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八百姫様の伝説をたずねて @粟嶋(あわしま) 米子(よなご)

八百年生きた女の人が中海の島に住んでいたらしい

その女性は人魚の肉を食べたために歳をとらなかったらしい

米子城跡から中海を眺めると右手の方にある、今は陸地にくっついた小さな島「粟嶋」の伝説


そんな話を小学生の頃に聞いたことがありました。



(もし本当の話だとして)何を思いながらの800年だったのか…と今は思ってしまいますが、当時は、人魚の肉はどこにあるんだろう?と期待の方が大きかったです。

先日、米子城跡でオレンジロードや中海の景色を見ながら、そんな子どもの頃の記憶が蘇り、たずねてみました。

まずは粟嶋神社へ行ってみました。
米子駅からレンタサイクルしました。
(駐車場あります)

粟嶋神社の入口
入口の鳥居を抜けた辺り

神社の社務所の辺りを右手に向かうと、案内板が。
昔聞いた伝説は確かにありました。

案内板 静の岩屋とのこと。
ここからは一本道です。

言い伝えが書かれた案内板を読みましたが、800年との時の長さを考えると、想像ができないくらいの悲しいお話だと感じました。
たとえ800年という年数には相違があったとしても、きっと何かしらの悲しい物語がここにはあったのかなと思います。

「八百比丘尼」「八百姫」と呼ばれた彼女が住んでいたと言われる静の岩屋に向かいました。

ひっそりした道でした

八百姫様がいらしたとされる岩屋は、小さなお社になっていました。

静の岩屋 八百姫宮

鳥居の左手の柵の向こうが岩屋で、とても小さな穴でした。
何を思ってこんな小さな岩屋にいらしたのか…
子どもの頃の記憶を辿れた嬉しさと、言い伝えの行間に含まれているであろう悲しさとが半分ずつの気持ちでした。

辺りをもう少し歩いてみました。

今は、粟嶋のすぐ傍までが干拓地になってて、お社の向かいは、広い湿地や自然観察池などになっています。

神社の方から来るとひっそりした道が続きましたが、少し離れると、こんな景色が!

後ろの山が粟嶋。鳥居のところが八百姫宮。
手前は沼みたいになってます
どこが歩けて、どこが沼か、ちょっとわからない
周辺は自然観察池になってます

自然な感じもしますが、おそらく干拓されてゆく中で作られた、人の手も加わった場所だったと思います。
でも、経緯はともかく、いつまでもつづいて欲しいなと感じた景色でした。

暑くなければ、もう少し歩きたかった🫠
(この時点で37℃あったらしい)

昔の記憶をたずねて、予想以上の景色にも出会えた出来事でした。

〜付け足し〜
米子城址から見た中海
右手の島は萱島。陸続きになっている山が粟嶋。

オレンジロードはこちら↓


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