鴨々川ノスタルジア

鴨々川ノスタルジア実行委員会(鴨ノス)では,今シーズンはツアーガイドたちが輪番でnot…

鴨々川ノスタルジア

鴨々川ノスタルジア実行委員会(鴨ノス)では,今シーズンはツアーガイドたちが輪番でnoteから情報を発信いたします。note初心者ばかりですが,よろしくお願いいたします。

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豊平館はホテルだった!

中島公園を歩いていると、ひときわ優美な色の豊平館が視界に飛び込んできますね。 豊平館は札幌市民には結婚式場として親しまれていますが、140年前はホテルだったことをご存知ですか? 1880(明治13)年に明治政府が建てた唯一の木造ホテルとして完成し、1881(明治14)年8月30日から9月2日にかけて、明治天皇行幸の行在所(天皇が行幸する際の仮の御所)となり、ホテルとしての華々しいスタートをきりました。 続いて1911(明治44)年の皇太子殿下(大正天皇)、1922(大正11

    • 石碑を巡って

       2020年は鴨ノスのツアーを実施していません。「それならば」と自分1人でぷらぷらと街歩きをしたり,札幌市周辺の石碑を巡ったりしております。  さっぽろ文庫45『札幌の碑』などを参考に歩くと,《馬頭観音》あるいは《馬頭観世音》という碑が多いことに気がつきました。これは,馬に感謝し馬の霊を慰めようという碑です。《馬魂碑》《馬頭大神》も同じ趣旨の石碑です。 札幌市中央区 新善光寺の「馬頭観世音菩薩」  『札幌の碑』にはこのような馬(や牛)に関する碑が50紹介されています。ま

      • 千社札(せんじゃふだ)と願い

        先日、すすきのの成田山新栄寺へ行きましたら、本堂の中で100円で千社札シールを購入し、名前を書いて本堂前に設置された板に貼ることができるようになっていました。 成田山新栄寺は、他のすすきののお寺もそうですが、薄野遊郭で働いていた人々や芸妓・芸者さんが拠り所としたり、寄進したり檀家となったり、大きな関りがありました。 現在も札幌では札幌名妓連に所属の芸者さんが数名いらっしゃいますが、この千社札を購入して納められた料金は、応援する思いを込めて、この名妓連に寄付されるとのことで

        • 多賀神社(札幌護国神社境内社)訪問記

          鴨々川のほとり、札幌護国神社の境内社として「多賀神社」があります。 多賀神社の成り立ち歴史は、公式HPやいろいろな方が書かれているので、 「鴨ノスnote」では歴史には触れず、訪問記としてツラツラ書いてみました。 みなさんはどんな時に神社に行かれるのでしょうか? 苦しい時の神頼み? 普段から神様を信仰しているから? 日本は神国であるから? なんとなく、、、、?? みなさん、それぞれの想いがあって神社に行かれますよね? 筆者は職業柄、お正月に神社へ、毎月月初は社内の神棚

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        豊平館はホテルだった!

          秋を探しに

          hirorin 例年の北海道の秋は、お盆が過ぎた頃から吹く風も冷たいのに、今年は8月末でも30度を超える日がありましたね。 その暑い中、中島公園を散策中、日本庭園で「友好と平和の石灯篭ピースランタン」を見つけました。2019年10月に姉妹都市提携60周年を記念して、ポートランドから贈られたそうです。 ナナカマドが色付いていました。木の実も実っていたのでエゾリスの食糧となるでしょう。 散歩中に落ちてくることもあるので、気を付けましょう。 このような紅葉を観られるのももう

          理想の肉体美 仁王像

           2018年の夏に鴨ノスのツアーガイドになったtakeです。男ですから「遊郭」には興味はありましたが,ガイドになるまでは神社や寺院には行ったこともありません。そんな私がガイドする内容に真実味を持たせたくて,自分から寺社に行くようになりました。  仏教には《すべてのもの(こと)は移ろいゆくのだから,執着するに値しない》という考えがありますが,その通り。人は変わります。寺社に行って写真を撮ったり,疑問が湧いたら質問したりするなんて,4年前までは夢にも思いませんでした。  さて,ナ

          理想の肉体美 仁王像

          <上>何故すすきのツアーガイドをするのか

                                   文:MarchInMay ●令和2年!ガイド2年目!のはずが... こんにちは。鴨々川ノスタルジアのツアーガイドを務めるMarch-In-Mayです。普段は社内SEをしております。 ガイド養成講座にて師匠よりご教授頂き、先輩ガイドの皆さんから沢山のアドバイスと励ましを頂いて、昨年ガイドとしてデビュー致しました。  2019年鴨々川ノスタルジアのイベントでは、ヨガインストラクター資格取得のため勉強中ということもあり新善光寺(

