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第二回 未来のまちづくりミーティング

令和4年4月23日(土)午後2時から左京西部いきいき市民活動センター高齢者ふれあいサロンにて開催した、かもがわデルタフェスティバル実行委員会主催『第二回 未来のまちづくりミーティング』の様子を、議事録にてご紹介します。
このミーティングは今後も月一回ペースで1年かけて計10回開催予定(9月、10月は非開催)ですので、是非皆さんもご参加ください。


司会:かもがわデルタフェスティバル実行委員会事務局長 杉山準

ただいまから第2回未来のまち作りミーティングを始めさせていただきます。司会進行は私、かもがわデルタフェスティバル実行委員会の事務局をしていますNPO劇研の杉山が務めさせていただきます。
今日は養正市営住宅の歴史を知ろうということと、この団地にお住まいの方の声を聞こうというテーマで行いたいと思います。
それでは主催者を代表いたしまして、かもがわデルタフェスティバル実行委員会委員長であり、養正学区各種団体連絡協議会会長の浅井からご挨拶をさせていただきます。

開会の挨拶

養正学区各種連絡協議会・かもがわデルタフェスティバル実行委員会委員長 浅井吉弘

皆様こんにちは。次回からは会場をどこでしようかと悩むぐらい、思っていたよりたくさんの方に来ていただいて、会場が狭いので、ちょっと申し訳ないです。
今年度、来年の3月までに、10回ぐらいの予定で、いろんな方の意見を聞きながら、地域の声をまとめていこうということで進めていく予定になっております。今回は2回目として、この地域に住んでいる皆さん方の気持ちをまず共有しようと思っています。
1回目は小学校の体育館を使いまして、大体の説明を市側がしてくれました。僕も70年近くこの地域に住んでいて、同窓生もこの団地の中にいますし、大体のことは分かっているつもりだったのですが、知らないとこも結構あるという、新たに発見がありました。養正学区から出る人もいるし、入ってくる人もいる。新しく転入してきた人は、地域のことは、ほぼ分からないと思います。70年近く住んでいる人間でもそうなので、団地の外の人から見たら、あまり実はよく分からないと思います。
そこで原点に返って、今回は、部落の劣悪な住宅を改良するために改良住宅が建ってきた、その辺の経緯も含めて、歴史的な背景と、今お住まいの方の気持ちをみんなで共有しようと思います。質問とかありましたらまた後でゆっくりすることになると思いますので、最後までよろしくお付き合い願いたいと思います。ありがとうございます。

杉山
それではまず最初に、この養正市営団地の歴史についてお話いただきたいと思います。お話いただくのは、この団地で生まれ育って、歴史をご自身でいろいろ調べていらっしゃる、西村優汰さんです。西村さんまだ若いのですが、地域の歴史などに非常に詳しい青年なので、今回お話していただくことになりました。それでは西村さんよろしくお願いします。

西村優汰さんからのお話

こんにちは。西村と申します。今日はよろしくお願いします。
私からは、この養正市営住宅についてお話をします。養正市営住宅が建っているこの養正地域は、歴史的に見れば被差別部落にルーツを持っている地域です。
部落差別の問題は皆さんもご存知かと思うのですが、日本の人権問題、差別問題の一つで、この養正地域だけではなくて、日本全国的な大きい問題で、部落といわれる地域に生まれただけで、もしくは住んでいるだけで、差別されて、社会的に排除されるというような問題です。社会的排除というのは、例えば就職や結婚、それから部落外に居住をするときなどに、部落の出身だというだけで断られるというようなことで、就職や結婚、居住などの自由が奪われていました。加えて、教育の機会均等などの保障もされていない状況にありました。
このような部落差別は部落に貧困をもたらしました。自由に就職することが困難だったので、日雇い労働や低賃金の労働、肉体労働など、そのようなものしかなくて、特に明治以降は差別も厳しかったので、どんどん貧困になっていって厳しい生活を送っていました。このような部落の貧困は、次に住環境に大きく影響を与えました。住環境がどんどん劣悪になっていきます。ここで映像を見ていただこうと思いますが、昭和33年頃の養正地域を撮影したもので、当時の実態がよくわかっていただけると思います。

【映像を見ながら説明】
これが今21棟が建っているところの踏切のところです。電車が養正地域を北の方角に向かって出ていくところが映されています。
奥にお寺があるのが分かると思います。路地の様子や、小さい家の様子なども分かるかと思います。
路地の中に入っていくところです。狭い道だというのが分かると思います。
これが共同ポンプです。鍋なども置いてありますが、共同の炊事場的な役割も持っています。
この奥に映っているのが共同便所です。
これが共同炊事場で洗濯をしているところです。

これが昭和33年当時のこの地域の実態です。
映像は養正地域のものですが、この時代、日本全国的に生活水準は向上していった中でも、日本各地の部落では、この映像と同じような状況で低い生活水準にありました。
当時の家は戸建ても、長屋などもありますが、映像のように結構老朽化が進んでいるような家が多くて、いわゆる不良住宅が密集している地域でした。家が傷んできても修繕できずに放置するしかなかったり、そもそも家の構造自体がしっかり作られていない家もあり、住民の経済力では、家の維持や修繕なども含めて、住環境を向上させることが極めて困難な状況にありました。その上、便所や井戸、水道、炊事場などが共同でした。もちろん家の中に専用のものを持っていらっしゃるところもあったのですが、昭和30年の調査で養正地域に518世帯あったうちの約6割の世帯が、便所、井戸などを共同で利用していたという記録も残っています。一つの便所を10世帯近くが利用していたケースもありました。しかもこういうものが長年放置された状態が多く、感染症が蔓延するなど、衛生的にも多くの問題がありました。
このような住環境を抜本的に改善も含めて、日本全国的に、国が部落問題を国民的な課題として位置付けて、劣悪な住環境を改善するための住宅地区改良法や、もっと広い意味で部落問題を解決するための同和対策事業特別措置法というものがつくられ、京都市でもそういう法に基づいて、この養正地域でも住宅地区改良事業が進められていきます。この事業は行政が同和地区のエリアの土地をほぼ強制的に買収して、そこに集合住宅、市営住宅を建てていくというものでした。
ここで今度は、この養正地域に市営住宅が建った時の映像がありますので、見ていただこうと思います。

【映像を見ながら説明】
これは11棟が建設されたときの様子です。
まだ周りに古い家が残っている中で11棟は建設されました。
各部屋にガスや水道がしっかり引かれた台所が設置されています。
それから便所も水洗になって、きちっと各部屋に一つ付くようになりました。
洗面台もあります。
このような感じです。

