瀬川兄弟の考察、カポーティ的な共依存について ②
蒼も創也も言葉の人間ではない
通常、「ある感覚」というのを言葉に変換するとき、われわれはほとんど無意識に自らの無象の地へ触手をのばし、広大な暗がりをまさぐりながらそれに最も近い言葉を説明的な視点から選びとり、外界へと運んでいき、喉を通り、対象へ向かってこの唇を震わせる
その一連のダイナミクスの過程じたいが、表現として目に見えるかたちとなり、その形式でひとはひとを認識し、優劣をつけたり、受容したりする
が、かれらからは、この社会へのチューニングとでも呼ぶべき過程そのものが