見出し画像

物忘れ

『FlyFisher』2013年10月号掲載

最近物忘れが多い。先日は車で走り出した時に普段よりエンジン音が大きいなと思ったらリアドアを全開にして走り出していた。川に下りてから偏光グラスを忘れたり、キャンプでガス缶を忘れコンビニのおにぎりで夕食を済ましたりと、細かい物忘れを上げたらキリが無い。
アワセそこなったイワナもフライに出た事なんてすぐ忘れてしまってくれればいいのに。

「忘れる」と言えば、『インセプション』『ダークナイト』などの監督クリストファー・ノーランの出世作『メメント』を思い出す。
主人公レナードは妻を殺されたショックで記憶障害になり、今起こったことを10分しか記憶に留めることができない。犯人を探す手がかりをポラロイドやメモ、そして自らの体に刺青として記録していく。以前に出会った知り合いでも忘れてしまうので、レナードに近づく人間は協力者なのか、それとも利用しようと企んでいる人間なのか判別できず全てが疑わしい。そんな暗闇を手探りで進むようなストーリーをなんと時間を遡ってゆく構成で物語は進む。観客は状況を理解できずに観る事になるが、それこそ記憶がこぼれ落ちてゆくレナードの苦しみを体感することになるのだ。
とてもトリッキーな構成ながら記憶障害を疑似体験できる意味でも画期的な映画である。この映画では記憶というものがとても曖昧で、他人から、そして自ら都合の良い記憶に変えられることを描いている。そしてこれは有名なフィリップ・K・ディックの小説のテーマにも非常に近い。
 映画『ブレードランナー』の原作でもある、彼の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は僕の好きな作品だ。核戦争後の荒廃した未来を舞台に、植民惑星を脱走した8人のアンドロイドたちをバウンティハンターのリックが追う。小説の中でのキーはやはり「記憶」だ。
主人公リックは追うべきアンドロイドと接するうちに、自らもアンドロイドかも知れないという疑念を持つ。自分が作られたものだとすると、今の記憶は偽物なのだろうか、それとも本物であるならばやはり自分は人間なのだろうか。本物の記憶と偽物の記憶という関係、限りなく本物に近い偽物の記憶は果たして本物ではないのか?。そんなテーマの作品を数多く世に送り出した故フィリップ・K・ディックは、『われはロボット』のアイザック・アシモフや『2001年宇宙の旅』のアーサー・C・クラークといった偉大なSF作家と並び称される今でも人気のSF作家である。

また、押井守監督のアニメ映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』のあるシーンでは、犯人に協力していた男の記憶が実は他者から植え付けられたものであり、その真実を知らされた本人が呆然とする。可愛い子ども、愛する妻、男にとって生き甲斐であった現実が全てが嘘だったとき、それはこの世界に自分が存在していなかったのと同じだ。これもまた非常にディック的なシーンだ。

 先日、車で別のポイントに移動して川に下りようとしたらロッドが無くなっていた。そして前のポイントから現在のポイントまでの記憶を辿ると、ロッドを車の屋根に置いたところまでは覚えていたが、その後の記憶が無い。慌てて前のポイントに戻るも、途中の道路には元ロッドだったと覚しきいくつかの棒切れが……。
ロッドを車内にしまった記憶は無い。かといって、たしかに屋根に出しっぱなしにしてしまったという確固たる記憶もない。
記憶に無いならロッドは存在しない。僕は何も失ってない……のか?


『メメント』
2000年 アメリカ
監督:クリストファー・ノーラン
出演:ガイ・ピアース、キャリー=アン・モス

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
フィリップ・K・ディック/著 浅倉久志/訳
ハヤカワ文庫 799円 ISBN:978-4-15-010229-6

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
1995年 日本
監督:押井守
出演:田中敦子、大塚明夫、山寺宏一


最後までお読みいただきありがとうございました。 投げ銭でご支援いただけましたらとても幸せになれそうです。