Q. 風呂場はなかったのですか?
A. はい。風呂場はないです。

このように市営住宅が建ったことで地域全体が大きく変わっていきました。
もう一つお話したいのが、この養正地域に建っている市営住宅は、改良住宅だということです。市営住宅とは、自治体が設置する集合住宅のことですが、これには大きく二つあって、公営住宅と改良住宅があります。部落のことをあまりご存知ない方は、公営住宅の方をイメージされることが多いと思うのですが、この地域に建っているのは、改良住宅です。
公営住宅は公営住宅法に基づいて建設されて、主に郊外に建設されることが多く、元々田んぼや畑など、大きい敷地のあるところに建てられています。入居するには収入がいくら未満などの制限は定められているのですが、それをクリアすれば誰でも入居することができます。公営住宅の役割としては、生活困窮世帯が入居していたり、もう一つの役割としては、若い子育て世代が入居をして、比較的家賃を安く借りられたので、入居している間に貯蓄をして、自分の家を持つまでの間、一時的に暮らすというものです。
その一方で、ここに建っている改良住宅は住宅地区改良事業によって建設されたものなので、元々、住民が住んでいて、住宅が密集している地域に建てられたものです。ですので、この改良住宅の建設には住環境を改善するという目的のもとに、住民から土地を買収するということが伴います。建設された当初はその土地の住民のための住宅として建設されたので、入居者はその地域に暮らす人たちに限定されていました。
改良住宅のもう一つ大きな特徴は、元々この土地に住んでいた、ルーツを持つ入居者の子供や孫、その次の世代までの永住が保証されている住宅でもありました。ここが公営住宅とは大きく異なるところです。
最後にまとめますと、養正地域はかつて住環境が劣悪な状態にあって、不良住宅が密集している地域でした。それを京都市が住環境改善事業を実施して、京都市が住民から土地を買収して改良住宅を建設しました。ですので、土地を売って入居していたり、この地域にルーツを持っている人が今も多く住んでおられます。
このような歴史的な背景や経緯から養正市営住宅が建てられて、このような経過を経て今がありますので、これから進められる住宅の建て替えや、また10年先に始まろうとしているまちづくりに対して、この市営住宅に住んでいる住民の中にはいろんな思いを持っておられる方が多いと思うので、今日の後半の話や、次回以降のこの会も含めて、そういう住民の思いや考え、声などをぜひ聞いていただきたいなと思っています。
私からの話はこれで終わります。

杉山
はい、ありがとうございました。
何かご意見ご質問などございますか。今の話について。よろしいですか。
また後で、こういうことをそういえば聞きたかったということがあれば質問の時間をとりますので、よろしくお願いします。西村さんどうもありがとうございました。
続きまして、今お話があったように今後10年、この団地が大きく変わっていこうとしています。そこに実際にお住まいの方に団地再生について、思いをお聞かせいただきたいと思います。今日はここに長い間お住まいになっておられる若井修さんにお越しいただいて、そのあたりをお話しいただきます。若井さんどうぞ。

若井修さんからのお話

この10年間で、この地域が大きく変わると思うのですが、その前に地域からの声をということで、私個人的にも言いたいことがあるので、少しお話させていただきます。
まず一つは、ご存知のように、これだけの建物がありながら、住んでいる人(入居率)が半分になってしまっています。なぜこれだけ空いているのか。その空きに対して京都市が交渉して人に入ってもらったら、もう少し(地域が)明るくなっていくと思います。そういうところが京都市の今までの施策から外れていると思います。ただ、市営住宅といっても改良住宅なので、なかなかやっていただけませんが、我々としてはここにもう少したくさん人が入ってもらって賑やかな街にしていきたいと思っております。
もう一点は、アンケートをとらせてもらったのですが、住み替えにあたっては、いろんな意見を持っている人が多かったです。今2人で住んでいるけど、これから10年先ひとりになったら部屋が小さくなるのだろうかとか、いろいろな意見が出ていました。それもこれからの話の中でどうなるか分かりませんが、やっていきたいと思います。
もう一点は、ここに子供がいないことはもうご存知だと思いますが、保育所がそこにありながら、ここから通っている子供さんは数えるほどしかいません。小学校も、今年の1年生は1クラスしかないと聞いています。昔は3クラスぐらい、多いときは5クラスぐらいあったと思います。僕たちの小さいときはもうちょっとあったと思います。それだけ若い人がここに住んでないということで、こういう便利なところで若い人がいないのは、どうもおかしいと思います。だから、これから建とうとしている市営住宅の1期目はどうするかも決まっていますので無理かもしれないですが、第2期のときには、一般公募をとっていただきたいなと思います。若い人が入ったら子供もいるし、賑やかになるし、この地域で今やり始めているフェスティバルやお祭りも、子供がいたら、もう少し賑やかになるのですが、今いらっしゃるのはお年寄りの方が多いので。
これからのこの会の中で、こんなふうにしたらいいんじゃないかということを、皆さんの意見があれば出していただいて、いい街を作っていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

杉山
ありがとうございました。若井さん、まだいいですか。私から質問します。
ここに若い方やお子さんが増えてほしいという声があるということだったのですが、街が今度変わっていって、大きな跡地ができます。そのときに若井さんとしては、どんな構造になったらいいな、こんなふうになったらいいなというイメージはありますか。

若井さん
商業施設ができたとしても、商業施設には人が集まっても、夜には人はいません。
私のイメージとしては、先ほども言いましたが、町内を大きくしようするなら、若い人に入ってもらって、夜でも賑やかになるのが一番です。商業用地ではなく、これから皆さんの力でそこに、マンションなどを建てるということになれば、人も増えてくるのではないかと思います。

杉山
ありがとうございます。
若井さん自身はこの地域で生まれ育ってこられたと思いますが、何か地域に対する思いや思い出はございますか。また、例えばこういうところは残してほしいとか、こういうことは残ったらいいなというようなことはございますか。

若井さん
やっぱり地域を残してほしい。それはなぜかというと、僕たちのここはふるさとなんです。泣いても笑ってもここがふるさと。
今の若い子は外に出ていますから、もう親が亡くなったら今のところにはここに住めないから、子供のふるさとはもうなくなるんです。だから、できたら、ふるさとであるここを残していきたい。僕らのふるさとはここだということをみんなに分かってもらって、今外に出ている若い人もここに帰ってこられるよう体制をとっていきたいなと思っております。

杉山
どうもありがとうございました。若井おさむさんでした。
それでは質問やご意見の時間にしたいと思います。今お話いただいたことでも結構ですし、また、私もこんな意見があるということでも結構ですので、もしあったらどうぞ挙手をいただけたらと思います。

参加者との質疑応答

参加者A
西村くん、本当によく調べてくれました。あの映像、涙が出る思いで見ました。本当によく頑張って調べてくれました。
でも、少し違うところがあって、私たちは立ち退きしたくなかった。ちゃんとした家に住んでいたし、家で商売していたし、そういう人が西村くんの調べた通り4割いました。そこへ、(改良住宅を建てるために)うちの家の周り、一斉に(立ち退きを迫りに)来られました。それを知っている人もいらっしゃると思います。私は小学校4年でした。
それで渋々、商売できないから、立ち退いて。6畳、4畳半、4畳半の台所。そこに親子5人と、おばあちゃんで住めって言われた。ちゃんとした一軒家に住んでいた私たちが住めると思いますか?
映像に映っていたのは11棟の1Kですよね。年寄り専用、(今は)2階全部空いています。そこぐらいまで調べて欲しかったな。贅沢いえば。
若井さんがおっしゃったように私はここに生まれて育って、そして子供が結婚するときに、ここに住みたいって言ったんです。住宅公社に話しました。そしたら、過密で募集してませんと言って断られた。そういう一件もあった。一時期どんどん人を入れて過密になって、うちの子供のときにはもうストップですって言われた、そういう住民もいる。
でもここから出たくない。若井さんと同じで、ここで死にたい。私も。
だけど、10年先のまちづくりと言われても、生きてるか死んでるか分からない。見られるか見られないか分からない。祭りどころか、今度入る家の家賃がどうなるのか、引っ越しがどうなるのか。また、隣近所も今仲よくさせてもらっているのに、また新たに、いくら同じ地域の中でも、仲の良い人もいれば悪い人もいる。それを全部ガラガラポンされる。うちの(住んでいる階の)一番端に90代のおばあさんがいます。今、私なりに面倒見させてもらっていますけど、このおばあさんどうするんですか。
そういうところも、今日は公社の人が来られてるのか分からないけど、保育園の方々も心配ですよね。保育園がどうなるか分からない。だから、前回も言いました。10年先の話よりもっと大事な話がありませんか?保育園がどうなるのか、私たち住民がどうなるのか。今日は公社の人はお見えではないのですか?

