【ドル高を死守!アメリカ・ドルを守るアメリカ軍】日本の円安は米国の意向?フセインのドル離れ「石油メジャーの敵=サダム・フセイン」~アメリカの援助を受けていた「ビンラディン」「フセイン」がなぜ米国の敵となったのか~

【ドル高を死守!アメリカ・ドルを守るアメリカ軍】日本の円安は米国の意向?フセインのドル離れ「石油メジャーの敵=サダム・フセイン」~アメリカの援助を受けていた「ビンラディン」「フセイン」がなぜ米国の敵となったのか~







■9.11から20年、「ビンラディン」がいまも英雄視される理由

週刊ダイヤモンド 2021.9.15 蟹瀬誠一:国際ジャーナリスト・外交政策センター理事

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・米海軍特殊部隊の元隊員が語ったビンラディン殺害の瞬間

新月の前夜だった。

折からの停電がかさなった漆黒の闇の中、米軍特殊部隊の精鋭はヘリコプターから垂らされたロープを伝って高い塀に囲まれた3階建ての豪邸に降下していった。

作戦名は「ネプチューン・スピア(海神のやり)」。

パキスタン北部アボタバードに潜伏するコードネーム「ジェロニモ」と呼ばれるテロリストの殺害が目的だった。

2011年5月2日未明のことである。

ターゲットの実名はオサマ・ビンラディン。

複数の民間航空機をミサイル代わりに使ってアメリカの中枢を破壊し、世界を震撼させた2001年9月の米同時多発テロの首謀者である。

その空前絶後の惨劇から今年でちょうど20年目を迎えた。

世界一の大国アメリカに無謀にも戦争を仕掛けたビンラディンという男はいったいどんな人物だったのか。

そして事件の裏に隠れた真相とは。

関係者の証言や報告書を基に振り返ってみたい。

「彼(ビンラディン)のすぐ側の棚に銃があった。危険な状況だ。彼が自爆しないよう、私が頭を打ち抜く必要があった――そして額に向けて2発撃った。バン!バン! 2発目で彼は倒れていった。それからベッドの前の床に倒れたところにさらにもう一発、バン!彼は死んだ。動かず、口から舌が出ていた」

隠れ家に突入しビンラディンを射殺した米海軍特殊部隊元隊員は2013年に沈黙を破って、殺害の瞬間の模様を米エスクァイア誌のインタビューでそう語っている。

遺体は米軍のDNA鑑定によってビンラディン本人と確認されたという。

同日、米空母カール・ビンソンで水葬の儀式が行われ、ビンラディンの遺体はアラビア海に沈められた。

アメリカ政府はその理由を埋葬場所が見つからなかったからとしているが、恐らくイスラム過激派による遺体の回収や埋葬された場所がテロリストの聖地になることを恐れたのだろう。

アメリカ政府は遺体の映像を一切公開しないと決めている。

・ビンラディンを変えたソ連軍のアフガニスタン侵攻

世界で最も恐れられた男の姿はこうしてこの世から消えたが、彼の生い立ちは、我々がよくイメージする貧困や差別から生れたテロリストとはまったく異質なものだった。

1957年3月10日、ビンラディンは建設業で財をなしたサウジアラビア有数の富豪の一族として生まれた。

その後、敬虔なスンナ派のイスラム教徒の父の下で育てられ、首都リアドに次ぐ大都市ジッタの一流大学に進学。

経済学や経営学を学んでいる。

宗教上の理由からか音楽や映画を好まなかったが、サッカーが大好きでイギリスの名門プロサッカークラブ・アーセナルFCのファンだったという。

戒律の厳しい母国を抜け出してはレバノンの首都ベイルートにある派手なナイトクラブやカジノに頻繁に出没していた。

190センチを超える長身で甘いマスク。

女性とも遊び、酒も飲んだという。

早い話が、人もうらやむような典型的なエリート富裕層の若者だったのである。

そのまま父の仕事を継いでいれば、大金持ちの経営者として自由気ままな人生を送れただろう。

しかし、信心深い父の影響もあって、ビンラディン青年はいつしかイスラム同胞団の理論的指導者だったエジプトの作家サイイド・クトゥブの思想に感化されていた。

クトゥブは反世俗主義、反西洋文明主義者だった。

イスラムの教えのみが真の文明社会を実現できると信じてイスラム社会の建設を訴えた。

同時に「堕落した」物質主義のアメリカを痛烈に批判していた。

この考え方がその後ビンラディンが突き進む「ジハード(聖戦)」の思想的原動力になった。

そんな彼の人生に大きなターニングポイントが訪れる。

1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻だ。

第2次大戦後初めての非イスラム勢力によるイスラム国家の占領はアラブ世界を震撼させ、ビンラディンの闘争心を猛烈にかき立てた。

「私は怒りに燃え、ただちにアフガニスタンに向かった」。

その頃を振り返って彼はアラブ人ジャーナリストにそう語っている。

憤慨したビンラディンは、ソ連軍に抵抗する「ムジャヒディーン(ジハードを遂行する戦士)」に資金援助をするだけでなく、活動拠点をアフガニスタンに移し彼自身も戦闘に参加するようになった。

アフガニスタンで共に戦ったパレスチナ兵士はビンラディンのことを「恐れを知らない男」だったと記憶していた。

「彼は我々の英雄だった。常に最前線で戦い、いつも誰よりも先を行った。資金を提供してくれただけでなく、彼自身を我々のためにささげてくれたのだ。アフガン農民やアラブの戦士と共に寝泊まりし、一緒に料理を作り、食べ、塹壕(ざんごう)を掘った。それがビンラディン流のやり方だった」

・アルカーイダの設立から米同時多発テロまで

1988年には、ソ連撤退後も世界各地でジハードを展開するため、同志とともに国際テロ組織「アルカーイダ」を設立。

翌年2月にソ連がアフガニスタンから撤退したことで、「強大な超大国を倒した英雄」としてその名をアラブ世界でとどろかせるようになった。

1990年、サダム・フセイン大統領率いるイラク軍が隣国クウェートに侵攻し湾岸戦争が勃発した際には、メッカとメジナというふたつのイスラムの聖地があるサウジアラビアに米軍の駐留を認めたサウジ王家を「背教者」と手厳しく非難し、さらに過激な反米活動へと傾斜していった。

サウジ王家から国外追放されたビンラディンはスーダンに拠点を移し、持ち前の優れた交渉力で各地のイスラム戦線との関係を強めて「アルカーイダ」を国際テロ組織へと発展させていく。

パキスタンの軍統合情報局(ISI)によれば、ビンラディンは最盛期には少なくとも30の異なるテロ組織とアライアンスを組んでいたという。大した組織力だ。

1992年12月には米軍が滞在していたイエメンのホテルを爆破。

翌年2月には同時多発テロの序章となった手製爆弾によるニューヨークの世界貿易センター爆破(6人死亡)など、宿敵アメリカに対する「報復」をさらに活発化させていった。

とりわけ、銃撃戦によって19人の米兵を殺害し、2機の米軍戦闘ヘリ「ブラックホーク」を撃墜した1993年のソマリアの首都モガディシュでの戦闘は、ビンラディンにとって大きな勝利の瞬間だった。

よほどうれしかったのだろう。

彼はイギリスのインディペンデント紙の記者に次のように語っている。

「(ソマリアでの)米軍の士気は驚くほど低かった。そして我々はアメリカがペーパータイガー(張り子の虎)にすぎないと確信した」

再びアフガニスタンに戻ったビンラディンはタリバン政権の庇護を受け、最高指導者ムハンマド・オマルと親密な関係を築いて、1998年にはタンザニアとケニアの米国大使館をほぼ同時刻に爆破。

