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『時代遅れの男』にあこがれて

take

    地崎組,地崎工業,ちざきバラ園・・・
 北海道民でも若い人は知らないと思いますが,地崎工業といえば北海道を代表する建設会社でした。スキージャンプのレジェンドと言われる葛西紀明も地崎工業スキー部で活躍した1人です。
 創業者は明治2年に富山県に生まれた地崎宇三郎。23歳の時に無一文で北海道に渡り,一代で北海道有数の建設会社を築きました。
    彼の足あとを札幌市内で見つけました。

地崎さん寄贈 表

    札幌で古くから「さんきちさん」の名で親しまれている三吉神社。

 その社号標『(県社)三吉神社』の裏には「昭和五年四月三十日 株式合資会社 地崎組」とあります。地崎組の親方・地崎宇三郎の寄付でつくられたものです。
 三吉神社の玉垣には120名ほどの寄付者の名前が刻まれています(全部書き写しました:take)が,その中には「地崎宇三郎」をはじめ13名の「地崎さん」が名を連ねています。玉垣の1割が地崎さん!!

地崎さん寄贈 ウラ

    北海道神宮の入り口には巨大な鳥居が立っています。この鳥居を寄付した人も地崎宇三郎です。
 『札幌百年の人々』(1968年)には,

"  だからといって,金のためばかりで仕事をするような男ではない。中島公園内の護国神社の新築などは,はじめから大赤字を覚悟のうえで引き受けているし,札幌神社(北海道神宮)の宇三郎鳥居ともいわれた第一鳥居(現在の第二鳥居のことでしょう:take)は,当時の金で,七,八万もかけて寄付をしている(大正時代の8万円は現在の約4000万円:take)。そのころ,借金も相当あったので,貸した者が,そんな金があるのなら,返済にまわすのがほんとうだという話をすると,「それとこれとは別だ。おまえさんには,迷惑はかけないよ」と相手にもしなかったということである。"

第二鳥居 銘板

    という逸話が紹介されています。
    カッコよすぎる気もしますが,赤字だろうが借金だろうが地元の神社やお寺には援助を惜しまない人だったようです。またこの本には

"  しかも,地崎組では,どんな遠い現場であっても,出先きの土地では,いっさい仕込みをせずに,かならず札幌で買い入れることにしていたのである。「札幌で男にしてもらったのだから,札幌に金をおとす」というのが,宇三郎の方針であったからだ。"

とあります。
    「寄付や援助など,売名行為だ」という見方もできるでしょう。
 でもtakeは,自分が苦しくても寄付をしたり,仕事では地元に筋を通したりする『時代遅れの男』にあこがれます。カッコいいです!!!
    地崎宇三郎さん,一度お会いしてみたかった。

(注) 地崎宇三郎の息子も孫も歌舞伎役者の如くに『地崎宇三郎』を襲名しています。ここで紹介したのは創業者である初代・地崎宇三郎です。
 ちなみに二代目宇三郎は終戦後に私財を投じて「地崎文庫」を開き,現在の札幌学院大学の創設に貢献しています。三代目宇三郎は北海道選出の衆議院議員を20年間務めました。

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