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朝比奈なを『ルポ教育困難校』


この本は 学力が低い生徒が集まる高校、 公立高校 県立高校 底辺校 学力困難校 教育困難校 に関する本です。
キーワード 不登校 発達障害 外国籍の子ども 貧困

【この本を選んだ理由】

著者がこの本の中で述べているように、有名私立校や(東京で言えば)日比谷高校等のトップ公立進学校の事例はウェブサイトや書籍・雑誌で数多く紹介されています。しかし、本書の対象となる「いわゆる偏差値の低い公立高校」については、ほとんどメディアで紹介されることがありません。

学力が低い生徒が多く進学する同様の学校としては、商業高校・工業高校などの専門高校がありますが、これらの専門高校と普通科の教育困難校は、似て非なるものです(それも本書で解説されています)。専門高校については、最近では日経新聞が専門高校の活動の様子の連載をしたり、ドキュメンタリータッチのジュニア向け書籍が紹介されていたりと少しずつ注目されつつあります。

教育困難校が注目を浴びるのは、よほどの改革事例など、機会が限られます。そして、メディアで知る際のその学校の姿は「教育困難校が抱える諸問題を脱しつつある」状態であり、ごく一般的な教育困難校の日常を知ったり情報を得たりすることは学校関係者(教職員・在校生周辺)以外ほとんど機会がありません。

そうした点で、本書は非常にまれな本といえます。目にするのはまれであっても、毎年一定数の生徒が実際にこれらの学校に通っているという事実があります。

この本は、「偏差値帯で輪切りにされた際の、低偏差値帯の学校状況をレポートしたもの」を超えています。教育困難校に通う生徒とその背景を知ることは、現在の社会の様々な背景を知ることでもあることが、本書を通じて分かったので、今回ご紹介することにしました。

【著者紹介】

朝比奈なを
東京都出身。筑波大学大学院教育研究科修了。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。

【本書をひもとく 内容紹介】

Amazonに掲載されている出版社の内容紹介から、私の視点を →以下太字で記載します。


「教育困難校」の実態に迫る、渾身のルポルタージュ

序列の下位に位置する高校は、生徒の貧困や家庭問題などの原因により、教育活動が困難になっている。
しかし、学校や生徒たちに対して、侮蔑したり興味本位で語ったりすることはあっても、社会的な関心はこれまで向けられてこなかった。

本書は、元教師でもある著者自身の体験をまじえ、その実態を緻密に描写。
根底にある問題をあぶりだし、重層性を持つ「教育困難校」の問題を多角的・多面的に考察する。


<目次>
はじめに
→高校教員のキャリアを「底辺校(=教育困難校)」でスタートさせた著者が、そこで出会った生徒との忘れられないエピソード、教育困難校に関する本を執筆する理由、執筆にあたってどのような人に調査を行ったか等について説明されています。

【第1章】 「教育困難校」とはどのような高校か
1. 高校入試は、多くの人にとって人生最初の試練である
高校入試の高い選別性/「底辺校」という蔑称に傷つく生徒たち/偏差値の序列に含まれていないこと/1990年代以降、「教育困難校」は変質している

2. 「教育困難校」とは何か
「教育困難校」の学力レベル/「教育困難校」に通う生徒はどれくらいいるのか/「教育困難校」は教育行政と地域衰退が産んだ産物でもある

→本書で扱う「教育困難校」の定義、全体の高校生における割合、この種の学校の出自について短くまとめられた章です。

【第2章】 「教育困難校」に通う生徒たち
1. 「教育困難校」の日常
ある卒業生の証言/中退しなかったことを後悔する高校生活/高校卒業後も満たされない日々は続く/自分と同じような高校生を作りたくない

2. 「教育困難校」の典型的な授業風景
授業開始チャイムが鳴っても教室はカオス状態/授業の工夫は教員自身の身を守るためでもある

3. 生徒の学力や意欲はどのようなものか
学校が用意しなければならない辞書/苦手な教科トップは英語/日本語の会話はできるが、読めない、書けない/理系教科・科目での工夫/文系科目での工夫/場所が変わる実技教科の難しさ/スモールステップで達成感を味わえるようにするのが指導のコツ

4. 定期試験にも独特の慣習が存在する
試験勉強はしたことがない/赤点を避けるために行う秘策/考えることを経験していない生徒はこれからの社会に通用するのか

5. 「教育困難校」の生徒たちの類型を考える
異なるタイプの生徒の混在が混乱を招く/タイプごとに有効な指導法はあるか?

