる」というのは違うと思うのだ。
ユーモアがなかった人たちが乗り越えられなかった物語ではない。ユーモアがあっても乗り越えられなかった人がたくさんいる。

「こうしたらこうだ」という教訓めいた答えがないことが、この作品の素晴らしさだったと思う。

そしてこの作品もまた、当時と違った気持ちで観ることになるのだろう。


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