アメリカ人12人を含む229人を殺害した。

さらに、2000年10月にはアメリカ海軍駆逐艦「コール」に自爆攻撃を仕掛け17人の水兵を殺害している。

そしてついにその日がやってきた。

2001年9月11日の米同時多発テロである。

テレビ中継されたその想像を絶する光景は全世界に激しい衝撃を与えた。

この日を境に世界の景色が変わったようだった。

航空機の運航が再開されるとすぐに筆者は現地に飛び、無残なテロの爪痕を取材した。

炎上し轟音とともに崩れ落ちたニューヨークの世界貿易センタービル。

無残に突き破られたバージニア州アーリントンの国防総省本庁舎(ペンタゴン)。

ハイジャックされ米議会議事堂に向かう途中で犯人と乗客がもみ合いになりペンシルベニア州で墜落してバラバラになったユナイテッド航空93便の残骸。

19人のテロリストを含む3000人近く(日本人24人)が死亡し、2万5000人以上が負傷するという大惨事だった。

・イスラム教徒の若者たちの間で高まるビンラディンの人気

それにしても乗客が乗った民間航空機でアメリカの軍事、政治、経済の中枢を攻撃するという空前絶後の作戦はどのようにして発案されたのか。

実は事件発生の数年前、アルカーイダ幹部のハリド・シェイク・ムハンマドとビンラディンがひそかに構想を話し合っていたことが明らかになっている。

93年2月に地下駐車場で手製爆弾を爆発させて世界貿易センタービルを倒壊させようとしたが失敗した。

そこでムハンマドは燃料を満タンに積んだ飛行機をミサイル代わりにして複数の標的に突っ込ませる方法を思いついたという。

当初の計画は、アジアで11機の旅客機をハイジャックして、米本土を狙うシナリオだったというから背筋が寒くなる。

ビンラディンもその計画に賛同し、留学生を装った実行犯をアメリカの飛行訓練学校に送り出して周到に準備を進めた。

そして前代未聞の同時多発テロが実行に移されたのである。

一方、ビンラディンは事件後程なくして「私はこの行為をやっていない」との声明を発表して関与を否定し、姿を消した。

米政府の必死の捕獲作戦でもビンラディンは見つからず、一時は死亡説も流れた。

捜索は2009年にオバマ政権に移った後も続いた。

そしてついにハリド・シェイク・ムハンマドを逮捕し、拷問の末にビンラディンの隠れ家を特定したのである。

ビンラディン殺害の一報はアメリカのCNNニュースによって伝えられ、オバマ大統領は深夜の時間帯に異例の記者会見を開いて“Justice has been done(正義はなされた)”と宣言した。

首都ワシントンのホワイトハウス周辺やニューヨークのワールドトレードセンター跡地には数千の群衆が集まり歓喜の声を上げた。

ビンラディンの亡きがらは誰の目にも触れることのできない海の藻屑として消えた。

しかし、彼のアメリカに対する執拗(しつよう)な「聖戦」のインパクトは多くの若いイスラム教徒の間でレガシーとして受け継がれている。

「オサマ(ビンラディン)に対してアメリカが憎悪をあらわにしたとき、イスラム世界では反対に彼に対する愛着が強まった。大多数のイスラム教徒の若者たちはオサマを彼らのヒーローだと思っている。彼がどこにいようと、彼を愛する人々の数は減らないだろう」

パキスタンの新聞は社説でそう書いた。

その証拠に、イスラム教徒の間では新しく生れた子供に「オサマ」という名をつける夫婦が劇的に増えた。

同時多発テロ事件から20年になるのを前に行われた米ABCテレビとワシントン・ポスト紙の世論調査によれば、テロの脅威に関して「アメリカがより安全になった」と感じる人はわずか49%しかいなかった。

事件後で最も低い水準だ。

大半のアメリカ人にとって、ビンラディンの残像がいまだに不安をかき立てている。

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9.11から20年、「ビンラディン」がいまも英雄視される理由
週刊ダイヤモンド 2021.9.15 蟹瀬誠一:国際ジャーナリスト・外交政策センター理事





■【第13回】サダム・フセインの世界史的意義

公益社団法人国際経済労働研究所

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・はじめに

イラクのサダム・フセイン元大統領が、2003年12月14日、米軍によって拘束された。

今後、民族的英雄の地位に上らせないためにも、米国メディアに よるフセインを戯画化する報道がなされ、最終的にはフセインの口封じが試みられるであろうが、数々の悪行にもかかわらず、フセインが世界史ではたしたプラ スの功績をフセインの墓碑銘の積もりで書いておきたい。

・バース党

1947年、シリアのダマスカスでアラブ・バース党結党大会が開催された。

バースとはアラビア語で「復興」、「再生」を意味し、バース党は、アラブの統 一、外国支配からの解放、社会主義を3大原則とするアラブ民族主義政党を目指したものであった。

1952年にアラブ社会党と合併し、正式名称はアラブ・ バース社会主義党となる。

バース党がアラブ世界で広範な支持を得た最大の要因は、「アラブ統一」に至るその戦略である。

バース主義は、アラブに複数の国があるという現実を受け入 れた上で、各国にバース党を設立し、各々が政権を取った後、各バース党政権が合体してアラブ統一国家を形成するという明確な道筋を示した。

それゆえ、バー ス党指導部は、アラブ世界全体を対象とする民族指導部と、個別国を対象とする地域指導部に分かれ、創設者、ミシェル・アフラクらの民族指導部はシリアに置かれ、地域指導部はシリアからイラク、ヨルダン、レバノン、イエメン、バハレーンなどに拡大して行った。

しかし、1950年代後半から各国の地域指導部は民族指導部から離れ、それぞれの国における権力の奪取や維持を最優先するようになった。

シリアでは、 1954年、バース党が政権を握るようになり、その後、クーデターが相次いで生起し、権力も目まぐるしく交替したが、1966年の軍事クーデターにより再 度バース党政権が誕生した。

しかし、この時には、アラブ統一よりも社会主義建設が優先され、ミシェル・アフラクら民族指導部のメンバーは1966年に国外 追放となった。

ミシェル・アフラクは、亡命先のイラクでバース党民族指導部を再建し、1989年に死去した。

1970年にシリアではアサド国防相による2度目の軍事クーデターがあり、1971年、アサドは、バース党シリア地域指導部書記長および大統領に就任した。

2000年、息子のバッシャール・アサドが両ポストに就任した。

・イラク石油をめぐるサダム・フセインとCIA

1958年に「7月革命」で王政を倒したカセム政権は、米国との軍事・経済援助協定を破棄し、石油の国有化方針を押し進めていた。

それまでの「イラク石油会社」は、英米資本の支配下にあった。

1960年9月10日、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラ旧産油国政府代表がバクダッドに集まって、 OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries、石油輸出国機構)が結成された。

これは、国際石油資本の一方的値下げに対抗するための国際価格カルテルであった。

バクダッドで結成会 議が開かれたことからも分かるように、リーダーシップを取っていたのは、イラクのカセムであった。

そして、英国は1961年にクウェートを独立させるが、イラクばかりか、やはり隣国のサウジアラビアとの国境さえ画定しないままの独立宣言だった。

イラクは直ちに抗議し、英国は出兵した。

オスマン・トルコ支配下では、クウェートはイラクと同じバスラ州に属していた。

しかし、イラクの強大化を恐れた英国が イラクからクウェートをもぎ取り、強引に独立させてしまったのである。

クウェート政府は、独立直後から国連加盟を求めていたが、加盟が承認されたのは 1963年の後半になってからであった。

この年の2月に、クウェートの独立に反対していたイラクのカセム首相が軍事クーデターで殺害された。

カセム政権は 民族政権的色彩をもっていた。

クーデターを成功させた陸軍将校グループは、「イラク革命全国評議会」を樹立して政権を握った。

当然、カセム政権を倒した新 たな軍事政権を米英両国はただちに承認した。

クーデター成功後わずか2週間後にイラク石油と新政権との石油交渉が始まった。

イラクでは1951年にバース党の地域指導部が成立し、バクル書記長とサダム・フセイン副書記長の体制で党勢の強化が進み、1968年軍事クーデターに よりバクルが大統領に就任した。

1979年、副大統領であったフセインがバクルを引退に追い込み、大統領となるとともに、イラクの最高意思決定機関である バース党イラク地域指導部(RC)および革命指導評議会(RCC)合同会議議長に就任した。

米国による第2次イラク侵攻前の時点(2003年3月)では、バース党はシリアとイラクだけのものになってしまった。

ヨルダン地域指導部は、他の政党と 合併して「ヨルダン民族民主戦線」という政党になっている。

レバノン地域指導部は、シリア系とイラク系に分裂した。

イエメンでも同様に、イエメン地域指導 部からイラク系のバース民族党が分離した。

GCC諸国およびチュニジアでは、非合法となっている(松本弘;http://www.jiia.or.jp /report/keyword/key_0304_matsumoto.html)。