杉山
正式には(公社の方は)来ていません。すみません、10年先の話で申し訳ないです。住宅と住民の問題に関しては、私達が入ってやるお話ではなくて、住民の皆さんと京都市さんの間で詰めていただく問題だと思います。
こちらの今回のこのミーティングは前回もお話しましたように、団地再生によってこの街が大きく変わります。その一つは住宅が集約をされて、空いた土地が出ます。大きな住宅が建っているところが結構広い空き土地になる予定と聞いています。そこがそこをどんなふうに活用していくか、というのが大きな問題です。それはここにお住まいの住民だけではなくて、この周辺部にお住まいの住民にも大きな影響があろう話だと思います。なぜかというと、ここは場所的にもいいですし、人が行き交うところでもあります。このミーティングの趣旨は、そういうところを話していこうということです。つまりいろんな人に影響があるので、そのいろんな人と意見を交わしていこうと、そういうことが中心になります。
なので、住宅にお住まいの方は、住宅の問題はすごく大きな大事な、まさに生活に関わる大きな問題だと思いますので申し訳ないですが、このミーティングの中では、そこにポイントを置くのではなくて、その空き土地と、それはどういう街にしていくかということと関係している問題ですので、どんな街にしていきたいかということを話していきたいと思っています。

参加者A
それなら住民がこのミーティングに参加しても意味がないですよね。
私が生きているか死んでいるか分からない話に参加できないし。若い世代に知恵を絞ってもらって。

杉山
それも一理ありますが、どなたでも来ていただけるという形にしたいと思って。

参加者A
どなたでもはいいけど、みんなが周りから入れるいろんな意見をどうやってまとめるのですか。一つお願いしたいのは、西村くんが言ってくれたみたいに、ここは私たちの先祖代々の土地を無理やり買い上げられてその空き地を利用するということを頭に置いておいてもらって(話してください)。
10年先、私生きているかどうか分かりません。西村くんたちの若い世代に頑張ってもらわないと。
私は、一番の不安を取り除く話し合いをしたいっていうのは、今この場ではできないから、退席させていただきます。

杉山
それは申し訳ない。もしかしたら子供世代、お孫さん世代が暮らす街のことを話すということなので。

参加者B
私のおじもおばもここに住んでいるのですが、今日はここの歴史を聞こうという会だと聞いていて、先ほどもお話しされていましたけど、私も、うちのいとこたちももう(この地域から)出ています。ここに住んでいたらしんどいから出て行っている人もたくさんいるし、今のご意見にもあったように、住みたかったけど住めない人もいます。ここで長年家族が(暮らしてきて)、その中でもここで死にたいって、うちの親類もみんなそう言っていましたけど、そういう声をしっかりと聞いて、全部みんなの気持ちを聞いて、その中からまちづくりしていくのが本来ではないですか。
10年先・・・いやいやちょっと待ってという感じです。そんなのではいい街作れないでしょう。

参加者C
住民の方の意見を聞いて、本当に感銘を受けましたし、私達に分からないことをいろいろ教えていただいて、ありがとうございました。
でも過去は変えられない。起こった事実は事実として、今は起こった事実としてしか、私達は受け止められません。過去は変えられない。でも未来は変えられる。若井さんが言われたように、未来を変えていこうよと、私は思います。
私の友達たちが保育所を探している世代です。日本全国保育所が足りなくて待機児童がいっぱいいます。ところが、この養正地区だけは待機児童がいない。それはなぜかというと、悪いんですけど、部落という地域性。ここに預けている部落以外の方は、待機で待てないというお母さんたちが、部落というイメージはあるけど、もう待てないので、ここならすぐ入れるという、そういう意見も聞きました。これはすごく悲しいことですよね。
養正小学校が1クラスしかない。そうしたら、(他の学校は)2年に1回クラス替えがありますけど、子供があの子嫌い、この子嫌いと言っても、1クラスしかないと、クラス替えもない。そうしたら、ずっと6年間嫌いな子と一緒に過ごさないといけない。そうしたら転校して他の小学校に行ってしまって、養正小学校からますます子供がいなくなるという悪循環を生んでいるんですよ。
これはここに住んでいる住民の方には本当に申し訳ないですけど、やっぱり地域性。私は未来的にこの地域の今までのイメージではなく、違うイメージのまち作りをしなければならないと思います。ここに住みたい(と思われるような)。
関西で言えば、大阪の西成。大阪市長が西成地区を変えようとしていますけど、やっぱり西成には住みたくないという西成の風評被害みたいな(ものがある)。だから、私たちは養正地区に住みたいというイメージを新しく作ってまちづくりをしていかない限り、子供たちも増えないし、若い人たちも来ない。私はそう思っています。
私は子供の食生活に対してすごく日頃から考えていて、朝ご飯食べない子供たちは健康に悪いし、駄目だと思っているので、本当は養正小学校の家庭科室を借りて、子供たちに朝ご飯を提供するというボランティアをやりたくて、もう何年もかけて実現しようとしていますけどなかなか進みません。
だから、(皆さんの)お力を借りて、そういうことからやっていきたい。養正小学校に通ったら子供たちの朝ご飯も50円で食べられて、みんなが健康で、成績も伸びたと、そういうイメージ作りから始めたらどうかなという意見を持っております。差し出がましいですが、どうぞよろしくお願いします。

参加者D
会としてぜひ整理をしていただきたいのは、改良事業の制約の中でまちづくりがされた。一般的な、自由に街をどうしようということではなくて、改良事業という制約の中で、60年間、町内がどうなったのか。実態的にはもうその時に住んでいた人たちの3分の1も残っていない。ほとんどの方が出て行ってしまった。これはなぜかというと、改良事業という制約の中での問題。
それともう一点は、鉄筋コンクリートで高層の、低いところでも3階建てや4階建ての団地。しかも持ち家ではなく全員が家賃(を払う)という、この実態は、決してこれは同和問題、改良事業だけではなくてどこの団地でもあります。京都の中にたくさん(あります)。そういうところが10年先、20年先どうなっているか。家賃(を払い)、高層化されたところのまちづくりは、これから町内もいろいろ整理をしようということで、まちづくりがあるわけですけど、結局また高層化の鉄筋で全員家賃と。このようなまちづくりをして、本当に、前に町内に住んでいた人たちが戻ってきたいけれど、家賃を出してまで住みたいのかという問題があるんです。
高層化される、全員が家賃を渡す、自分の家でない、そういう街がどういう方向で展開されるのかという点で、ここだけではなくてもう既にいろんなところでそういう問題点があります。だから一度、会としてその辺を整理していただいて、その中でどういうまちづくりをするのか、この町内が過疎化してしまっている実態が何なのかというのを整理していただかないと、ただ単にみんなが、みんなが、みんながといっても、そのような高層化され、家賃化された団地が本当にみんなで長期にまちづくりができるのか。
残念ながら、私も改良事業の中で出て行ったほうなんです。それまでは地蔵盆もすごかったんですよ。路地ごとに全部お地蔵さんがあって、各家ごとにみんな提灯吊って、そして神輿も出したし、そういう街が改良事業によって全部なくなってしまった。そういうことも含めて整理をして、今後また同じように高層化の家賃というまちづくりが、本当に20年先、30年先、どうなんだという点でしっかり教訓を学んでおかないと、いいまちづくりにならない。
養正学区そのものが、田中の地域そのものが衰退化しただけではなくて、小学校を廃止するという話があるというようなことを聞いたりする。それだけ養正学区全体にも大きなまちづくりの問題があり、こことの絡みを含めて、養正学区全体をどう回していくのか、若い人たちがどうするのかという課題も含んでおりますので、ぜひそういう方向できっちり整理をしていただきたい。そしてそのことをみんなに提案して、その中でどういう街がいいのかというのを検討していただければと思います。

