どうしようもないからとにかく書く。さっき左腕の二の腕に自傷1回と、パニックで3回くらい吐いた。数時間前に食べた納豆や野菜などが少し消化された状態で出てきた。泣いたが号泣ではなくて、絞られるように落涙していた。身体が動かなく、意識がはっきりせず、考えることを強制的に停止させるために身体が拒否反応を起こしているようだった。死にたいというか、状況じたいに無理になった。自分の中に記録されてきた時間と、これから通過するであろう懐かしい記憶のようなものが両方向に伸びて、私的な一つの命とし
2019年 6月7日 (いとわへラインで送った手紙1) いとわとやりたい いとわとやりたい、今すぐやりたい、いとわ、いとわとやりたくて仕方がない、もうずっと会ってないよ、どこにいるの? 雨降ってる、雨が、空からね降っているんだよ 雨が 降ってるんだよ それがいとわの膣からでる液体におもえてきてぞわぞわする、匂いまでしてくる気がする 酸っぱい匂い、いとわの乳首を舐めたい、くちにいれたい、安心する、すごく安心する、 さっきLSDとガンジャ一緒にやった、もう辞めれない何?
i 忘 母 という主題で、ものを作り始めることを決めて 1年が経ってしまった ファッションショーというか 演劇のようなことをやると決めてからは、半年 結局いろいろあって 一年前の夏と 同じ場所に戻ってきたらしい いろんなものやひとが 離脱して 服だけがのこった そのあと まだ健康な関係性の 新しいひとたちに声をかけて 助けてもらった それでやることだけ先に決まった 11月2日 キャストは20人 演奏者は3人 か
真夜中の校庭に忍び込んで夏 冷水の代わりに夜気でいっぱいになったがらんどうのプールにダイブしようぜ こないだ 僕が疲れているように見えたのか僕のためにと言って八雲君が曲を弾き語った録音を送ってくれたそれを聴いた時たまんなくなって多分気づいたらプールサイドから飛び降りていた e の音の発声で3行目を終えるきれぎれな吐息の0.4秒に背を蹴とばされて 透明に透明な水下は 母を弔った夕暮れの浴槽まで繋がってた いろいろ思い出した いろいろ思い出
あんなに長い原稿を読んでくれて、ありがとうございます。 僕は今、助けられたような気持ちでいっぱいです。 こもさんになら変なバイアスなしに理解してくれるかなと思って、正直になんの言い訳もなくいいますが、この小説を書く前、これを書いて自殺しようと決めていました。でも、無理でした。書き終わった時にすべてを書いてしまって空っぽになりました。僕はいまでも空っぽです。22歳までに自分が見てきた何もかも、そしてこれから僕が通過するであろう風景に、言葉を使って意味をつけてしまったからです
あんまりよく覚えてないけれどクレヨンは空色がすきだった。 昔、僕はずっと自分のことを女だと思い込んでいた。鏡に映る男の顔面をそれが自分自身だとはとても信じられなくて、だから鏡のことを一切信用していなかった。それで僕は自分の顔を一度も見たことがないんだと母親に言い張っていた。 鏡という存在のまだ認めてないその時期、僕は僕自身のことをずっと、今よりずうっとよく知っていた。 その日、土砂降りの春の雨がやんだ。 園庭には水たまりがある。 僕はそらいろのクレヨンを濡らして自分の
服を作っている というかもうずっと長いことずっと 服を作っている から改めてそういうのも妙だと思う いつから服を作っているのか 何で 服を作っている のか よく 思い出せない 1着が仕上がる直前に いつも心がだめになって 次の服に取り掛かって また途中でだめになって それをなんどか繰り返して 病的な、性質の執着心で、ぜんぶ引き連れてしまって 4着くらい 同時に作ったりして そのどれかを完遂しても また新しく作り始めるから 永遠に果てはなく 果てはなく 充足も 安堵も