しかし、クーデター直後に発行されたフランスの週刊誌『レクスプレス』(L'express)1963年2月 21日号が、このクーデター計画にはCIAと英国の関与があると報じた。

同誌によれば、クーデター・グループは、CIAからの援助を受ける代償として、共 産主義者と民族主義者の根絶、米英の石油利権の擁護、クウェートの併合要求撤回などを約束していたという。

結果的には、OPECの結成と石油国有化方針が、カセムの命取りであった。

カセム打倒のCIA支援によるクーデターは、OPEC潰しでもあった。

事実、OPECは結成後も、1970年までほとんど成果を挙げることができなかったのである。

・メジャーの敵=サダム・フセイン

しかし、1968年に、イラクでバース党の巻き返しクーデターが成功し、アル・バクル=サダム・フセイン政権が樹立された。

翌、1969年には、リビアで カダフィが傀儡王政を倒した。

リビアは1960年代から石油の産出を始め、この時期には世界最大の石油輸出国となっていた。

リビアも当然、OPECの主要 メンバーとなった。

1971年のOPEC総会は、外国資本の石油会社に対する51%資本参加要求を決議し、翌1972年、イラクは先頭を切って石油国有化に踏み切った。

しかし、メジャーの不買同盟により販路を断たれて困窮した。

政権ナンバー2のサダム・フセインは国家計画委員会の議長などの立場で、これらの国家計画の先頭 に立っていた。

世界第5位の埋蔵量を持つルメイラ油田の開発は、サダムの指揮下でソ連の協力により、イラク人技術者を養成しながら成功を収めたものである。

OPECの資本参加要求は、その後100%に発展する。販路への進出にも努力が払われた。

このようなOPECと国際石油資本との熾烈な戦いの中心にはつ ねにサダム・フセインがいた。

イラクとサダム・フセインは、イラン・イラク戦争という特殊な時期を除けば、西側のメジャーにとって最も憎むべき宿敵に他ならなかった。

だから、イラン・イラク戦争が終わってしまえば、ただちに、始末される運命にあったのである。

・おわりに

OPECの主要メンバーとしてヤマニ石油相に大活躍をさせ、アラブ諸国寄りの姿勢を強めていたサウジアラビアのファイサル王が、1975年3月に暗殺された。

その場で捕えられた犯人は王の甥であったが、犯人の兄ハリドが王位を継承し、犯人である弟は公開の場で処刑された。

ソ連は「メジャーの背後のアメリカ 帝国主義」の陰謀を示唆し、米国側は「リビアもしくはパレスチナ急進派」の陰謀とした。

いずれにせよ、周知のように、ハリド王以後のサウジアラビアは、急速に米国寄りになった(村上愛二、電網木村書店Web『湾岸報道に偽りあり』;http://www.jca.apc.org/~altmedka /gulfw-01.html)。

1978年の米国とエジプトとの「キャンプデービット合意」は、アラブに亀裂を生じさせた。

この合意に基づいて、単独でイスラエルと平和条約を結んだエジプトのサダト大統領を「アラブに対する裏切り者」として糾弾し、アラブ連盟からの追放運動で先頭に立ったのが、他ならぬサダムであった。

その後、サダト はイスラム原理主義者によって暗殺された。

ムバラク大統領が政権を握ったエジプトは、サダムがイランと戦っている間に、シリアのアサド大統領らの取り持ち でアラブ連盟復帰を果たした。

湾岸戦争でエジプトがイラクの敵側に回った遠因は、このことが原因となっているのかも知れない。

「キャンプデービット合意」 を侮辱したサダムは、パックス・アメリカーナへの許されざる反逆者であった。

そのサダムが1979年にイラク大統領になったのである。

結末はご覧の通りで ある。

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【第13回】サダム・フセインの世界史的意義
公益社団法人国際経済労働研究所





■基礎から分かる米国の中東関与4ステップ=福富満久

週刊エコノミストオンライン(毎日新聞)2020年2月10日

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米国と中東との関係は、いつから始まり、いつからこじれたのだろうか。

「原油」を軸に、四つの段階に沿って、米国の中東関与の歴史を振り返る。

(1)関与の始まり 英仏に代わり進出

第一次世界大戦以降、オスマン帝国が崩壊すると、その大部分は、当時の大国である英国とフランスに切り分けられた。

パレスチナは国際管理下に置かれたものの、ヨルダン、エジプト、イラク、アラビア半島は事実上英国の支配下に置かれ、シリア、レバノン、北アフリカは、フランスの支配下に置かれた。

だが、第二次世界大戦で英仏はドイツとの戦いで疲弊し、もはや植民地を運営する力は残っていなかった。

そのことを世界に知らしめたのが、スエズ危機(第2次中東戦争)である。

1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河会社を国有化し通行料を直接徴収すると宣言した。

これに憤慨した英仏両国がイスラエルとともにエジプトに対し軍事行動を起こした。

英仏両国はスエズ運河の権益確保を図ろうとしたが、世界的に民族運動や独立運動の機運が高まる中、国際世論を味方にできず、米国が英仏、イスラエルに対して無条件即時撤退を求めて事態は終息に至った。

これにより英仏の影響力は中東で大きく損なわれた。

(2)蜜月期 原油利権で巨万の富

スエズ危機で影響力を高めたのは米国だった。

米国は中東に植民地をもたず、パレスチナ問題にも直接的に関与していなかったため、中東諸国は米国の仲裁や関与を歓迎した。

特に米国との関係を強化したのがイランとサウジアラビアだった。

イランは帝国列強の植民地になることをかろうじて免れたものの、北には常にソ連の脅威があった。

第二次世界大戦前から英米資本が同国に進出。

米国は、援助と引き換えに、53年、民族主義者のモサデクを失脚させて、首尾よく皇帝(シャー)であるパーレビ国王をまつり上げてかいらい政権を作り上げた。

シャーもまた米国の庇護(ひご)が必要だった。

サウジも同様に米国との関係を強化した。

米国は第二次大戦中からサウジに対し武器貸与を承認して防衛協定を結びサウジの安全保障上大きな役割を果たした。

そして、見返りに44年1月、カリフォルニア・アラビアン・スタンダードを母体とする合弁会社──後に超巨大石油企業となるアラムコ(Arabian American Oil Company、頭文字をとってAra-mco)の設立をサウジ政府に認めさせ、サウジ産出の原油を米国資本経由で販売し、利益の一部をサウジに還元する取引を開始した。

冷戦対立が深まる中、サウジとイランは西側諸国経済をエネルギー面で支える重要な役割を果たした。

米国は70年時点で、サウジからの原油100%(年間13億5900万バレル)、イランからの原油40%(同13億3200万バレル)、クウェートからの原油50%(同10億8200万バレル)をコントロールしており、米系石油会社は、維持費として年間20億ドルをペルシャ湾岸諸国に投資していた。

ペルシャ湾をコントロールすること、そして石油から生まれる富の所有と確保が米国の最大の関心事であった。

米国と取引するサウジ、イランも同様だった。

アラムコの母体・カリフォルニア・アラビアン・スタンダードの親会社は、ロックフェラーグループの米スタンダード・オイル・オブ・カリフォルニア(通称ソーカル)である。

ソーカルの48~54年の営業利益は推定6億4500万ドルで、1ドルの投下資本当たり実に29・61ドルの利益を生み出す計算となった。

米資本が莫大(ばくだい)な利潤を上げる一方、たとえば、イラン側が得た報酬は、年間純益のたった16%に過ぎなかった。

利益の分配ルールは、国、会社、鉱区の規模などで異なるため一概に言えないが、総じて産油国側に不利だった。

(3)産油国の反乱 米の石油利権は縮小

理不尽な条件に対し、産油国がいつまでも黙っているわけがなかった。

50年代以降、大規模な油田開発が続き、原油の供給過剰が慢性化したことで英米資本の世界大手石油会社(石油メジャー)が価格を段階的に引き下げた。

これに反発し、60年9月に石油産油国5カ国が石油輸出国機構(OPEC)を設立した。

71年には、リビアのカダフィ大佐が石油企業の国有化を宣言、米国が思い描く国際石油レジーム体制が揺さぶられていくことになった。

さらに73年、イスラエルとアラブ諸国の間で起きた第4次中東戦争の際、湾岸の産油諸国が西側諸国に石油禁輸で対抗して第1次石油危機が勃発した。

その後石油輸出は解禁され、米国・サウジの外交関係は改善したものの、79年、イランでイスラム革命が起きると、今度はイランからの石油がストップし第2次石油危機に陥った。