杉山
どうもありがとうございます。
その辺は整理していきたいと思うのですが、私達(主催者側)が何かの案を提案するという場ではないと思っています。みんなで話し合う。なぜかというとまちづくりの主役は住民だからだと思うんです。
ですので、今のような貴重なご意見をいただきながら、それぞれで考えていきながらあるビジョンが見えてきたらいいなということを期待しています。

参加者E
近隣に住んでいる者です。前回も参加させていただいて、今日は地域の歴史のことや、どんなことがあったのかということを、ここで共有して、それをまず深く知ることが目的かなと思って参加させていただいています。
その上で先ほどいろいろ意見が出てきたところで思ったことがあるのですが、自分も子供がいて、将来養正小学校に進むことになると思うので、10年先がどうなっているのかというのは気になっていますし、最初におっしゃったみたいに、先のことを見据えて考えていくということは、自分もそれは大切なことだ思っています。ただその前提として、一番大切なことは、今ここに住まわれている方の視点をまず最初に持たないといけないと思います。
話にもあったように、歴史の中で、自分はここに住んでいたけど、自分の希望とは反して、出ざるを得なかった。自分がしたかったことがあったのにそれもできないまま、行政の方からこうしろと言われてきた、せざるを得なかったという歴史がある。その中で、やむを得ず移らなければいけない歴史があったということ。まずそれは押さえないといけないことだと思っていますし、それはここに参加されているメンバーもそうだし、これに関わられる方がまず押さえないといけないことだと思います。それがきちんと共有された中で、まちづくりをどうするのかということを進めることが、今ここに住まわれている方もそうだし、これから住もうとしている方にとっても、重要なことではないかと、ちょっと疑問に思いました。
ここに住まわれている方がすごく本質的なことをおっしゃったと僕は感じたのですが、市営住宅が移るということになったときに、今、作られてきていた人間関係はどうなるのかと、それは当然だと思います。今度強制的に移るってことになったときに、今まで作ってきた人間関係をまたゼロから作り直さないといけないのかというような話。それは本当にここにこれから住む方にとっても、そういうところが一番今心配事であり課題であり、それをどのようにしてカバーできるようなまちづくりをしていくのか、そのためにどういうことができるのかということの話ができないといけないと思うので、最初おっしゃった、(この会の内容とは)別の問題、ちょっとそれはどうなのかなと僕は感じました。当然行政と話す問題はあるとは思いますけど、そうじゃなくてここにまず今住まわれていた(方の意見が)本当に僕は今回の本質だと思っているんですけど、そこをきちんと共有しながら、もう少し話を深めていくことが大事かなと思いました。
あと、今日の会議の記録は取られているのでしょうか。前回もちょっと感じたのですが、きちんと記録を残して、それを共有することも大事だと思っていますし、自分はホームページでも見ているのですが、そういうことをきちんと、こういう話が出た、意見があった、こういうふうになっているということをきちんと開示していくことが大事だと思っています。ホームページなど、今は発信できることもいっぱいあるので、そういうことは残してプロセスを積み上げていかないと、せっかく話したこともこの場でしか残らないです。今日話したことはすごく大事なことだし、それはやっぱりもっと周りの人に知ってもらわないといけないと思っているので、そういった視点できちっと残したものを発信するということも事務局の方にお願いしたいなと思っています。

杉山
どうもありがとうございます。
今の点ですが、それは残して、例えば来られなかった人にも見られるような形にしようと思っています。ニュースレターのような形で事業報告をやっています。今日も今、録音してそれを残すようにしています。

参加者F
私は元田中駅のすぐ近くに住んでいます。元田中のあたりに引っ越してきて、ちょうど30年ほど経つのですが、その時子供たちがすごく小さくて、ここに保育園があったのでここに入りたくて、すぐ来たのですが、ここは入れないよと言われました。
なぜ入れてもらえないのか全然分からない。なんでここに保育園があるのに、私は入れないのか、分かる説明が一度もなかったんです。
子供は養正小学校行って、他のみんなは一緒に勉強していたり、ここでお芝居をやるからおいでって呼んでもらっていたけど、あなたは入れないよって入れてもらえない。でも何で入れてもらえないのか分からないということがずっと重なっていきました。
今日初めて、ここに長く住まれてきた方のお話を聞いて、私はすごく感動しています。
ここの地域が部落で、差別を受けているということは知っていましたし、私が引っ越してきたときになぜ田中に住むんだということや、すごく差別的なことを言う人がいて、私は京都の人間じゃないので分からなかったけど、すごく頭にきて、すごくそれが嫌で、差別があるということが(そのときに)初めて分かったんですけど、初めて今日、(ここに長く住まれてきた方の)お話を聞けて、ここの住宅ができたときのこととか、住まれている方の声を初めて聞いて、私は30年で初めてこういう機会を持てたことをすごくありがたいと思っています。
それで、この会のことを伺いたいのですが、住宅を集めて大きな跡地ができるんだと言われたけど、もうそれは一体どこまで進んでいるのか。えっ、そんなこと決まってるの!って今日初めて聞いてびっくりしたのですが、ここで何が決められ、要望を出せるのか、どういう会なのか。やっぱり住まれている方の思いとか、ああしてほしい、こうしてほしいということが実現できないといけないと思います。
ただ意見を聞くのではなくて、一体どこまで計画が進んでしまっていて、いろんなここで出た意見がどういうふうに活かされるのか、活かすことができるのか、できないのか、どういう感じなのか教えていただけますか。