2019年 5月 (昔のブログからそのまま引用) 三鷹台行きの電車の中で母の声がしたとき僕はじぶんが本当に駄目になったのだと知った。 優先席に座っていた女に声をかけていた。吐き気を我慢するのに集中し過ぎて何て話しかけたのか分からないが自分が女の手を握って言葉を発しているということに、なんとなく、気づいていた。 女は何か短く叫び、隣に同伴していた長髪の男のひとの腕にしがみついた。その腕は濃い緑に覆われていて、最初それを絵の具か何かと思ったが、違う。皮膚が隙間なく墨で埋
2018年 8月 ( iPhoneのボイスメモ書きおこし ) 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いよ、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、 痛い、痛い、うでが痛い、うでが痛いよ、ほんとに、痛いよ、痛い、痛いよ、いとわ、いとわ、いとわ、いとわ、ねえいとわ
2017年 12月 (高二の頃の日記 十二月の頁) 皮膚をやぶかないようにそっと、あかいひだの向うに舌をいれる。 火花のように素早く喘いだ、そのこえが果たして千ちゃんのものか、いとわのものか、わからない。全身鏡に僕らの身体が敷き詰められて映ってる。僕はそれを尾を喰いあって繋がった三匹の蛇のようだとおもう。自分の身体がいったいどの部分なのか判別がつかない。 ついさっき千ちゃんに髪を引っ張られ、いとわの股の下に顔を押し付けられた。そのあと僕は反射的に舌をのばした。だから
My mummy's dead I can't explain So much pain I could never show it ( 僕のママは死んだ 僕には 説明できない こんなに大きな苦しみを ひとに話すことができなかった ) ー My Mummy's Dead (1970) / John Lenno
お元気ですか、と書き出せない理由が、僕があなたから見放された理由なのかもしれません あなたは僕を見放したとは思っていないだろうし 僕も頭ではそんな風に思っていません でも、心ではそう思ってしまうのです リュックサックにカーネーションを刺した男の人を眺めあなたのことを思い出して泣いた しばらく涙を流していなかった 自分をみつめることをやめたのではなく 離陸すべき地のない風の中では飛ぶことができないから だけど凪にしずかな海面のわずか1cm下はどろどろと赤く、変わらず赤
蒼も創也も言葉の人間ではない 通常、「ある感覚」というのを言葉に変換するとき、われわれはほとんど無意識に自らの無象の地へ触手をのばし、広大な暗がりをまさぐりながらそれに最も近い言葉を説明的な視点から選びとり、外界へと運んでいき、喉を通り、対象へ向かってこの唇を震わせる その一連のダイナミクスの過程じたいが、表現として目に見えるかたちとなり、その形式でひとはひとを認識し、優劣をつけたり、受容したりする が、かれらからは、この社会へのチューニングとでも呼ぶべき過程そのものが
はじめてかれらをみたとき、何というか、極限まで吸った煙草の先の火の、ゆらめきの、その消えかかる一瞬間を引き伸ばしたみたいな奴らだと思った というのは、ちょっと、個人的な想像力が働きすぎていて興醒めされるかもしれないが、みょうにふしぎな目、4つの目、一切のバイタリティというのを欠きながら辛うじて消失せずにこの世に残り続けてるような、目 ほんとう、きれいだとおもった 顔とか身体でなく、おそらく目つきというのから発せられる、存在じたいが。取り立てて強靭な存在感などでなく、むし
なぁ・・ な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ すくわれるかな ぼくは、すくわれるかなぁ なんも 言葉が でないな てめえ 殺すぞ 2020年から たしか 3年くらい 目深に被ったマフラーは、 母の匂い、 あかいフリンジと、 うすぼこりのつめたさした、くらがりの、 中へ、引き篭もって ずっとおれは小説を 書いていたな 言葉の中にいて 身体を忘れてきってた あのとき、死を知ってた それから2022年ごろの、