私利私欲の限りを尽くし、米国のかいらいとみなされたシャーをイランの国民は放逐し、シャーは米国に亡命した。

・原油資金 米経済へ環流

「金のなる木」である石油利権を奪われていった米国は、一連の危機をどのようにして切り抜けたのだろうか。

米国は、石油の大口顧客である先進諸国の経済がまひすれば、OPEC諸国こそが困ると踏んでいた。

実際にOPEC諸国の経済規模は小さかったことから、オイルマネーは米英の金融機関に積極的に預け入れられた。

資金は、国際金融市場を通じて再融資へと回った。

発展途上国向けの民間銀行貸付額は70年の30億ドルから80年の250億ドルと、ドルの額面上だけでも約8倍に跳ね上がった。

産油国は金利収入が増え、米英の金融機関にも莫大な収益をもたらした。

そして、産油国がオイルマネーで購入を切望したものがあった。

米国の最新鋭の軍需品である。

米国側は巨大軍需産業のための大型契約を締結することに次々と成功、湾岸産油国の軍需品の輸入額は73年の200億ドルから78年には1000億ドルに膨張した。

サウジは、イスラム革命以降、ペルシャ湾を挟んで国力を増すイランに対する警戒感から武器購入を急いだ。

米国との軍事的な結びつきは整備・保全を必要とし、おのずと米国との関係を強化した。

こうして産油国へ支払われたドルは、米国が主導する国際金融の回路の中で、武器買い付けのほか、巨大建設プロジェクトの受注、米国債の購入、各種の投資を通じて米国および世界に還流することになった。

(4)関係泥沼化 革命後のイランと対立

だが、米国が潤えば潤うほど、反米感情が高まる国が増えていった。

米国が取りなして79年3月にエジプトとイスラエルとの間で和平条約が締結されると、事実上パレスチナ問題を不問にする和平条約締結の衝撃と米国への憤りは、弧を描くように中東全域に広がった。

リビアではカダフィ大佐が米国打倒を宣言、イランでもさらに反米感情が高まることになった。

同年11月、ホメイニ体制崩壊を狙うスパイ活動の疑いから米国大使館人質事件が発生。

人質52人は後に全員解放されたものの、事件を契機に両国は国交を断絶、以後米国とイランはお互いを悪魔とののしり敵対した。

80年から国境線を巡ってイラン・イラク戦争が繰り広げられたが、米国はイランを制圧するために独裁者フセイン率いるイラクを軍事支援した。

軍事強国となったイラクはその後、石油を巡るいさかいなどからクウェートへ侵攻し、湾岸戦争が勃発した。

なお、イラン・イラク戦争中の1983年には、レバノン駐留の米海兵隊兵舎へ自動車爆弾攻撃があり240人あまりの死者を出した。

イランの革命防衛隊が関与しているとされ、1日の死者としては太平洋戦争以降、米海兵隊史上最大の犠牲者数となった。

海兵隊はこの攻撃を屈辱として刻み、入隊する訓練生に教えていると言われる。

この事件も、今日の米国・イラン対立の背後にある。

・かつての味方が敵に

79年は、米国にとってもう一つ衝撃的な事件が発生した。

イランの背後にあるアフガニスタンへのソ連侵攻である。

米国は、ソ連に対抗するべくムジャヒディン(イスラム戦士)を育成した。

この戦略も、イラクのフセイン同様、米国に牙をむくきっかけになった。

ソ連撤退後、アフガンで力を握ったのはムジャヒディンたちであり、同国は以来テロの温床となった。

事態に対応するため、米国は同盟国サウジに基地を置いたが、イスラムの聖地を冒涜(ぼうとく)すると捉えられた。

2001年の9・11米同時多発テロは、こうした米国の政策に反発した者たちによって引き起こされた。

その後米国はテロリスト制圧のためにアフガンとイラクに侵攻、タリバン政権とフセイン政権を倒した。

だが、アフガンは混沌(こんとん)とし、イラクも政情不安に陥っている。

パレスチナ問題もトランプ政権がエルサレムに米大使館を移し、イスラエルの首都だと認めたことで解決不可能になっている。

パレスチナがヨルダン川西岸(ファタハ=対話推進派)とガザ地区(ハマス=武装闘争派)の二つに分離し、イスラエルから対話ができないことへの口実にされているのも、元はといえば米国のイスラエル寄りの介入が原因だ。

戦争に次ぐ戦争で米国が中東に残したのは、憎悪と混沌である。その責任は極めて重い。

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基礎から分かる米国の中東関与4ステップ=福富満久
週刊エコノミストオンライン(毎日新聞)2020年2月10日




■破壊し大混乱作って略奪 米欧・リビアでもショックドクトリン  石油狙いカダフィ政府潰す

長周新聞 2011年10月24日

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アメリカ主導のNATO(北大西洋条約機構)軍が3月19日からアフリカ北部のリビアを空爆し反政府軍に武器を提供、手先にしておこなった侵略戦争は20日、最大の標的だった最高指導者カダフィを射殺した。

それは、民衆の力で親米独裁者を打倒したエジプトやチュニジアとまったく異なるもので、この戦争は米欧支配勢力に対抗するものを殺害し、一国の政治も経済も破壊し尽くして、国家を大混乱に陥れ、そのどさくさにまぎれて石油など資源利権を米欧資本が好き勝手に略奪することを目的としたものであった。

米欧支配者によるイラクやアフガニスタンへの侵略戦争と同質のものだった。

・難題山積みでイラクの二の舞い

リビアは石油埋蔵量世界第8位の産油国で、米欧資本は早くからその利権の強奪を狙ってきた。

カダフィ政府が反米欧の姿勢をとっていた時期には、「テロ支援国家」に指定し、カダフィ殺害を狙った空爆をやって屈服を迫った。

「9・11事件」後カダフィ政府が核兵器の廃棄を宣言、米欧に融和姿勢をとるようになってからは、米欧の石油メジャーなどが利権確保に乗り出したが、石油国有化を放棄しなかったために好き放題ができず、いつの日かこの政府をつぶそうとしてきた。

今年1月、チュニジアやエジプトで民衆蜂起が起きて、親米独裁政府が打倒された。

米欧はそれに便乗した。

あたかも独裁反対の民衆デモが起こったかのように見せかけて、米中央情報局とつながる「リビア救国戦線」に反政府派を標ぼうさせ、東部のベンガジで政府軍に内戦を仕掛けた。

待っていましたとばかり、米英仏伊をはじめとするNATOは、「(カダフィ軍の)殺害から国民を守る」と称して、国連安保理決議をとり、3月19日に武力侵略を開始した。

地中海に配備した空母など艦船から戦斗機などを飛ばして、軍事施設や政府軍に対し、また平和な住民に対し、空爆をおこなった。

NATO連合軍はこの6カ月間にのべ2万6000機が出撃し、約8000回の空爆をおこなった。

アメリカは3月末に空爆の主力から引き、仏英が主体となった。

だが、戦争の主導権はアメリカが握って、決定的役割を果たした。

アメリカは情報や武器、ミサイルなどの提供、空中給油などをおこなったとされるが、実は戦争の全過程で背後で指揮をとった。

オバマは「地上軍を出さずに目的を達した」といったが、実はカダフィの政府や軍の動向はアメリカの無人偵察機や変装した特殊部隊員によっておおかたつかまれ、その指示に従って空爆がおこなわれた。

アメリカの指揮のもとイギリスの特殊部隊も、カダフィの隠れ場所、レーダー基地、空軍基地、対空砲兵部隊などの情報を収集し、NATO軍機にピンポイント爆撃をおこなわせた。

クリントン米国務長官がこの18日、米高官としてはじめて突如リビアを訪問、その2日後にカダフィの車列が襲われ、射殺されたことが話題となっている。

その目的は、カダフィの車列が20日にシルトから移動することを伝え、NATO軍機の空爆にあわせて反政府軍が攻撃する、カダフィを殺してもよいということを英仏や反政府派の高官に指示したという。