杉山
はい、ありがとうございます。まさに今おっしゃられたようなことです。
まず前回、第1回のミーティングで、どこまで京都市が決めていて、これからどのような段取りでこの住宅が変わっていくかという説明がありました。現在決まっているのは、21棟という一番新しい棟を残して、他の古い棟は高層棟も含めて全部取り壊しになる。それは耐震構造や、年代が経っていて老朽化しているということが主たる理由だそうですが、南と北に二つ新しい棟が建って、そこに集約をされる。ここまでは決まっているということです。集約をして、今建っている棟を取り壊すのですが、そこにできる跡地の問題などはまだ決まっていないということです。建て替えのことは段取りももう進んでいて、もうすぐスター住宅といわれるY字型の住宅3棟が取り壊されて、そこに新しいものが建つ段取りが始まろうとしているということを、前回、京都市の方から伺いました。
それで、この会の特徴は、物理的なこと、つまり、古い建物を壊して新しいのを建てますよ、そこに今お住まいの方は入居されますよという物理的なことだけではなくて、さっき言ったように空いた土地ができます。これをどんなことに使うの?みたいなことはまだ決まっていなくて、それは冒頭にもお話ししたように、この住宅の方の意見だけではなくてその周辺部にも影響を及ぼす大きな問題になってくるのではないかということを想像しています。私達、発起人になったのは、元々、かもがわデルタフェスティバルというお祭りをやろうということで集まったグループで、なぜそのグループが発起人になったかというと、お祭りをやろうということで集まったので、いろんな団体の方、この養正学区の各種団体連絡協議会の方も社協さんも、あとこの地元で人権運動されていた皆さんもいろんな方が加盟してくださっています。そうしたら、呼びかけ人として一番幅広く呼びかけられるだろうということで私達が呼びかけ人になっています。それでいろんな人、つまり、ここの住民だけではなくて周辺部にお住まいの方、もうちょっと遠くても、関心のある方、いろんな人に来てもらって、いろんな意見を出してもらいましょうというのが第一の目的です。
そして、いろんな意見を聞きながら、最後の方には、ディスカッション、ワークショップのような形で意見集約を図って、ある方向性が見えたらいいなと思っています。その方向性を京都市に提案したいというのがこの会の目的です。なので、何もまだ答えがないんです。どうしましょうとか、どうするという答えはまだ一切ないんです。
まずは、そのキックオフとして第1回目は団地再生計画がどうなっているかを知りましょう。そして今日2回目は、ここの市営住宅のことを知りましょうという趣旨でやりました。今おっしゃられたように、ここにはやはりそういう歴史があるのでそれを知らないで議論をすることは難しいと思っているからです。
今後、回を重ねるごとに、先ほどお話も出ましたが、若い世代の人、これから10年後、20年後に社会の中心になっていかれる若い世代の方の意見を聞きたいとも思っていますし、また学識経験者の方の専門家の意見も聞きたいなと思っています。そういうものを聞いた上でいろんな人たち、いろいろまちづくりに一言言いたいという人たちにここに寄ってもらって、話ができたらいいなということを考えています。浅井さん何か補足あったら、よろしいですか。

浅井
僕の息子たちも、この学区から出ています。今後これから展開されるこの地域の再生計画は、自分のことの利益を求めるだけではない。引越しに関わるいろんな不安もいっぱいあると思います。それとは別に、この地域に住んでいる子供の世代や、孫の世代の、将来にわたるこの地域の人たちに(向けて)、どのような形でこの養正市営住宅の再生を進めていったらいいのかということを求められていると思います。
もしこの地域がすごく魅力的な土地になることができれば、子供たちも帰ってくる可能性も高まるだろうし、この地域が僕も好きで、この地域に愛着を持っているから、自分の利益を求めて不安がるだけではなく、この地域の次世代の子供たち、孫の世代に良いものを残せたらなという思いが強いです。僕も今後20年、30年生きられるはずはないですが、だから今生きているうちに、この地域をなるべく魅力的な土地にもしできるならば、子供や孫も帰ってくる可能性も高まるというのを期待しながら、次の世代に良いものを残しておきたいという気持ちです。
みんなそれぞれ、いろんな意見があります。この同和地域にお住まいだった方も、持ち家に住んでいた人もいたし、借家に住んでいた人もいた。その両者の違いは大きいものがあります。思いも違うと思います。だから一人一人意見が違って当然で、それを認め合っていく、尊重し合っていくというのは、多様性を尊重しながらやっていこうというのがデルタフェスティバルの目的の一つでもあるので、お祭りをやりながら、いろんな人のいろんな異なる意見を共有しながら、気持ちを分かりながら、将来に向けてどうしたらいいのかいう話だと思います。今住んでいる方の思いは大事にするのは当然です。

参加者A
一番に言いたいのは、私たちは、同和、部落、その言葉からいつ解放されるんですか。結局はそうでしょう。ずっと。子供や孫が帰ってきても、この地域は部落。今は(京都市側は)同和対策とかいう言葉を使わないけど、やっぱり同和、改良住宅(という言葉は)、一生ついてくる。
だから、娘息子や孫がここに住みたいと言っても、養正小学校で朝もご飯を出して頑張っていこうと思っても、私たちは孫の代までこの言葉から解放されない。それは私らが決めることではなくて、周りの人たちに(そう思われる)。

参加者G
でも、ここにいらっしゃる20代の方は同和ということは初めからご存知でしたか。住んでいない方にしても。
私はもうどんどん薄れていっていると思うんですけど、20代、30代の方はどれぐらい最初から同和ということをご存知でしたか?

浅井
ここに住んでいる方に関しても、いろんな人がいるんです。
ここに生まれ育っている人もいれば、他府県から移住してきた人もいるし、その人たちでもう本当に落差が大きいです。

参加者H
私はここに70年住んでいますけど、同和という言葉は聞いたけども、気にはしなかった。
小学校の頃、まだ建物(市営住宅)がない頃に遊びに行ったことがあるんです。狭い路地で、言い方悪いけど、うわ、すごいところに住んではるなと感じただけで、別に学校でも、言い方が悪いけど、同和の人もいれば、それ以外の方もおられるし、基本的には差別とかの考えはなかったです。一部の親は、あの子はって指をさす人も実際いるけど、そんな差別意識とか、僕自身は意識なかったし、みんなもないと思っています。
もう一つだけ。新しい棟を建てる話で、基本的に1人用、2人用と、3人用と3種類あって、3人用が60平米と(書類に)書いてあります。これは狭い、絶対に。これでは、結婚して子供ができて、20年後に今度子供が大きくなって結婚しようと思ったら出ていかないといけないでしょう。最初から住むところがない。それでは街は絶対廃れるよ。次の人(新しい人)が住めないから。子供も(狭くて住めなくて)出て行ったら、新しく作る建物も、10年後、20年後にまたゴーストタウン化しますよ。
90平米ぐらいの、家族3世代が住めるような部屋を作らないと絶対にいけない。それと単身者用に、90平米を作って、中間に仕切りを入れて4畳半ぐらいにして、学生さんなんかがシェアハウスして4人で暮らせるようなのを作ったら、若い人も増えるし、例えば大学生だったら4年間住んで、あと何年間かプラスアルファして京都市から通勤したら市民税も増えるし、結婚したらまた残りの3人が住めて、永住のローテーションが組めるでしょう。年寄りもシェアハウスで、4人の年寄りがお互いに見守りながら暮らせるし、そうしたら、介護保険料も減ります。
だからもっと広い部屋を作って、3世代がちゃんと進めるような構想でやらないと、絶対いけない。京都市が決めたというけど。

浅井
住宅に関しても、その年代年代というか、ときが経つにつれて変わってきます。僕も前から京都市の住宅の方に言ってますが、二つの家を、間の壁をぶち破ってそれを一つにして広い家にするとか、将来のニーズに合うような形に変えやすいような設計を最初からするべきではないかという話をしています。今、日本全国どこの団地でも高齢化と老朽化でもうボロボロになって、使い方が分からないというようなところが出てきてるから、その時代に合うような形で自分たちで変えられるというようなことをすべきだというふうには言っています。建物の内装は自由に変えられるようにして、そのときに、その時代時代に合うような、若い世代に求められるようなものに作り変えることができることも可能ですよというような共同住宅にすべきだと思います。そうでないと、アパートを建てたけど、20年後、30年後になったら誰も住みたくない、使いたくないというものばかり増えていくのも、税金の無駄だと思います。
だから、今までデルタフェスティバルの実行委員会では、活用予定エリアをどうするかということだけで絞ろうとしてきていましたが、住民さんの意見を、どれだけ力になれるかどうか分からないけど、サポートしていく必要はあるとは思います。