6. 「教育困難校」の生徒たちの家庭環境
際立つ家族関係と経済力の不安定さ/親に手を掛けてもらっていない/親の愛情を確信できないからこそ、親孝行になる/どこにも、誰にもつながらない家庭

→本書の中心的な章です。卒業生の証言が導入にあり、その後教育困難校の日常の学校生活と、入学者の類型が書かれています。
授業が始まっても廊下では教員の見回りが必要であり、学習を始める環境を整えるまでに10分〜20分を要し、常に緊張感が絶えない。その後授業を始めても小学校・中学校段階での躓きを引きずっている者が多い上、授業を積極的に妨害する生徒もおり、家庭の協力は得られず、通常の授業や定期試験には教育困難校独特の工夫やルールが必要であることなどが淡々と述べられています。
 こうしてまとめてしまうと面白みが感じられないのですが、実際の文章は違います。勤務経験があるからこそ書ける日常風景には、驚きを超えたものがあります。例えば、「実技科目は座学に比べて授業がやりやすいのかな?」という私の安易な予想は「指示を理解できない、勝手なことをやろうとする」生徒への対応、「移動教室なので抜け出し防止策を打つ」「ペア学習で孤立する生徒に配慮する」「いじめ等の暴力や妊娠の発覚の機会になる」と、わたしの想像を超えた「日常」が展開されており、安易な予想は見事に打ち砕かれるのです。
 入学者(在籍者)の類型として筆者は、
①ヤンキータイプ
②コミュニケーションや学習能力に困難がある
③不登校経験者
④外国にルーツのある生徒
⑤不本意入学
と分析しています。これらのカテゴリにいる人たちは中堅校以上では少数派です。少数派(のみ?)で構成されているという「全員手がかかる」状況が教育困難校にはあります。
ちなみに⑤は「進路指導の目玉商品」となりうる逸材であるものの、早期転学・退学の可能性が高いという指摘など、興味深いものがあります。

【第3章】 「教育困難校」の教員たち
1. 「教育困難校」特有の忙しさの原因
「教育困難校」の教員はとにかく忙しい/「教育困難校」教員の典型的な一日/圧倒的に事件が多い/「生活指導」の必要性/入浴方法がわからない生徒/コミュニケーションの取りづらさ/電話もメールもつながらない/厳しい指導が果たして有効なのか

2. 「教育困難校」教員が陥る心性
教員は勤務先で自身の自己肯定感が変わる/教員集団の中の「スケープゴート」/教員集団が生み出す問題点もある

→本章では、教育困難校で働く教員たちの「困難さ」について、悲痛な現状が述べられています。他の類型の学校に比べて、精神的にも物理的にもストレスフルで、実労働時間も多いことがデータで示されるとともに、勤務校とその生徒に誇りを持てない、組織内でのギスギスした人間関係や公立学校の制度上の問題点(管理職が数年で異動するためになかなか風土が変わらない)という点も指摘されています。

【第4章】 「教育困難校」の進路指導
1. 高校は学力により進路指導も全く異なる
高校の進路指導は、生徒に多くの選択を迫る/「進学校」の明確で迷いのない進路指導/多種多様な指導が求められる「教育困難校」の進路指導

2. 教育情報企業から見た「教育困難校」の進路指導の変遷
1990年代は進路指導にとっても大きな変革期だった/2000年代はキャリア教育の時代/今の「教育困難校」にかかわって思うこと

3.「教育困難校」で実際に行われている進路指導
1 就職指導の特徴/就職は最も教員が手をかける進路先である/志望先企業を決めるのは非常に難しい/志望動機は生徒と教員の努力の産物
2 進学指導の特徴/成績が良い生徒が進学するのか/保護者は大学を知らない/志望大学を決めるまでのプロセス/教員がしなければならない配慮/進学指導は教員の学力と指導力が試される/教員の本心では大学に行かせたくない大学進学者/専攻分野を決めることが最難題

→ただでさえ3年間の修業期間を全うするのに困難が生じる教育困難校ですが、高校の「その後=出口」対策である進路指導から教育困難校の実情を明らかにしている章です。中堅校、進学校と比べて教育困難校の進路指導はなにが難しいのか・・・まずスタートラインに立つまでに多くの困難や労力が必要になるという点です。
 家庭には経済的や子どもへの関心・将来展望といった点で困難さがあり、生徒には学力や対人関係に問題を抱えた者が多くいます。就職も進学も、生徒たちはユーチューバーやゲームクリエイター、スタイリスト、声優といった目先の興味・関心しか考えられずに現実的な方向性が定まりません。就職は、専門高校出身者に到底叶わない、なぜなら専門高校生はそもそもその分野に関心を持って入学しており(モチベーション)、仕事に必要な資格を取得して体験や実技を繰り返している(授業カリキュラム)、という点で入学時には同じような学力であったとしても出口の時点では大きく水を開けられてしまっているからです。
 この章でも目からウロコの事実がたくさん載っています。「教育困難校の生徒は多くがバイトをしているから、就業経験があり就職に有利なのではないか?」という考えには、2章の類型の①である「ヤンキーはそもそも先輩の紹介で職を得る」ために採用に慣れているわけではない、②③の生徒は「何度バイトの面接を受けても落ち続ける生徒がいる」うえ、彼らが従事するアルバイトでは仕事全体を見渡すことができない、とバイトの経験=就職に有利とはいえないことを述べています。