カダフィを殺害したのは、イラクのサダム・フセインのように裁判など法的な面倒を省くためだったといわれる。

・米欧企業との矛盾激化 反米意識は強く

42年もの長期にわたってリビアを支配してきた最高指導者を殺してしまえば、国内の政治・経済などが大混乱に陥ることは必至である。

米欧のメディアでさえ、リビアには難題が山積しており、米欧の願望するような政府ができる保証はないし、あるいは内戦が起こるかも知れないとしている。

まず、「国民評議会」を名乗る反政府勢力の指導部は、雑多な勢力の寄り合い所帯である。

米欧帰り、カダフィ政府の寝返り組、それに140余りもある部族の頭目、各派の宗教勢力が混在し、この間暫定政府の樹立すらできないでいる。

多くの部落とりわけカダフィの出身地の部落は、反政府勢力に敵意を抱いており、和解は難しい。

リビア国民を一つにまとめて再建方向を示す指導勢力をつくることは、もっと困難である。

経済の再建についてみても、この間の戦争でストップ状態である石油の生産、輸出を復活すること、とくに国内の東部と南部の辺境地帯が北部沿海地方に立ち遅れている不均衡を解決することは歴史的に残された難問である。

さらに、この間の戦争で武器が大量に流出している。

1人1挺といわれるほどに護身用の武器が持たれており、政情が不安定ななか回収はたやすくない。

一万発の地対空ミサイルが行方不明といわれる。

そればかりか、部族間や宗教間の矛盾が激化すればすぐ内戦に突っ込むこととなる。

しかし最大の問題は、リビア人民のあいだで反米意識が強いことだ。

リビア国民の8割がアラブ民族であり、ここ40年以上にわたってカダフィの反米姿勢が支持されてきた歴史がある。

それに今後、米欧資本が大挙してリビアの石油利権の強奪に乗り出せば、反米欧感情を噴出させることとなろう。

オバマは「リビア人の長い痛苦の時代は終わった」「革命だった」といい、クリントンも「新しい時代の幕開けだ」などといっている。

だが、多くの専門家は「新しい痛苦の時代が始まった。恐るべきパンドラの箱が開き始めた」と指摘し、まさにイラクの二の舞いになると断言もしている。

アメリカのイラク侵略戦争は、既存の政治秩序や国民経済を徹底的に破壊して白紙にし、アメリカなどの石油メジャーやハリバートンなど「復興」事業を手がける会社に利権を保証する新自由主義の経済構造を植えつける狙いだった。

彼らにはイラク国民の自由や民主主義、とりわけ生活の向上などまったく眼中になく、戦火で更地となったイラクの大地で、自分らの利潤をむさぼることだけだった。

まさしく「ショック・ドクトリン」と呼ばれる災害便乗型の資本主義であった。

リビアでも同じことが始まっている。

フランスの呼びかけで9月1日、米欧の参戦国のほか中国、ロシア、ブラジルなどオブザーバーを含めて60の国や国際機関の代表が集まった。

リビアの反政府勢力に対して、石油利権の確保や復興需要の獲得のための工作に乗り出した。

リビアの石油埋蔵量は約460億で、アフリカではトップ。戦前の原油産出高は日量約160万、輸出高は130万で、リビアの輸出収入の95%を占めた。

リビアの原油は硫黄分が少なく、製錬コストが低いとあって、欧州各国が角逐の先頭に立ってきた。

フランスは戦争前、リビアに数十億㌦の投資をおこない、毎日13万をこす石油を輸入していた。

サルコジ大統領は、原油採掘の優先権を求めた。

ジュペ外相は「リビア介入は将来への投資でもあった」と、本音を語った。

「評議会」側とリビアの新規の石油権益の35%を取得する合意をかわすと伝えられる。

また軍事介入の見返りとして鉄道網や造船施設の建設、航空機など各分野で商機をものにしようと懸命である。

イギリスの石油独占体BPは戦前すでにリビアに投資していたが、さらに投資拡大について「評議会」側との協議を始めた。

また、医薬品や病院再建の分野でも商機を得るため、代表団を送っている。

イタリアは戦前、リビアの石油輸出の2割をこす石油を輸入しており、石油採掘と生産で西側諸国のトップに立っていた。

石油・天然ガス大手のENIの最高責任者は8月に、「評議会」と石油、ガス開発再開について覚書を結び、戦前の巨大権益を確保した。

アメリカのこれまでの石油取引は、リビアの輸出の1%に満たなかったが、今後は今回の戦争での手柄を元手にリビア石油資源の再分配をリードしようとしている。

このほか、戦前リビアで操業していた英・蘭のロイヤル・ダッチ・シェル、米コンチネンタル、スペインのレプソルYPF、オーストリアのOMVなども石油施設修復に着手している。

他方、中国は戦前、リビアに企業数十社、労働者約3万人を送り込み、インフラ建設などをしていた。

ロシアはこれまでリビア政府とのあいだで高速鉄道建設や油田開発契約を結んでいた。

中ロとも当初のリビア軍事攻撃批判の姿勢を変えて、今では、過去の契約順守を要求している。

欧米企業との各分野での利権争奪は、激化する一方である。

・アフリカ市場狙う米国 中東も国内も窮地

米欧のリビア侵略戦争のもう一つの目的は、アフリカでの市場・勢力圏の拡大において障害となっていたカダフィ政府を除去することだった。

今回のリビア軍事攻撃や「評議会」承認問題で、アフリカ連合(AU)が長期に反対姿勢をとったことにはわけがあった。

アフリカが歴史的に欧州諸国の植民地支配に苦しめられたという背景があり、リビア戦争をアメリカ主導の侵略と受け止める素地があった。

AU設立宣言には「アフリカ人自身でアフリカの問題を解決し、他の大陸の介入を避ける」という項目があるが、AU創立の中心となったのがカダフィ政府であった。

カダフィ政府は石油収入による年間300億㌦にのぼる貿易黒字を使ってAUの発展に力を入れた。

AUの年間予算の15%を負担するとともに、一部の貧困国の負担金の肩代わりをした。

AUのもとでのアフリカ統合推進への支持を得るために、加盟各国への資金援助もした。

また、カダフィ政府がアフリカ統合、米欧の支配からの脱却で重視したのが金融面であった。

AUはアフリカ通貨基金、アフリカ中央銀行、アフリカ投資銀行などを設立し、IMF(国際通貨基金)や世界銀行などを通じた米欧の干渉を絶とうとした。

カダフィ政府は昨年、「欧米からアフリカを解放する」として、総額970億㌦の対アフリカ投資を表明していた。

また今後の目標として、ドルからの脱却、統一通貨の導入をあげていた。

アメリカはイラク戦争の失敗などによって、例えば石油の輸入を中東アラブ諸国からアフリカに移さざるをえなくなっている。

その経済利権を維持・拡大するために、アフリカへの軍事プレゼンス(存在)を強め、アフリカ軍司令部を設置した。

だが、アフリカで司令部の受け入れ先がなくまだドイツの米軍基地に置いている状況である。

アフリカに反米的な風潮が強いことは、イラクやアフガン戦争でのアメリカの侵略を目の当たりにしたこともあるが、リビアの影響も小さくなかった。

今度のリビア侵略戦争は、アメリカの衰退もさらけ出した。

オバマは地上軍を出さずにカダフィを倒した、これは新戦法だといっているが、なんのことはない、イラクやアフガンで3兆㌦も使って債務不履行の瀬戸際まで衰弱し、地上軍を出せなかっただけである。

また支配層のなかにさえ今度のリビア戦争に反対論が出るほどに、アメリカ国内世論は反戦に傾き、オバマ政府は英仏などに空爆の主力を担わせ、みずからは指導権を維持するのがやっとであった。

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破壊し大混乱作って略奪 米欧・リビアでもショックドクトリン  石油狙いカダフィ政府潰す
長周新聞 2011年10月24日





■フセイン・イラク大統領がブッシュ米国に討伐された本当の理由

幻冬舎ゴールドオンライン 2022.12.9

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・金融グローバリゼーションはドル覇権

仮にウクライナ戦争がなんらかの形で終結しても、領土拡張という古典的で粗暴な帝国主義路線をあからさまにするプーチンがロシアのリーダーであるかぎり、ロシアと欧州、米国の緊張関係は続くでしょう。