          <上>何故すすきのツアーガイドをするのか

          薄野遊郭(続き)

          前回の記事で【薄野遊郭】についての記事を書かせていただきました。 今回はその続きです。 蝦夷地に開拓使が渡り ”官許(つまり政府公認)”の遊郭が薄野に置かれることとなったとき 太政官正院に提出された書面には、要約すると 「一万人の者が開拓に従事するため、これから札幌に集まるので、その足止め策として遊郭を。」 と書かれていました。 (撮影:すすきの交差点) 江戸末期から明治にかけての激動の時代。 戊辰戦争を経て政情が大きく変わり 市民にも大きく影響を与えまし

          薄野遊郭(続き)

          薄野遊郭

          緊急事態宣言が解除され、札幌の中心にある歓楽街すすきのも少しずつ活気を取り戻しつつあります。 現在のすすきのは居酒屋・バー・クラブなどが所狭しと立ち並び、日が沈む頃から早朝までネオンが光り輝きます。 (撮影:すすきの) そんなすすきのにはかつて「薄野遊郭」がありました。 薄野遊郭があったのは、南4条〜6条通り、西3〜4丁目の田の字型・4ブロックとされています。当時はキツネが飛び跳ねているような原野でした。 「すすきの」という地名は今から約50年前の1871年(明治4

          鴨々川散策 後編

          前回はKiaraまで散策してきました。 今週はKitaraから北へ向かって出発します。 Kitaraを過ぎた鴨々川は道路と中島公園の間を流れていきます。 この先を左へ曲がると、電停の中島公園通に出ます。 そこから少し歩くと、豊平館が見えてきます。 豊平館については、鴨々川ノスタルジアで4月18日に記事をUPして おりますので、是非、そちらをご参照ください。 豊平館ると流れは若干東へ向きます。 この右手、中島公園内に八窓庵があります。 プレミアホテルを左手に眺めなが

          鴨々川散策 後編

          すすきのの片隅で幕末を思ふ

          世界中の活動を一時停止させ、生活を一変させてしまったコロナウィルス。 以北最大の繁華街である札幌のすすきのも本当に大きな影響を受けています。 緊急事態宣言も一旦解除となり、また元気なすすきのへ第一歩・・・ そんな中とても残念なニュース。 すすきのナイトツアーのコースでも周らせていただき、ご協賛もいただいていた、創業68年の札幌第一ホテルが、コロナの影響で2020年6月20日をもって閉館するのだそうです。 第一ホテルの駐車場の片隅に、山の形をした石碑があります。 「飯沼貞吉

          すすきのの片隅で幕末を思ふ

          鴨々川散策 前編

          せっかくのゴールデンウィークですが、外出自粛でなかなか出かけられなかった方も多いと思います。 外出を控えていた方に、外出気分が味わえる鴨々川の散策のご案内をしてみたいと思います。 旧鴨々堂の横を流れている鴨々川。 その起点をご存知でしょうか? 鴨々川は豊平川から分岐して始まります。 分岐地点は幌平橋から、上流に少しいった所にありますが、豊平川の本流からすぐに分岐している訳ではありません。 ちょうど札幌南高校付近に、支流への分岐取水口があり(冒頭の写真)、ここから分岐され埋設

          鴨々川散策 前編

          『時代遅れの男』にあこがれて

          take 地崎組,地崎工業,ちざきバラ園・・・  北海道民でも若い人は知らないと思いますが,地崎工業といえば北海道を代表する建設会社でした。スキージャンプのレジェンドと言われる葛西紀明も地崎工業スキー部で活躍した1人です。  創業者は明治2年に富山県に生まれた地崎宇三郎。23歳の時に無一文で北海道に渡り,一代で北海道有数の建設会社を築きました。 彼の足あとを札幌市内で見つけました。 札幌で古くから「さんきちさん」の名で親しまれている三吉神社。  

          『時代遅れの男』にあこがれて

          明治の香りよ いつまでも

                                          take  さて,鴨ノスといえばすすきの。すすきのといえば歓楽街。その歓楽街の起源は,今から150年前,明治4年の遊郭の設置までさかのぼります。  すすきの交差点から『東西に1丁ずつ,南へ2条』のほぼ正方形の範囲が遊郭でした。明治時代末にはおよそ30件の妓楼に300人ほどの遊女が働いていたといいます。  当時の遊郭の建物は1つも残っていませんが,遊郭から南に1条下った豊川稲荷札幌別院(明治31年開設)では当時の

          明治の香りよ いつまでも