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「生きててよかった」と「生まれてきてよかった」は違う
満男が寅さんに聞くんだ。
「伯父さん、人間てさ、人間は何のために生きてんのかな」
すると、寅さんはこう答える。
「難しいこと聞くなぁ、、
何というかな、
あぁ、生まれてきてよかったなって思う事が一生に何べんかあるじゃない
そのために生きてんじゃねぇか」
『男はつらいよ 第39作 寅次郎物語』より
何かがぶっ壊れた今の世の中に心許なくなり、何のために?って疑問が止まらなくなってた。そこを掘り下げていっても、一向に出口が見えない。果たしてこれは、言葉にするべきことなのか?わたしがしたいことなのか?
*
「生まれてきてよかった」
と
「生きててよかった」
は、ちょっと違う。
「生まれてきてよかった」には、ちっちゃい自分なんかでも、なんとか歩んできたこれまでの時間への慈しみがある。そして、自分に対しての視線が少し客観的だ。広がりを感じる。
「生きててよかった」は、なんだか死がわるいみたいだ。実感は強そうだけど、その強さには弱さや何かに怯えている感じがある。内へと向かっている。
死ぬときに「生きててよかった」とは言えないけど、
「生まれてきてよかった」とは言えるかもしれない。
「生まれてきてよかった」と言えるなら、いつそれが訪れてもいいかもしれない。向こうからやってくるなら。
*
今日、仕事場からガラス越しに見えた木々の緑と、幹にうっすらと色味を足す苔が美しくて美しくて。
光も柔らかく差し込んで、風が吹いてた。
ふっと思考が止まった。
ただ、静かだった。
別に、この瞬間 ”生まれてきてよかった” と感じたわけではない。
視線をちょっとガラスの向こうにやったことで、思わぬ静けさが心に訪れただけだ。
どこを向いているか?
人や言葉や自分に向き合い続けることは、しんどい。
風見鶏のようにくるくると向きを変えてみたり、
ぽぽちゃん人形みたいに簡単に目を閉じてみたり、
久しぶりにスキップしてみてもいいかもしれないし、
ベビースターを袋から口に流し込んでみてもいい。
固まらないために、自分に差す油のレパートリーは広げておきたいなと思う。
気休めかもしれないけど、寅さんのセリフには何とも言えない真実味がある。
欲張るんじゃないよ。
人間なんて、ちーーーーーーーっちゃいんだから。
「あぁ、生まれてきてよかったな」って思える時がきたらラッキー、くらいでいいのかもなぁ。
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