拡大NATOは軍事力のレベルアップを図り、経済面では対露投資、貿易を抑制し、ロシアへの国際金融ネットワークへのアクセスを制限し、エネルギー依存度を大きく減らそうとするでしょう。

すると、ロシア経済の苦境は緩和せず、欧州のエネルギー確保も不安定なままになってしまいます。

双方にとってマイナス要因だらけです。

こうした膠着状態はいずれ解消するのでしょうか。

ここで、改めて思うのは、グローバリズムの真実です。

18世紀の古典的世界の帝国主義の衝動に駆られた男が、グローバリズムに覆われた世界に乱入してきたのです。

もちろん、タイムスリップしたわけではなく、現実を知り尽くし、秘策を用意しています。

グローバリゼーションとは金融と言い換えてもよいのです。

モノやサービス、ヒトの国境を越えた移動というものはカネに比べるといとも簡単に遮断されてしまいます。

モノやサービスのグローバルな自由は米中貿易戦争に代表されるように、自国第一主義で大きく制限されます。

経済安全保障の名目でも厳しくチェックされます。

ヒトの国境を越えた自由な移動は、もとより受け入れ国のご都合主義の便法にすぎず、新型コロナウイルス・パンデミックで頓挫しました。

その点、カネの国境を越えた移動は止めようがありません。

そのグローバル金融の支配通貨がドルなのです。

ウクライナ侵略で、米欧はロシアの金融機関の多くを国際資金決済ネットワークSWIFTから排除しましたが、ロシアは中国の決済ネットCIPSや、迂回ルートを使います。

カネ自体は自由に動き回るのです。

金融のグローバリゼーションはドル覇権と一体です。

金融覇権はもちろん、軍事力の裏付けが欠かせませんが、古代以来、永遠の輝きを放ちつづける金の支えは無用です。

ドルは第二次世界大戦後の国際金融秩序であるブレトンウッズ体制によって、世界で唯一金とリンクされることで、世界基軸通貨となったのですが、金は踏み台でしかありませんでした。

基軸通貨とはほかの主要通貨の基準という意味ですが、石油、天然ガスなどエネルギー、金属資源、穀物など国際商品の表示もドル建てということになります。

1971年には、米国政府の金を保管するケンタッキー州フォートノックス空軍基地の倉庫が空っぽになりそうになり、ニクソン大統領(当時)が金・ドル交換停止に踏み切りました。

いわゆる「ニクソン・ショック」です。

それでもドルは基軸通貨の座から降りることはなかったのです。

金の束縛から解放されたドルの発行は連邦準備制度理事会(FRB)の裁量に任されます。

ドルで表示される証券の発行、売買、相場も無制限ということになります。

金融の自由化とビッグバンが始まったのです。

ニューヨーク市場とそれに歴史的に密接なつながりのあるロンドン金融市場が急速に拡大するようになります。

・石油のドル建て制の廃止を画策した

ニューヨーク市場の自由化は1980年代のレーガン政権による規制撤廃で加速し、1990年代のクリントン政権による世界的な金融自由化促進を経て、2000年代には住宅ローンなど借金をそのまま証券化することでさらに飛躍的に膨張するようになります。

それがバブルとなって破裂したのが2008年9月のリーマン・ショックです。

このときは、ドル覇権もここまでとの見方が国際金融市場で飛び交ったのですが、FRBがドル資金を大量発行して紙くず同然になりかけた住宅ローン証券化商品を買い支え、次いで米国債を大量購入し、ドルの金融市場の安定化に成功しました。

米国債はドル建て資産を代表するので、米国債の巨額買い入れはドル価値の保全、引いてはドルが支配する国際金融市場の安定につながったのです。

これによりドルは世界の現預金や証券、エネルギー、穀物など国際商品の基準でありつづけ、基軸通貨の座は微動だにしなかったのです。

もちろん、ドルは米国の世界覇権を代表します。

2003年、当時のブッシュ政権が起こしたイラク戦争は2001年9月11日のイスラム過激派による同時中枢テロ後の反テロ戦争の一環だとされますが、ブッシュ政権の口実はイラクの独裁者サダム・フセインが大量破壊兵器を隠匿しているという容疑でした。

しかし、実際にはCIA(中央情報局)にはその証拠は皆無でした。

にもかかわらず、フセイン討伐に血道を上げた真の動機は、フセインが中東産油国に対して石油のドル建て制をやめるよう画策してきたことに対する懲罰だとする見方が有力です。

フセインは2000年11月に国連の管理下に置かれていた石油輸出代金収入による人道物資基金をユーロ建てに置き換えました。

当時、イラク石油輸出を担っていたのはフランスと、同年にプーチンが大統領に就任したロシアの石油会社です。

両国ともイラク攻撃に反対したし、フランスはドイツと並ぶユーロの担い手です。

フセインにユーロ建てを認めたのは国連アナン事務総長です。

英国『フィナンシャル・タイムズ』紙は2002年8月22日付で、サウジアラビア王室はユーロ建て石油輸出を内部で検討している、と暴露しています。

フセインのドル離れを放置すれば、ほかの産油国に一挙に石油の非ドル化が広がる恐れがあります。

ブッシュ政権として国連は信用できない。

ユーロの中心国ドイツやフランスが協力しなくても、単独で懲罰のためにフセインを退治し、サウジアラビアなどほかの産油国を牽制する必要がありました。

ブッシュ政権は国連や独仏の反対を無視し、大量破壊兵器保有を口実にフセインを退治しました。

イラクを占領したあと、ブッシュ政権はイラク石油輸出をさっそくドル建てに戻すように決めました。

イラクの復興を成功させ、サウジアラビアと並ぶ豊富な石油資源を事実上米国のコントロール下に置き、石油のドル建て取引を維持させる。

武力を誇示することで、サウジアラビアなどイラク周辺のアラブ産油国のドル離れを断念させる。

イラク戦争の狙いはそこにあり、事実サウジアラビアなどはドルへの忠誠を誓ったのです。

ところが米国は泥沼にはまり込みました。

2003年3月の開戦以来、2008年11月時点でイラクでの米軍死者は4200人を数え、負傷者は3万人を突破しました。

イラク戦費の正確な額は国防総省の「テロとの戦い予算」枠で見ると2007年2月まで8000億ドル程度でしたが、国防総省本体の予算とは切り離されているために実態は?みにくいのです。

しかし、コロンビア大学のスティグリッツ教授の推計ではイラク戦費は3兆ドルに上ります。

いずれにせよ、ドル覇権の維持のためにはかけがえのない兵士の命と、莫大な国費を投入しても厭わない。

それが金融覇権国米国なのです。

前述したトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』で描かれているような鋤と理性で征服する米国の姿など美化もいいところでしょう。

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フセイン・イラク大統領がブッシュ米国に討伐された本当の理由
幻冬舎ゴールドオンライン 2022.12.9





■借金大国の通貨(アメリカ・ドル)が世界の基軸通貨であり続ける理由

PHPオンライン衆知 2022年03月15日

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ウクライナ侵略による経済制裁でロシアの銀行が国際決済ネットワークから排除され、ロシア通貨ルーブルも大暴落。

ロシア国債はデフォルトの危機に直面している。

しかし、ロシアに圧力を強めるアメリカも実は史上最大の借金大国で30年以上、国際収支は赤字なのだ。

今回は、世界一の借金大国であるアメリカのドルが、基軸通貨であり続ける理由を通貨や経済の歴史を研究する元国税調査官の大村大次郎氏が解説する。

・アメリカの軍事力がドルの信用を裏付ける

アメリカが、ドルと金の兌換をやめても、ドルが基軸通貨の地位を維持し続けた理由の一つとして、アメリカの軍事力も挙げられる。

アメリカは、第二次世界大戦後、世界中の紛争に介入し軍事力を見せつけてきた。

経済というものは、戦争や紛争に敏感である。

ちょっとした紛争が起きれば、すぐに物流や物価が大きな影響を受ける。

また戦争に負けたり、戦争で多大な被害を受けると、その国の経済は大きな打撃を受ける。

その国だけではなく、その国と関係がある国、貿易をしている国も大きな影響を受けることになる。

だから必然的に戦争に強い国の通貨は、それだけ信用されやすいということになる。

もし、世界が平和であれば、国際経済において軍事力というのはあまり評価されないかもしれない。

しかし、これまで世界は、いつの時代でも紛争が絶えることがなかった。

だから、戦争に強い国の通貨は、いつの時代でも信用されやすかったのである。

第二次世界大戦後、日本は一度も戦争をしていないし、自衛隊が紛争地域で軍事行動を起こしたこともない。

だから、世界は平和だったような印象を抱きがちだが、第二次世界大戦後、日本のように平和に暮らしてきた国は、まれなのである。

第二次世界大戦後から現在まで、一度も戦争に参加しなかった国というのは、国連加盟国の中で8カ国しかない。

アイスランド、フィンランド、スイス、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ブータンそして日本である(定義によってはジャマイカ、オーストリアが入る)。

