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他人にとっては1/100,000,000、自分にとっては1/1

とあるネット記事について。
某有名人がどこそこでこんなコメントをしました。という内容だったのですが、それについて、色々な意見(といってもおおよそが批判的なコメント)が寄せられていたのを流し読みしました。

その時、ふと言葉が浮かんできました。

といっても(この某有名人の意見は)1億分の1なんだよな

その瞬間、視界が開けて、心にスペースができたような感覚を感じました。

記事のコメント欄にあった、それはおかしいというような指摘や意見は、そのほとんどが冷静で真面目で正論のように見えました。
けれど、私の心の中に浮かんだ呟きは、
「言うて、1億分の1の意見やん?」
と、どこかその真面目さを軽く笑い飛ばすような爽やかさがあり、「素通りして、もっと遠くを見たら?」とでも言ってるような印象抱きました。
(これは「批判するな」という話ではありません。念のため)

多かれ少なかれ、人は他人の間違いや意見の食い違いに対して、思わず反論したくなったり、訂正したくなったりしますが、実際には何に対して反論や訂正をしたがっているのでしょうね。

たった1億分の1の意見に過ぎないものを見過ごせないのは、何故なんでしょう。
自分にとって何がそこにあると信じているのでしょう。

自分の意見や感想は他人にとっては1億分の1ですが、自分にとっては1分の1です。私がこのような記事をわざわざ書いているのも、そこに見過ごせない何かがあるからなのだと思います。

それこそがきっと、1分の1の私の思いなのかもしれません。


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