臼井隆一郎『コ-ヒ-が廻り世界史が廻る: 近代市民社会の黒い血液』
幸福なマルティニク? われわれはコーヒー栽培が人々に飢餓をもたらすコーヒー生産の原型的性格をジャワで見たことがある。「神々の食事」などといわれれば、むしろ「人々の主食」の方はどうなっているのかが気にかかるのである。
臼井隆一郎 著. コーヒーが廻り世界史が廻る : 近代市民社会の黒い血液, 中央公論社, 1992.10, (中公新書)
概要
商品としてのコーヒーの歴史。
コーヒーを軸として近現代を語る。
ポイント
イスラムのコーヒー文化に多くの紙幅を費やしている。スーフィズムの思想が神秘的で生産者も豊かで楽しそう。
ヨーロッパにコーヒーが伝播してからの植民地の様子がえげつない。
植民地を搾取して作ったコーヒーを飲みながら議論して生まれた自由平等博愛の理念が奴隷を解放したりする、歴史の皮肉が次々と押し寄せてくる。
「素敵!」と「うわぁ……」が混然一体。世の中色々あり過ぎる。
新書で237ページ。細切れでも読める構成。
おすすめです。
内容について
コーヒーの本は、おおむね楽しいものです。コーヒー好きの読者を喜ばせるために知恵を絞って素敵なエピソードを集め、山羊飼いの少年が様子のおかしい山羊を追いかけてコーヒーの果実を発見する伝説や、芸術家が集まるヨーロッパのカフェ文化などを詰め合わせた本が出来上がります。逆に闇を暴く本も人目を惹きます。真実の世界はこうだ、裏ではこんなことが起きている、目を覚ませ。
本を選ぶことは、誰の目から世界を見るかを選ぶことでもあります。なるべく極端ではなく、夢見がちでも耽美的でもなく、かざりをそぎ落としてもなおドラマ性や美しさが立ち上がってくるなら最高です。
この本は、コーヒーという商品の歴史を現代文明の寓話として叙述しています。たまたま覚醒効果と常用性をもっていたある植物が人間の生活に入り込み、その性質ゆえに人間の思考をブーストし、執着の対象になり、世界を動かしていく、物語のような世界史です。物に意思はありません。コーヒーそのものがなにかを考えたり行ったりしているわけでもないのに、それに人間は翻弄されます。珍しい宝石や小さな指輪が多くの人を巻き込み世界を揺るがす物語のように。
コーヒーの発見からイスラム圏への伝播は夢のように描かれ、ヨーロッパで資本主義と植民地主義に結びついた途端、世界は暗転します。プランテーションの話は辛いです。学校の社会科で習っても、何がよくないのかあまりピンときませんでした。売れる作物をひとつだけ作って何が悪いと。でも仮に日本中の農地が全部単一作物になって、国内消費はゼロですべて輸出されて、食品は全部輸入する国になったら、そんなの嫌です。生態系は壊れて、農業にまつわる信仰も祭礼も消えて、ひとつしかない作物が凶作になれば経済的にもどん底。しかも奴隷もしくは近い立場で搾取や虐待。嫌だ。
少し気になるのが、コーヒー生産国が奴隷解放後に移民を受け入れるくだりです。日本人もブラジルやハワイに移民してコーヒー生産に携わった時代がありますが、奴隷を失った国に、有色人種の単純労働者として送り出された日本人移民の立場ってどうなの……
コーヒーの需要を喚起する手段としてのカフェが、16世紀の中近東で作られていたことも興味深いです。コーヒーを扱う資本家が、風光明媚な場所に豪華な建築でコーヒーを飲ませる「コーヒーの家」をカイロ、ダマスカス、バクダットなどの大都市に建てたそうです。
コーヒーの需要創出のためのカフェといえば、日本ではカフェー・パウリスタです。コーヒーの需要拡大を図るブラジル政府からコーヒー豆の無償供与を受け、1911年に銀座に1号店をオープン。パリの「カフェー・プロコープ」を参考に作られた白亜の洋館で、他店では1杯30銭ほどだったコーヒーを1杯5銭で提供して評判を呼びました。(1)
はじめてパウリスタを知った時は、資本投下の大胆さに驚いたものですが、前例があったんですね。
1992年発行なので古さはありますが楽しい本です。おすすめです。
(1)中村英里 , 「鬼の如く黒く、恋の如く甘く、地獄の如く熱きコーヒー」文豪にも愛された現存最古の喫茶店、カフェー・パウリスタ , 和楽web , 2021.04.25 , 閲覧日:2024/09/28
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