これ以外の国は、なんらかの戦争に参加しているのである。

つまり戦争がこれほど多いことが、アメリカ・ドルが世界的に信用されてきた要因の一つなのである。

逆に言えば、アメリカ・ドルが信用され続けていくためには、世界は平和であってはならないのだ。

・金本位制の時代ならばアメリカはとっくに破産している

アメリカ・ドルが、金と兌換しなくてよくなったため、アメリカの輸入は際限がなくなった。

今までは輸入超過(貿易赤字)になれば、その分の金が流出してしまっていた。

だから、金の保有量をにらみつつ、輸入を制限する必要があったのだ。

しかしニクソン・ショック以降は、輸入超過が続いても、輸入代金としてドルを渡せばいいだけである。

そのドルは、金と兌換しなくていいので、アメリカの金は一向に減らない。

アメリカにとっては、輸入を制限するためのリミッターがはずれたようなものである。

アメリカ政府としては、むやみやたらに輸入が増えることは歓迎していなかった。

輸入超過があまりに大きくなれば、ドルの信用力が低下するかもしれない。

そうなると、それ以上の輸入ができなくなる。

それを懸念し、輸入超過に対しては一応目を光らせていた。

しかし、いくら輸入超過が続いても、アメリカ・ドルの信用が落ちる気配がない。

ドルに代わる有力な通貨は出てこないし、世界でたびたび紛争が起きるので、その都度、戦争に強いアメリカの通貨は、信用を増すのである。

そのため、アメリカは、貿易赤字を累積することになった。

現在、アメリカの対外純債務は14兆ドルもある。

もしこの14兆ドルを、金で支払おうとした場合、アメリカの所有する金は完全に枯渇してしまう。

というより、アメリカの所有している金で、14兆ドル(約1500兆円)を清算しようとしても、焼け石に水程度の返済額にしかならないのである。

現在アメリカが所有している金は8000トン前後であり、金相場から見れば56兆円程度にしかならない。

3.7%程度しか払えない計算になるのだ。

このアメリカの対外純債務14兆ドルというのは、ドルが金と兌換していないからこそできた借金なのである。

金本位制の時代ならば、アメリカはとっくに破産している状態なのだ。

そして、アメリカの破産を防いでいるのは、「ドルが世界の基軸通貨である」ということだけなのである。

・アメリカ・ドルを守るアメリカ軍

現在のアメリカ経済というのは、非常に不安定な状況が長い間続いている。

アメリカは現在、14兆ドルの対外純債務を抱える世界最大の借金国である。

しかも、この状態はもう50年も続いている。

なぜこのアメリカが破綻しないでいられるのか?

なぜ借金まみれのアメリカが、世界経済の中心に居座っていられるのか?

その最大の理由は、アメリカ・ドルが世界貿易の基軸通貨となっているからである。

世界貿易の決済では、ドルが使われることが多い。

たとえば、日本がアラブ諸国から石油を買うときも、ドルが使われる。日本やアラブに限らず、世界中の貿易決済でドルが使われている。

「ドルが基軸通貨である」ということは、今のアメリカ経済の生命線ともいえるのだ。

もし、アメリカ・ドルが基軸通貨の地位を失えば、たちまちアメリカ経済は破綻してしまうだろう。

だからアメリカは、このドルの基軸通貨の地位を、必死に守ってきた。時には、軍事力を用いることもあったのだ。

アメリカはソ連無きあと、世界最大の軍事国家となった。

もちろん、他の国々は、アメリカの軍事力に対する怯えや遠慮がある。

アメリカ・ドルが、基軸通貨であり続けられるのは、そのためでもあるのだ。

たとえば世界の石油取引というのは、ドル建てで行うという暗黙の了解がある。

そこには、アラブ産油国とアメリカの密約があるとされている。

「アラブ諸国は、石油取引をすべてドル建てで行う代わりに、アメリカはアラブ産油国の政権を脅かす勢力を撃退する」

そういう約束があるということである。

実際、アラブ産油国の多くは民主国家ではなく王権国家なのだが、アラブ王権国家がアメリカから攻撃されたことはない。

アメリカは、他国を攻撃するときに、「非民主的だ」ということを口実にすることが多いが、アラブの産油国は世界でもっとも非民主的であるにもかかわらず、アメリカからの軍事介入は受けていないのだ。

また、アメリカ・ドルが、基軸通貨であり続けているのは、アメリカの国債が買われているからでもある。アメリカ国債が様々な国で買われているので、ドルの信用も維持されているのだ。

では、アメリカの国債は誰が買っているのか、というと、一番の顧客は日本なのである。

日本は、外貨が貯まるとアメリカの国債を買う。

そして、アメリカの国債をなかなか売らない。

それは、アメリカに対する遠慮があるからだ。

もし、アメリカの機嫌を損ねて、駐留軍を引き上げられてしまえば、中国や北朝鮮の軍事的脅威にさらされることになる。

だから、日本はアメリカの機嫌をとっているのだ。

つまりアメリカは、「基軸通貨」「世界経済の中心」という地位を半ば軍事力で守ってきたともいえる。

そして、その地位を脅かす相手は、容赦なく叩いてきた。

・フセインがアメリカに攻撃された理由

アメリカが、軍事力によって基軸通貨の地位を守ってきたということに関して、もっともわかりやすい例がある。

それは、イラク戦争である。

実は、巨額の対外債務を抱えるアメリカの通貨が、世界の基軸通貨になっていることについては、疑問を持つ国も多々ある。

そして、ドルの基軸通貨の地位を脅かそうとする動きもあったのだ。

その最たるものが、ユーロだった。

ユーロは、EUの共通通貨だが、アメリカ・ドルに代わって、世界の基軸通貨になろうという野心も秘めていた。

ドルとユーロは、実は基軸通貨の地位を巡って、綱引きを繰り広げていたのだ。

EUはユーロ導入前から金の保有量を着々と増やし、導入時にはアメリカの保有量をはるかに凌駕していた。

これは、金の保有によってユーロの信用性を高めようとしたわけである。

もちろん、そこには「ユーロは国際通貨として使えますよ。ドルのような借金国の通貨を使う必要はありませんよ」というEUからの暗黙のメッセージがあった。

EU諸国としても、借金ばかりしているアメリカに、いつまでも世界の経済覇権を握られるのは釈然としていなかったのである。

それを敏感に察したのが、イラクのフセイン大統領だった。

1991年の湾岸戦争以来、イラクのフセイン大統領とアメリカは敵対関係にあった。

フセイン大統領としては、どうにかしてアメリカに一泡吹かせたい。

そこで、2000年の11月、フセイン大統領は、石油取引をドル建てからユーロ建てに変更したのだ。

前述したように、アラブの石油取引というのは、ドルを使うのが暗黙の了解になっていた。

そしてアラブの石油取引がドルで行われる、という慣習は、ドルの基軸通貨としての地位安定に大きく寄与していた。

そのアメリカのもっともデリケートな部分を、フセイン大統領は攻撃したのだ。

それはアメリカにとっては大きなダメージとなる。

もちろんアメリカは激怒した。

ドルの基軸通貨としての地位は、絶対に守らなくてはならない。

イラクの行為を許してしまうと、イラクにならいアメリカの脆弱なドルを嫌って、今後、ユーロ建てで取引をする産油国が続くかもしれない。

アメリカとしては、どうしてもイラクを叩く必要が生じた。

そのため、「大量破壊兵器を隠し持っている」と難癖をつけて、イラク戦争を起こし、フセイン政権を倒したのだ。

アメリカは、イラク戦争でフセイン政権が崩壊するとすぐにイラクの石油取引をドル建てに戻している。

このイラク戦争だけではなく、アメリカがドルを防衛するために行ったと思われる戦争や紛争介入は、多々あるのだ。

このように、アメリカは軍事力を用いてでも、「基軸通貨」「世界経済の中心」の地位を守ってきたのだ。

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借金大国の通貨(アメリカ・ドル)が世界の基軸通貨であり続ける理由
PHPオンライン衆知 2022年03月15日