参加者I
高野の方に住んでいて、普段は大学に勤めている、団地やニュータウンの計画に携わってきた技術者でございます。
その立場からいくつか申し上げたいのですが、一つは、この会自体の性格をきちっと明示して議論のルールを定めた方がいいと思いました。例えば、個別の住宅の話の要望の話をする場ではないよみたいな話がありましたが、大きな街の話をするところだと思いますけど、そういうことで出てきた言葉を、ここですることではありませんと言ってしまったら話が終わってしまうので、ちゃんと基本的には何でも言えるというようにするとか、あるいは話を最後までちゃんと聞きましょうとか、そういうルールをきちっと決めて前に出した方がいいのではないかという気がしました。この会の性格と議論のルールを定めてそれを共有した上で議論するというふうにしていった方がいいのではないかと思います。
もう一つは、この地域にこれからどんどん新しい人たちも入ってくるだろう。若い人たちも来てほしいというお話もあったので、おそらくそういうまちづくりになっていくのかなとは思いますが、街のイメージをかつてのものをなくして綺麗さっぱり完全に変えてしまっていいのかどうかというのは非常に難しい議論になると思います。両方のお話が出ていますが、ここで元々土地を持っていたりお家を持っていたりした方もいらっしゃる、それから建て替わってからも、いろんな街の景色があって懐かしく思っている方がいるというのは、これは絶対に大事にしないといけないことだと思います。
私も今URと言われている、かつての住宅公団で働いたこともあるのですが、団地を建ててもう50年ぐらい経って、建て替えないといけないというのが、やはりURでもあります。そのときに最近はどういうことをやっているかというと、建て替えたときに(仮住まい先から)戻ってきて、見たこともないつんつるてんの街になってたいらもうどうしようということになるわけです。ですから、建て替える前に、あの木にすごく思い出があるんだとか、あそこの角にあったこの地蔵さんが(思い出がある)とか、ここのところにあった石垣みたいなものがすごく懐かしいんだとか、全部徹底的に聞いて、計画に活かせる、活かせないはあるかもしれないけれど、そういう環境資産調査というのを行ってその次の建て替え計画に反映させるということを今やっています。
それと同じように、ここでいろんな声が出るのはとても大事なことなんですけど、この街の中にどんな思い出があって、皆さんが何を大事に思ってきたのか、何を残したいと思っているのかを、ちゃんと皆さんの話を聞いた上で、ぼんやりした要望ではなくて、設計に落とし込めるような形で設計者に伝えなきゃいけない。そういうことが必要なのではないのかな。私も隣町から来ていますが、ここにお住まいの方が何を大事に思っているのかということが次のこの街の個性にも繋がっていくことですから、それをきちんと踏まえないといけないのではないかなとは思います。
ですから、隣町から来た人とここにお住まいの方の話を完全に平等に扱ってしまうのではなくて、ここの主体として生きてきた人たちが何を大事に思われてきたのかという声をきちんととどめなきゃいけないのではないのかなと思っています。都市計画やまちづくりでもそのような議論があろうかと思います。
ここは楽しい議論をする場所なんだろうなと思いますけれども、市に要求を付きつけたりする場所ではないのだろうなと思いますけれども、一つ絶対に約束しなければいけないことがあると思っていて、それは活用エリアのことです。活用エリアをこれからどう使うのか、楽しみな夢のある話かもしれませんが、そこの土地をお持ちだった方もいらっしゃるわけです。そこのところに、例えばこの会と無関係に、どこかのデベロッパーに売ることにしちゃいましたとか、そういう話が突然降って湧いてきたら、これは怒らなければいけないと思います。絶対に。前回のこの集まりのときにはそこの方針は出ていませんと、市役所(の方は)言いました。僕はその時にそこがどういう使われ方をするのか、施設内容だけではなくて、このまちづくりの中でそういう施設がどう活きるのかというマネジメントの話もちゃんとしていかなければいけませんよねという話を市役所の方を交えてしました。その話の上にこの会はあると思っているので、これを無視してどこどこのマンション業者に売ることにしましたとか、どこどこの、あの有名なスーパーマーケットにいきなり来てもらうことにしましたという話になったら、これは怒ってもいいのではないのかなと思います。
ですから、まちづくりについては、市役所も勝手にやっていくのではなくて、ちゃんと意見を聞いてくださいねという話を、正直に話してくださいねという話をしていかないといけないと思っています。きつい要望とかをする場ではなくても、これだけは約束なんだと思います。

参加者B
今ほとんど言いたいことを言ってくださったところもあるんですが、そもそも、もちろん未来の話をするんですよ。いい街ってどんな街って、皆が安心して暮らしていける街ですよね。歩けなくなったときや、お金がなくても面倒を見てもらないような街じゃなくて、安心してずっと生きていける街ですよね。
そこは、そもそも、改良住宅を作るときも、皆さんの要望がどれだけそこに反映したのか、地元の人の声がどれだけ活きたのかということの検証もいると思っていて、つまり住んでいる人たちが自主的に自分たちで決めてこれたのか、住民自治があったのか。もしなかったとしたらそれはなぜなのか。それはやっぱり差別があったから。これは過去を振り返ってばかりなのではなくて、その中で生きてきた人たちの声の中にヒントがきっとたくさんあるはずです。これから先、孤立無援になったり、お金がなくなって不安な思いをしたり、病気になったり、誰しもに起きるときに、どうやったら安心して生きていけるというところを考えるときに、やっぱりたくさん声を聞くこと、そして、こういう場所だからこそそういう人たちが、別に部落の人とか部落じゃない人とか関係なく、みんながよりどころになるようなシンボリックなものを作っていけるかもしれないわけです。住民自治があったのか、そういう検証はぜひしてほしいです。
最初に私がちょっとエキサイトしてしまったのは、ここはそういう話をするところではないですなんて、そういうことは本当に言わないでいただきたくて、何でも言っていい場なのか、または、いやいや、これはこういうことに特化して話をする場ですよというふうに区切られるのか。区切ってしまわれるなら、別で作ります。そういう場所を。そういう話になるでしょう。信頼をして、みんなの声を聞いてくれると思って信頼をして集まっているんです。なので、そういう話はよそでしてくれなんてことはもう二度と言わないでいただきたい。さっきおっしゃったように、どういう場所なのかというのはしっかりもう一度練り直して提示して欲しいなと思います。よろしくお願いします。

