カクカタリキ

「自分を知る。価値を知る」 日々の気づき。備忘録。自分を大事にするということ。

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  • 【無料記事】自分を好きになるヒント【まとめ】

    日々のちょっとした気づき記事(無料)をまとめたものです。

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はじめに

はじめまして。カクカタリキです。 このブログでは、私がこれまで心について学んだことや何気ない日常で気づいたことを書くとともに、大好きなゲームやアニメから感じたこと、気づいたことをトンデモ系も時折り混ぜながら、自由気ままにゆるーく書いていこうと思っています。 よろしくお願いします。 (noteの利用は全くの初めてなので試行錯誤しながら書いていきます。 こちらの記事も適宜加筆修正していくと思います。) ※20240316以下追記しました。 わたしのこと ゲームが好きな

    • 救われた言葉

      もう何年も『奇跡のコース』の学習から離れていますが、 私が特に印象的で、救われたアイデアがあります。 (本文の引用は許可がいるそうなので、以下掻い摘んで書きます) 私たちは[完璧な神]によって[完璧な存在]として創造されている 私たちの価値は[完璧な神]によって永遠に定められたものなので、私たちは自分たちの価値を変えることは絶対にできない それ故に、私たちが自分たちの価値を[それ以下のものである]と判断することは、[完璧な神]に対する異議であり、これは傲慢である 自分

      • 他人にとっては1/100,000,000、自分にとっては1/1

        とあるネット記事について。 某有名人がどこそこでこんなコメントをしました。という内容だったのですが、それについて、色々な意見(といってもおおよそが批判的なコメント)が寄せられていたのを流し読みしました。 その時、ふと言葉が浮かんできました。 「といっても(この某有名人の意見は)1億分の1なんだよな」 その瞬間、視界が開けて、心にスペースができたような感覚を感じました。 記事のコメント欄にあった、それはおかしいというような指摘や意見は、そのほとんどが冷静で真面目で正論の

        • 貴方が我慢することで手に入るものは

          貴方が我慢することで手に入るものは、 貴方が本当に欲しいものですか? 貴方が我慢することで手に入るものは、 貴方の今の辛さに見合ったものですか? 貴方が我慢することで手に入るものは、 今を犠牲にする価値があるものですか? 貴方が我慢することで手に入るものは、 本当に貴方を幸せにするでしょうか? 貴方はそれを手に入れるために、いつまで我慢するのですか? それは、今、貴方が幸せでいることよりも大事なことですか?

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        • 【無料記事】自分を好きになるヒント【まとめ】
          9本

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          恐れている未来を今受け入れる

          1週間ほど前のこと。 入浴中、ふと疑問が浮かんできた。 ああなったらどうしよう、 こうなったらどうしよう、 と恐れている未来を今、受け入れたらどうなるんだろう? あんな病気になるんじゃないか。 こんな死に方をするんじゃないか。 お金がなくなったらどうしよう。 仕事を辞めたらどうなるんだろう。 結婚出来なかったら。 子供が出来なかったら。 親が寝たきりになったら。 成功できなかったら…… 将来こうなるかもしれないという不安を感じているのは、 実は将来ではなくて、たった今だ

          恐れている未来を今受け入れる

          貴方が誰か何かを愛する時、全く同時に愛されている

          子どもの頃、とにかく母のことが好きだったことを思い出して、その満ち足りた感覚に浸っていると、フト思った。 この感覚は、愛されてると実感してる時と同じなのでは? その瞬間、理解した。 愛してる時、同時に愛されてるのだと。 私たちは自己と他者を別のものと認識している。 だから、愛することと愛されることも分けて認識している。 本来一つのものを分割されたものと思っている。 与えることと受け取ることは同じ、 与えると同時に受けとっている、 と『奇跡のコース』にもあるが、このこと

          貴方が誰か何かを愛する時、全く同時に愛されている

          君の代わりは

          「君の代わりはいくらでもいる」 実際に自分が言われたことがあるかもしれないし、そうでなくても、ドラマや漫画の台詞に出てきたり、他人が言われているところを見たり聞いたりしたことが一度くらいあるのではないでしょうか。 この言葉、自己価値と結びつけて真に受けるとすごく傷つきますよね。 自分という存在を否定されたような。 自分の代わりはいくらでもいる。だから自分には価値がないのだ、と。 替えなどいくらでもきくのだと。 私もかつてそう思っていました。 でも、最近ふと気づいたんで

