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カレーライスを一から作ったら

夏休みに読むべき本に出会った。その名は『カレーライスを一から作る』。到底ひと言では語り尽くせない、考えさせる一冊だった。

タイトル通り、必要な材料をすべて「一」からのカレーライス作りに挑んだ人たちの記録である。


舞台は武蔵野美術大学。探検家であり、医師で、武蔵野美術大学の文化人類学で教授をしていた関野吉晴さんが計画したことから始まる。

カレーライスを作るとしたら、まずどうするか?

私ならスーパーに行ってカレールーと食材を買う。そして、調理を始める。しかし、関野さんが提案する「一」からのカレーライス作りは違った。

もっと最初、スーパーで材料を買う前から作る。

だから、食材は自然の中からとってくるか、一から育てるか。スーパーの売り場ではない"食べ物の始まり"をたどることがこのカレーライス作りのルールだ。

この1年かけたカレーライス作りを通して、問題にぶつかりながら、悩み、葛藤し、答えを導き出していく学生たちの姿は、普段は気に留めることのない、たくさんの「気づき」を与えてくれた。


最初の「気づき」は、

自然があって、人間が成り立っているということ。

「一」から作るということは、食材の野菜を種から育てたり、鶏肉を食べるためにヒナから育てたりすることだ。自然が生み出す種や命がなければ、カレー作りは始まらない。人間は何もない「ゼロ」から生み出すことはできない。それに気づくと、世界の見え方が変わる気がした。


次に分かったことは、

野菜に、スパイス、お米、植物を種から食べられるまでに育てるには、膨大な時間と労力がかかること。スーパーに並んだ野菜からは、こんな当たり前が想像できない。

肉もそうだ。

綺麗にカットされた肉を見るだけでは、生きたままの牛や豚を、私たちが食べられるように加工してくれる人たちの存在を忘れてしまう。

芝浦屠場で働く職人さんの話で、

屠畜という仕事についての「気づき」があった。

屠畜とは、家畜農家が大切に育ててきた動物を預かる責任ある仕事であること。肉質を落としてはいけないという緊張感の中で、働いていること。

だから、職人さんは、何年も時間をかけて技術を習得する。その現場は厳しく、つねに危険と隣り合わせだ。


この本を読んで、

なにより感じたことは命の重みについてだった。

カレーライス作りの終盤、育ててきた鳥を殺すかどうかの話し合いが行われる。

カレーライスの肉として学生たちは鳥を育て始めた。でも、ヒナから時間をかけて世話をしたことで、この鳥たちを「人間の都合で殺してしまっていいのか?」と疑問を感じる人が出てきた。

「鳥は、カレーの材料として育てたのだから、屠るべき」「食べるくせに、殺すことをいやがるというのはちがう」という意見が出る。でも、「かわいいと感じてしまう」「家畜として飼っていることを忘れていた」と鳥を殺すことに躊躇う声もあった。

それを聞いていた関野さんは最後、「ぼくらは命を食べないと生きていけないんだよ」と学生たちに伝える。

動物だけじゃなくて、植物にも命がある。

「人間に近ければ近いほど、可哀想とか、抵抗を感じる」けど、「植物だって生きている命」。「それは食べてもいいけど、動物だけは可哀想っていうのは僕はちがうと思う」。これが関野さんの意見だ。

命について考える時、自然と意識は動物にいく。

稲を刈ることはなんとも思わないのに、動物を傷つけることは酷いことだと思う。

でも、どれも命の重さは変わらない。

食べることは、命をいただくことだと気づく。

でもなぜか、鳥を屠る場面は、作物の収穫よりも深刻で、神妙な面持ちで読む私がいた。


きっとこの活動を体験した学生たちは、もっと大きくて、たくさんの「気づき」があっただろう。カレーライス作りに打ち込む人たちの姿が輝いて見えた。

でも、私にも気づくチャンスはあるはずだ。

日常には見えない最初。

「一」をたどる夏にしよう。