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LSD finally report (2019年 6月7日)
2019年 6月7日 (いとわへラインで送った手紙1)
いとわとやりたい
いとわとやりたい、今すぐやりたい、いとわ、いとわとやりたくて仕方がない、もうずっと会ってないよ、どこにいるの?
雨降ってる、雨が、空からね降っているんだよ 雨が 降ってるんだよ
それがいとわの膣からでる液体におもえてきてぞわぞわする、匂いまでしてくる気がする
酸っぱい匂い、いとわの乳首を舐めたい、くちにいれたい、安心
落涙とイマージュと射精
あんまりよく覚えてないけれどクレヨンは空色がすきだった。
昔、僕はずっと自分のことを女だと思い込んでいた。鏡に映る男の顔面をそれが自分自身だとはとても信じられなくて、だから鏡のことを一切信用していなかった。それで僕は自分の顔を一度も見たことがないんだと母親に言い張っていた。
鏡という存在のまだ認めてないその時期、僕は僕自身のことをずっと、今よりずうっとよく知っていた。
その日、土砂降りの春の
LSD finally report (2019年 5月)
2019年 5月 (昔のブログからそのまま引用)
三鷹台行きの電車の中で母の声がしたとき僕はじぶんが本当に駄目になったのだと知った。
優先席に座っていた女に声をかけていた。吐き気を我慢するのに集中し過ぎて何て話しかけたのか分からないが自分が女の手を握って言葉を発しているということに、なんとなく、気づいていた。
女は何か短く叫び、隣に同伴していた長髪の男のひとの腕にしがみついた。その腕は濃
LSD finally report (2018年 8月)
2018年 8月
( iPhoneのボイスメモ書きおこし )
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛いよ、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、
痛い、痛い、うでが痛い、うでが痛
LSD finally report (2017年 12月)
2017年 12月 (高二の頃の日記 十二月の頁)
皮膚をやぶかないようにそっと、あかいひだの向うに舌をいれる。
火花のように素早く喘いだ、そのこえが果たして千ちゃんのものか、いとわのものか、わからない。全身鏡に僕らの身体が敷き詰められて映ってる。僕はそれを尾を喰いあって繋がった三匹の蛇のようだとおもう。自分の身体がいったいどの部分なのか判別がつかない。
ついさっき千ちゃんに髪を引っ張ら
LSD finally report (2017年 4月 ー 7月)
My mummy's dead
I can't explain
So much pain
I could never show it
( 僕のママは死んだ
僕には 説明できない
こんなに大きな苦しみを
ひとに話すことができなかった )
ー My Mummy's Dead (1970)
vinyl letter
お元気ですか、と書き出せない理由が、僕があなたから見放された理由なのかもしれません
あなたは僕を見放したとは思っていないだろうし
僕も頭ではそんな風に思っていません
でも、心ではそう思ってしまうのです
リュックサックにカーネーションを刺した男の人を眺めあなたのことを思い出して泣いた
しばらく涙を流していなかった
自分をみつめることをやめたのではなく
離陸すべき地のない風の中では飛ぶことが
瀬川兄弟の考察、カポーティ的な共依存について ②
蒼も創也も言葉の人間ではない
通常、「ある感覚」というのを言葉に変換するとき、われわれはほとんど無意識に自らの無象の地へ触手をのばし、広大な暗がりをまさぐりながらそれに最も近い言葉を説明的な視点から選びとり、外界へと運んでいき、喉を通り、対象へ向かってこの唇を震わせる
その一連のダイナミクスの過程じたいが、表現として目に見えるかたちとなり、その形式でひとはひとを認識し、優劣をつけたり、受容した
瀬川兄弟の考察、コクトー的な共依存について①
はじめてかれらをみたとき、何というか、極限まで吸った煙草の先の火の、ゆらめきの、その消えかかる一瞬間を引き伸ばしたみたいな奴らだと思った
というのは、ちょっと、個人的な想像力が働きすぎていて興醒めされるかもしれないが、みょうにふしぎな目、4つの目、一切のバイタリティというのを欠きながら辛うじて消失せずにこの世に残り続けてるような、目
ほんとう、きれいだとおもった
顔とか身体でなく、おそらく目