          君の代わりは

          自分を好きになる方法

          自分を好きになるって実はとても簡単です。 自分に条件をつけない。 たったこれだけ。 何それ、どういうこと? と思われるかもしれません。 別の言い方をすると、 私たちは条件さえつけなければデフォルトで自分が好きなんです。 なので自分を好きになるために達成する必要のあることは本当は何もないんですね。 何言ってるのかよく分からないよ、という人には、ちょっとした質問をします。 自分自身について、好きなところ、嫌いなところを思いつくまま書いてみて下さい。これ以上もう何も書け

          自分を好きになる方法

          仕事を辞めたいのに辞められない!なら⚫︎⚫︎を辞めてみる

          仕事を辞めたくて辞めたくて仕方がない。 こんな状態になってかれこれ6年になるんですが、 そんな中、仕事中唐突に思いついたこと。 仕事を辞めることよりも自分を辞める方が手っ取り早いのでは? 自分を辞める。 仕事が嫌な自分。 何故ここにいるのか、何のためにこんなことしてるのか分からない自分。 息苦しさ、居心地の悪さを感じている自分。 不自由を感じてる自分。 大事にされてないと感じる自分。 徒労感を感じる自分。 無価値感を感じる自分。 苛立ちを感じる自分 仕事を辞めたくても辞

          仕事を辞めたいのに辞められない!なら⚫︎⚫︎を辞めてみる

          鬱を振り返って

          「もうすっかり良くなったな」 「やっとここまでこれたな」 と思えるまで鬱から回復して、かれこれ10年になります。 鬱病だった当時は、ただ存在しているだけで地獄。 何をしていてもしていなくても地獄。 という感じでした。 生きてることそのものが苦痛でしかない。 五感を閉ざしているような感覚。 何も感じない無感覚な日々。 入れ替わりやってくる激しい怒りと憎しみ、殺意。 そして燃え尽きて、死んだようになる。 その繰り返しでした。 生きる屍とはこういうことをいうのだ、と思いました。

          鬱を振り返って

          怒りも悲しみも

          怒りも悲しみも、苦しみも痛みも本当には共有できない。 何故ならそれは個人的なものだから。 それがどれほど腹立たしく、どれほど悲しいのか。 どれほど苦しく、痛いのか。 その度合いは誰とも分かち合えない。 私たちが分かち合えるのは、その痛みに満ちた体験から学んだこと…つまり、新たな知見、乗り越えた強さ、相手に寄り添える優しさ……愛だけ。 自分にそのような賢さ、強さ、優しさがあったのだという気づき。 そして同じものが貴方にもあるのだ、と真っ直ぐに言えることだ。 だからこそ、こ

          怒りも悲しみも

          それは無理

          将来惨めな死に方をしないように、せめて人並みの最期を迎えられるように… というささやかな最低限の望みを叶えるために、今現在の生活の全てを老後のために費やすなんて、私には無理。 無理だわ。

          正しい生き方なんてない

          無意識に「正しい生き方」というものがあるって、みんなどこかで信じてるんじゃないかな? でも、自分と全く同じ人間はこの宇宙に一人としていないのだから、「正しい生き方」なんて本当は存在しない。 (自分のことをよく知らない赤の他人が勝手に決めた正しさが、何故自分にとっての正しさになる?) 最大公約数の「正しさ」が、本当に私たちを幸福に導いてくれるとは限らないし、「正しい人」が幸福とは限らない。 体験する全てに優劣がないとしたら、人生にも優劣はない。 りんごとみかんに優劣がつけら

          正しい生き方なんてない

          ラベルはわたしではない。

          ラベルはわたしではない。 人はみんな違う。 人種、国、言語、出生年月日、出生時間、出生地、年齢、性別、進路、職業、肩書、趣味、好きな食べ物等々……挙げたらキリがない。 でも、それらは単に分類の1つ、属性の1つだ。 属性は貴方の一部であってすべてではない。 それらはラベルにすぎない。 丁度、リンゴに貼られた無数の付箋が「赤い」「ふじ」「良い香り」とあっても、付箋がりんごそのものではないのと同じだ。 無数のラベルの組み合わせを自分と思っているのが私たちのエゴだ。 でも、ラ

          ラベルはわたしではない。