【第5章】 脱「教育困難校」を目指して
先駆的な脱「教育困難校」改革の動き/「荒れた高校」の改善/都立P高校の改革/千葉県立Q高校の改革/先駆的改革校の現在は/2010年代の「教育困難校」/現在進行形の改革——福岡県立V高校の改革│/深化する授業改革/見えてきた課題/教員にも「改革疲れ」が

→改革を行って「困難さ」が是正された事例を紹介しています。これらの事例で興味深かったのは、改革を行っても入学者の学力が劇的に上がるわけではなく、生徒募集(どれだけ志願してくれるか)は以前厳しい状態の学校が多いということでした。

【第6章】 それでも「教育困難校」は必要である
1.「教育困難校」の存在意義
自己責任で片付けられない/「高卒」の「資格」を与える場としての意義/人のたしなみを身に付ける場としての意義/社会の治安を助ける場としての意義/基礎的な知識を学びなおす場としての意義/優しさを社会で生かせるようにする場として/不足しがちな労働力を供給する場として

2.「教育困難校」の将来のために、今、必要なもの
まず、その存在に注目してほしい/「教育困難校」にこそ教育行政の支援を/本当に、心から欲しいものは「人とお金」

→本章では教育社会学的な視点で、教育困難校の使命と役割について述べられています。前半の1.存在意義は、私にとって非常に衝撃的でした。筆者はその存在意義について

・「高卒」の「資格」を与える場
・人のたしなみを身につける場
・社会の治安を助ける場
・基礎的な知識を学び直す場
・優しさを社会で生かせるようにする場
・不足しがちな労働力を提供する場
を挙げています。5つ目の「基礎的な知識を学び直す」ことについては、入学時点でこれまでの学校段階での長期にわたる躓きが大きいために、やや消極的な書き方となっています。一方、3つ目の「社会の治安を助ける」という点については、大きな声で語られることのなかった「エネルギーは最大、しかし学ぶ意欲に乏しく無軌道な若者をとりあえず日中8時間町なかに出さない」という消極的理由であるものの確かな存在意義を指摘しており、大切な視点だと感じました。ともかく、こうした生徒と日々毎時間向き合い、教室内に戻し、トラブルを諌め、自立した大人になれるよう支援する、という、とてつもなく心理的・物理的負担を伴う業務が、教育困難校の中で繰り広げられているという事実を、私達はほとんど知りません。そして、こうしたことは誰もが知っておいたほうがよいことだ、と感じました。

おわりに

【編集の視点から】

本書は、教育困難校の現場にいた筆者ならではの現場感覚が臨場感と説得力ある内容にしており、ミクロな視点で教育困難校の様子を知ることができます。一方で卒業生、教育情報起業や他校の事例など様々な角度から教育困難校を知ることもできます。また、進路指導以降の後半部分では、社会における教育困難校の立ち位置や必要性といったことについて、教育社会学的な視点でマクロに教育困難校を眺めることもできる、良書です。

もう少し知りたい、と思った点が1つあります。本書の中には「教育困難校の生徒はどの子も優しい」という表現が繰り返し、登場します。この「優しさ」がどこから来るのか、という疑問があります。そして「優しさ」という資質を教育困難校の生徒指導や学習指導に生かすことはできるのではないか、と読みながら感じたので、次作があれば「生徒たちの優しさ」をもう少し掘り下げて著者に語ってほしいなと思っています。

これまで、私自身が直接知っている高校は、いわゆる中堅校か進学校の私立学校でした。公立の、教育困難校についてはほとんど見聞きすることがありませんでした。
ところが数年前に、ふとしたことから教育困難校と偏差値帯で同等であることの多い専門高校に通う生徒とその家族を知ることになり…
・卒業までに1クラス分近く退学者がいる
・保護者の教育や学校に対する意識が低く、保護者会は学年全体でも1つの教室で開催でき、それでも空席が目立つ
・チュッパチャプス(棒付きの飴)を舐めてきた生徒が、飴に飽きて教室の後方にそのまま捨てる(置き去り)ため教室後方に蟻が行列している
という話を聞いたときにはかなりの衝撃を受けました。
本書で筆者は、専門高校はその分野で学びたいというモチベーションがある点で教育困難校よりも指導がしやすい、としており、「それでは、教育困難校の実情はいったいどのようなものだろうか」と若干戦慄を覚えながら本書を読み進めました。実際ここに書かれていることは想像を斜め方向にはるかに越えるものがあり、多くの人が知っておいたほうがいい、と読後強く思い至りました。

教育困難校の実態はある意味衝撃です。しかし、確実に存在する世界であり、私達は知らなかったでは済まされない、そのように感じました。

イチオシの本です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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