参加者J
養正学区に住んで40数年、京都に来て50年経ちました。子供たちは、上の子は養徳小学校、下の子は養正小学校に通っていました。
今や一学年20人の1クラスと。運動会も、学習発表会もすごく寂しいだろうなと思います。せめて2クラスか3クラス。うちの子たち(の時は)は3クラスでした。活気のある小学校であってほしいなと。みんなで育て上げるような。そのようなことを考えると、儲けのための商業施設とかイベント施設とか、京都はそういうのがすごく好きですけど、そんなのいりません。
今時の若い人は非正規で働いていて、生活が大変。それはそれで問題があるけれど、あそこは定額で入れるというような住宅をたくさん建てて欲しいと思います。駅も近いし、仕事に通うのにもとてもいい立地だと思います。周りには緑がいっぱいあるし。そのようなところで儲け本位の、さっき言っていたようにどこかに売り飛ばすようなことはやめてほしいなというのと、あと災害時のことを考えると、この間養正小学校に防災の研修があって行ったのですが、もうとてもじゃないけど、どんどん高齢化が進んでいる地域にたったあれだけの広さだと(災害時の避難場所としては狭すぎて)役に立たない。だからそういう(避難場所になるような)建物がたくさん欲しいと。
さっきご要望で3世代同居と言っていましたけれど、これからの若い人たちがそれを望むかどうかという問題もあるので、まあまあよく考えないといけないとは思うのですが、いざそうなったときにこの地域を離れずに、老後も最後までそこで過ごせるような、そういう介護施設とかをもう少したくさん作っておけば、災害時でも、ここのホール(高齢者ふれあいサロン)とかも活用できるとか、そういうことが考えられると思いますので、ぜひそのようなことも考えてほしいなと思います。
それともう一つ、今度建てると言っている住宅は改良住宅なのか、それとも公営住宅なのか、どちらなのですか?以上です。

京都市の方
今回、改良住宅を建て替えた後は、更新住宅という名称となります。なぜそういう名称になるのかといいますと、先ほど西村さんが説明されたように、公営住宅は公営住宅法、改良住宅は住宅地区改良法によりそれぞれ建設されており、法においてそのような名称が記載されているからです。今回の建替えについては、国の補助要綱に基づいており、要綱において更新住宅と記載されています。
私から説明いたしますと、どうしても堅い話になってしまいますが、そういう意味で、 公営住宅ではありません。

Q. ということは改良住宅の継続ですか?新たな人は入れないということですか?

京都市の方
今回の改良住宅の建替えによって、現在、お住まいの方に優先的に入居いただきます。公営住宅の建替えについても同様で、現在、お住まいの方に優先的に入居いただいています。

参加者K
私は隣町から来ています。言葉の遊びをされているような感じに聞こえてくるのですけど、改良住宅から更新住宅とおっしゃったけど、更新住宅の法的な根拠は何ですか?
私は部落問題研究が専門外ですので、おっしゃっている意味が全然分からない。更新住宅って何ですか?

京都市の方
(今回の建替えにあたって、)国の補助要綱には更新住宅の名称となっていますが、その要綱に更新住宅という名称が入っているということです。

参加者K
改良住宅法ではないのですか?

京都市の方
住宅地区改良法ではありません。 住宅地区改良法により改良事業を実施していましたが、今回の建替えの根拠が国の補助要綱に基づいているということです。

Q. それはつまり、改良住宅ということは、外部から人が新たに入れないということなんですか?

京都市の方
外部からというか、 現在、 お住まいの方がいらっしゃる住宅が老朽化等していますので それを建て替えるのが今回の趣旨です。 公営住宅の場合も建替えをしています。 その場合も、現在、 お住まいの方は、建替え後に入居していただくというところは同じです。

若井さん
すみません、ちょっと口を挟んで申し訳ないのですけれど、(京都市の)住宅の方がおっしゃったのは、要するに、国からお金を取るためにやっている話なんです。京都市のお金は絶対出ていないんです。だから国に申告しないといけないので、国の法律にのっとって、物事を走っているということです。だから国のお金を少しでも頂かないと、京都市からは今のところ出ていないということで。

参加者A
それならそれでいいけれど、今まで条件をコロコロコロコロ変えましたよね。息子が結婚するときは過密で(入居は)駄目ですと言われたこともある。過去。
今後どうなるんですか。うちの孫が一緒に住んだとしますよね。私はもう年いっているから死にます。そうしたら孫は3親等になりますよね。

京都市の方
承継届がありますので、詳細については、公社に聞いていただいたらと思います。 ただ、言いたくないという訳ではないのですが、だんだんと細かい話になってきました ので、本日は(ミーティングのテーマに沿って、みんな)全体で話をしていきましょうということと思っています。今日は公社がいないのは確かで、私は団地を建て替える担当者ですから、個別の詳細な内容につきましては、公社にお問合せいただければと思います。

Q. 周辺の人が入りたいと言ったら入れるのか、入れないのかを答えてやれよ。

京都市の方
まずは、お住まいの方の分の建替えとなります。その後、空き部屋が出てまいりましたら、公募ということも当然有効活用という点ではあります。すみません。今日はオブザーバーで来ておりますので、私もフラットにいろいろなお話 をお聞かせいただこうと思って来ました。そのため、まさか、このようにお答えさせていただく場とは思っておりませんでした。(お答えさせていただきましたが)勉強不足のところがあったことにつきましては、申し訳ございませんでした。
本日は、皆さんのいろいろなお話をお聞きし、今後、担当として事業を進めていくにあたって、どのようなことができるのかなど思いながら来ましたので、そこはご理解ください。

参加者L
今の話を聞いていますと、建て替えの時はこの地域の中に住んでいる人しか入れない。
京都市では同和対策事業が終わりになって、属地属人という言葉を最近はあまり聞かないのですが、属地はずっとこの地域で残っていくんですか?
属地の人を今後の住宅の方に入れるとなれば、ただそこでまた属地がずっと続くんです。言葉では同和地域ではないとおっしゃるけど。そういうことを私は望んでいません。住んでよかったなと思う地域を私は望んでいます。長い歴史の中で苦労もあり、差別もいっぱいあった。でもこれから将来、若い子たちに夢を持たせる、住んでよかったなという、そういう地域をやっぱり私は望んでる。だからこの地域の中の人たちしか入れないとか、空いたら一般公募をやりますとか、そういうあいまいな住宅施策はやめてほしい。あなた(京都市の担当者)に怒ってるんじゃない。
住民の意見も何も聞かずに、勝手に耐震が持たないから建て替えますよというふうな、私たち住民が振り回されているような、そういう感じです。
今日は周辺の方の貴重な意見を聞かせてもらった。やっぱりこういうことを総合的に考えて、この街が良くなるようなことを考えていきたい。

参加者A
だからこの話し合いのたびに、公社の人がいるべきでしょう。

参加者K
すいません。途中で興奮してしまったので、話すことも全然話せてないので、簡単に言いますと、大事にしてほしいなと思っていますのは、京都市(の担当者)はやはりこのミーティングの中には必ず参加いただきたい。そこで答えられることがあれば、お答えいただく。答えることができないのなら持ち帰るという形で対応いただきたいと考えています。
それが一つと、それから前回の最後に、浅井さんもおっしゃってまとめていただきましたけれど、やはりこの地区に住んでいる方々の思い、それから、この地区を改良住宅型に作っていった行政の総括の視点を聞きたいとおっしゃいました。今半分ぐらいしか入居者がいないような地域になってきているということについて、京都市はどのような反省を持ってるのか、どのような評価をしたのか。あるいは内部的な検討をしたのかということを、住民に明らかにしていただくという作業がどうしても必要ではないかと思います。
京都市の方は、今日(この会の内容を)お持ち帰りいただいて、丁寧に、実はこういうことがまずかった、こういう問題が後で出てきたというふうな話も含めて、出していただきたいと思っています。(住宅を)作るのは京都市です。公営住宅であろうが改良住宅であろうが、作るのは京都市ですから、京都市がどう考えてるのかというのは、この会議のこれからに大きな禍根を残さないためにも、ぜひ一つ、行政の姿勢を明確にしていただきたいと考えています。

参加者M
京都府南丹市の同和地区で生まれ育って、その関係で部落問題の研究をしていて、養正がどう変わっていくかに興味を持って参加させていただいているのですが、僕からは一言だけ、一市民というか人間として感じたこととして、前回第1回で出た京都市の計画にどこまで住民の声が含まれているかが一番大事だと思っていて、もし含まれていないのなら、含む作業から始めないといけないのではないかな。それができてないから皆さんから拒否反応が出ているような気がしていて、それをやりながら、その上で、空き地ができそうというのをもう一回確認できたときに、こういう構成体で外部の人も入ってもらいながらどうするかというのを考えるといいのではないかと思いました。
なぜそう思うかというと、住まれている方には生活にモロに、いろんな楽しさもあるかもしれないですけど、(それよりも)住みやすさとかそういうことに関わってくると思うんです。本当に日常的な、ご飯を食べるとかそういうレベルのことで関わってくる話だと思うので、この前、住棟と住棟の間が離れたらコミュニケーションが取りづらくなるのではないかという意見も出ていましたけど、そういうことも本当は住民がもっと考えられる権利がないと、つまり居住の権利や自由に生きる権利をないがしろにされるということに、もしかしたら繋がるのではないかと思います。
ちょっとおせっかいかもしれないですけど、自分もそういうところで生まれ育っていろいろ見てきた中で、そういうところを大事にされる必要があるのではないかと思ったので、そこから今日みたいな話になったら、そういうことがちゃんと保障された上での議論(が必要)になるのかなと感じました。

参加者N
公営住宅か改良住宅かという話よりも、問題の根本は、こういう公的な住宅を増やしたくないと国の方が締め付けていて、京都市もそれに乗っている。だから今住んでいる人の分しか(お金を)出せないという制約が非常にあると思っています。法律を超えて。財政的な制約にもう少し余裕を持って建ててくれたら、入りたい人も入れるし、いろいろ解決するんですが、ギリギリ今住んでいる人の分しか建てられないので、いろんな愚痴を生んでいると思います。法律はある程度解釈のしようがあるのだろう。そういう財政的な締めつけをせずに、また公的な住宅を、もう絶対減らしていくと思うけど、そういう(公的な住宅を減らすという)固い決意を市とかが持って欲しくない。入りたい人がいて、安定所得の人もいっぱいいて、便利なところに立っているのだから、そこに住みたいという人をもっと入れてあげられるように余裕を持ってほしい。お金の問題もものすごく大きいと思うけど。

杉山
ありがとうございました。非常に貴重なご意見ありがとうございました。大変参考になります。
私達もビジョンを明確に、答えやゴールを持って今やれているわけではないので、できるだけこのような意見を聞きながら、軌道修正しながらいきたいと思います。
今回、(会の)ルールを決めた方がいいのではないかとか、会の性格をもう少し明確にした方がいいのではないかとかいう意見をいただきましたので、その辺をもう一度検討したいと思います。
今日は非常にフランクな意見をたくさんいただいて、とても良かったと思います。京都市の方も突然振られて、ちょっと申し訳なかったと思いますが、それでも正直な意見を言ってくださったので、オフィシャルな感じだと言えないこともあると思いますが、そうやって話し合いをすることがやっぱり大事かなと今日聞いていて感じました。
ですので、もう一度、今回やってみて軌道修正をしながらどういう会にしていくかということをまた、実行委員会の中で考えたいと思っています。
最後に浅井会長に締めていただいて、終会にしたいと思います。

浅井
今事務局長も申しましたように、今日は本当に、様々なフランクな意見を出していただきましてありがとうございます。
基本的には、改良住宅という名前かどうかは分からないですけど、今の住宅棟に現在お住まいの方を対象に、耐震で新しくするという考え方なんですよね。それは国からの補助金を有効活用しようというような流れの中で出てきていますし、京都市だけで言えば、公営住宅を新たに作るという方向ではありません。新しい住宅棟は今お住まいの方だけが対象ですが、それ(住棟が集約されること)によって、活用予定エリアと呼んでいる空き地ができるわけです。そこに民間のアパートや共同住宅を呼び込むことも可能ですし、それがいいのかどうかというのもありますけども、とりあえず市が公営住宅を活用予定エリアに作るということは、ちょっと考えられない。そこに民間の力を利用して、この地域に子育て世代を含む住民が増えるということが、僕たちは一番望んでいるところです。小学校の人数も減ってきていますし。そういうことを考えると、活用予定エリアについてはまだ全然未定ということを前回のミーティングのときに京都市側がおっしゃっていますので、そこをどのように街にしていってほしいのかということが最終的な目標です。
そこに至るまでにいろいろな思いのある方がたくさんおられますし、現在そこにお住まいの方はより強い気持ちがあるのは当然なので、そういう多様な意見をどのようにまとめ上げていくかという、難しいところではありますが、それをあえて挑戦するというか、やっていこうと考えています。
まだこのまちづくりミーティングのやり方に関しても全然決まっていることはなくて、皆さんの意見を聞きながら、随時それにふさわしいような形に変えていきたいと思いますので、どうぞご自由な、ご忌憚なき意見を伺うことがまず、第一になってきますので、今後ともよろしくお願い致します。今日は長時間本当にありがとうございました。


編集・文章構成:南 知明





かもがわデルタフェスティバル実行委員会 参加団体

(50音順)
京都学生演劇祭実行委員会
京都TeraCoya
左京西部いきいき市民活動センター(指定管理者:特定非営利活動法人劇研)
人権連
田中神輿会
特定非営利活動法人YTまちづくりの会
部落解放同盟田中支部
養正学区各種団体連絡協議会
養正学区社会福祉協議会
養正たすけあいの会

<オブザーバー>
鈴木暁子(京都地域未来創造センター)、吉田泰基(京都市まちづくりアドバイザー左京区担当)、京都市住宅室すまいまちづくり課



未来のまちづくりミーティング今後の予定
第四回 
2022年6月25日(土)14時から
左京西部いきいき市民活動センター高齢者ふれあいサロン(養正保育所向かい)

※第三回はすでに終了しています。後日、ミーティングの様子はnoteに掲載します。

テーマ・内容
・養正学区やその周辺地域で子育て中の方に、跡地活用への思いを聞く

第三回 5月開催予定 テーマ「団地周辺住民の声を聞く」 ※終了
第四回 6月開催予定 テーマ「子育て世代の声を聞く」
第五回 7月開催予定 テーマ案「若者の声を聞く」
第六回 8月開催予定 テーマ案「専門家の声を聞く」
 *9月、10月はかもがわデルタフェスティバル準備および開催のため実施せず。
第七回 11月開催予定 内容案「ワークショップを通じてより多くの声を聞こうその1」
第八回 12月開催予定 内容案「ワークショップを通じてより多くの声を聞こうその2」
第九回 2023年1月開催予定 内容案「ワークショップを通じて多くの声を集約」
2023年2月〜3月 「跡地活用に向けて地域からの意見書(仮)」作成予定


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