■日米欧「プーチン氏は侵略者」 カダフィ氏らと同列に
日本経済新聞 2022年3月2日







■米国を震え上がらせるイラク原油のユーロ建て輸出
2003年03月05日 ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口坦





■なぜ、アメリカの援助を受けていたサダム・フセイン大統領が、敵になったのか
2017/12/12





■なぜ、アメリカの援助を受けていたウサマ・ビンラディンが敵となったのか
time 2017/11/26





■カダフィ大佐はなぜ今、排除されたか
2011年09月19日





■カダフィ大佐って何をした人?政策がすばらしい!日本人が知らないカダフィ大佐
2021年5月25日





■マスコミが報道しないリビアの真実「カダフィ大佐は立派な名君だった!」
2019-03-25





■マスコミが報道しないリビアの真実「カダフィは名君」カダフィが殺された理由 カダフィと同じ事をプーチンに仕掛けている? 
2022/03/08





■【中東の真実】イラクは平和!フセイン,カダフィは善人!
2022-04-12





■9・11米同時多発テロ、真相知る民間人が次々と不審死か…米政府の自作自演説も根強く
ビジネスジャーナル 2017.09.17





■『仕組まれた9.11―アメリカは戦争を欲していた』
田中宇 (著)PHP研究所(2002/04発売)
紀伊国屋書店ウェブサイト





■自作自演を繰り返しているアメリカの歴史
・アメリカが世界に対していつも「俺ルール」を強制する理由
・アメリカが外国を侵略するパターン
「アメリカは、歴史のはじめにインディアンの大虐殺を行ったのにも関わらず、その罪を認めず、逆に「民主主義の礎」だと言って正当化して以来、ずっと「虐殺→正当化」の歴史を繰り返している」





■大量破壊兵器の存在確認できず 外務省、イラク戦争検証
日本経済新聞 2012年12月21日





■ウソで支えられたイラク戦争の「大義」 続くアメリカの後悔と正当化
朝日新聞デジタル 2023年3月20日





■~アメリカ「自作自演テロ」の手口~
gooブログ 2023年01月24日 ブログ 目覚まし時計 goo





■NYタイムズも盲信したアメリカ政府の嘘を、ただ一社暴いた“弱小”新聞記者たちの闘い
文藝春秋digital 2019/03/28 月永理絵





■米国に「正義」はあるのか? 日本人も振り回された大国の大いなるウソ
まぐまぐニュース 2016.03.29





■「あるある詐欺」を忘れるな
西日本新聞 2019/9/22





■ウクライナをめぐる「情報戦」:なぜ世界は米国を批判しないのか
論座(朝日新聞)2022年02月19日 塩原俊彦 高知大学准教授





■プーチンを煽りウクライナ侵攻させた“真犯人”は誰か?炙り出された悪魔の構図
まぐまぐニュース 2022.03.07





■ウクライナ侵攻5カ月目…日本人は「戦争報道のインチキさ」今こそ検証を
週刊ダイヤモンド 2022.6.30 窪田順生




■ウクライナ危機で大儲けするアメリカの軍需産業とPR会社
福岡の経済メディア NetIB-News 2022年3月27日 浜田和幸





■イスラエル配慮の米国に、強まる批判
朝日新聞 2021年5月19日





■軍事費の4分の1を提供「米国」はなぜイスラエルに肩入れするのか
女性自身 2018/02/06





■米政府 イスラエルに砲弾など武器 約1億650万ドル相当売却承認
NHK 2023年12月10日





■なぜ、米国はイスラエルに肩入れするのか?
週刊エコノミスト 2023年12月9日





■アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか





■勢いづく米兵器メーカー、株価高騰
安倍政権下、日本の防衛費が米国に流れていく
論座(朝日新聞)2018年04月15日 木代泰之





■米軍需産業に利潤貢ぐ安倍政府
長周新聞 2016年9月30日





■大前研一「日本のマスコミが報道しないウクライナ危機の裏側」
複眼的な視点で世界を見よ
プレジデント 2022年2月4日号 大前研一





■わたし達は気づかないうちに愚民化させられている? ( ̄▽ ̄;3S政策・メディア洗脳・コントロール





■CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎 天木直人メディアを創る(2006.2.8)





■中国脅威論はどこまで本当か? 哀れマスメディアの機能不全
まぐまぐニュース 2016.05.10





■民放各社は米国に乗っ取られているのか
「民放各社大株主に米国系の投資ファンドが名を連ねている」
・外国人株主比率は日テレ22%、フジ約30%
「テレビ朝日が12.7%、TBSは13.34%」
日刊ゲンダイ(講談社)2015/11/09





■電通を媒介にしたアメリカによるメディア支配
gooブログ 2012年09月21日





■「報道の自由度ランキング」日本は70位
日テレNEWS 2024年5月4日





■報道の自由度 日本は70位 
TBSテレビ
2024年5月4日





■ペンタゴン下請けのメディア 大本営発表から変わらぬ体質見せるウクライナ報道
長周新聞 2022年5月19日





■海自中東派遣 「閣議決定だけ おかしい」 官邸前で抗議行動
東京新聞 2019年12月27日





■自衛隊中東派遣「戦争に加担するな」 各地で反対デモ
朝日新聞  2020年1月12日





■ガソリン補助金は「正しい」のか?市場メカニズムを壊す公的介入の意義とは
週刊ダイヤモンド 2022.3.16 小嶌正稔:桃山学院大学経営学部教授、東北大博士(経済学)





■石油元売り、資源高で純利益最高に 22年3月
日本経済新聞 2022年5月13日





■「その油、米国が回してくれるのか」(田中角栄のふろしき)
小長秘書官の証言(20)
日本経済新聞 2018年4月30日





■『田中角栄の資源戦争』
アメリカや欧州の覇権、石油メジャーやウラン・カルテルの壁を突き破ろうとした角栄
著者:山岡淳一郎
出版社:草思社
発売日:2013年04月02日

https://a.r10.to/hDEF13




■田中角栄が「憲法9条」を盾にベトナム戦争への派兵要請を断っていた
デイリー新潮  2019年06月21日





■田中角栄はなぜ葬られたのか? ――人気作家が徹底取材で挑んだノンフィクション大作『ロッキード』序章公開
文藝春秋 2021.01.13 真山仁





■田中角栄はアメリカにハメられた…今明かされる「ロッキード事件」の真相
現代ビジネス 2020.11.15 春名幹男





■「日中国交回復は裏安保」  角栄さんの肉声の意味と真意
日本記者クラブ 2017年10月(小田敏三)
「日本が敗戦から立ち直り、経済繁栄を成し遂げたら、いずれ米国から軍備の増強を迫られる。その前に中国との国交正常化が大事だ」





■田中角栄の予言が的中。日本を狂わせた“安倍政権の犬”が作る「戦争国家」ニッポン
まぐまぐニュース 2023.05.10





■中川氏「もうろう会見」
「中川氏は財務大臣就任以降、米国債の買い増しを拒否」
「米国に従順でない政治家はことごとく不可解な死」
「中川氏の父親も絞殺の疑いが強い。米石油メジャーとは別のルートでロシアからの原油輸入を模索」
「痛快言行録 亀井静香が吠える」





■第二次安倍政権以降「自殺&不審死」リストを公表する
FRIDAY 2018年03月16日





■にわかに強まる世界通貨高競争の機運、通貨安を一身に引き受ける円のゆくえ
10年前は通貨安競争で強烈な円高、今回の「円だけマイナス金利」はどうなる
JBpress  2022.6.29 唐鎌大輔






■「円安富国論」はもう通用しない アベノミクスが暴いた 経済停滞の深層
日経ビジネス 2021.12.17




■もはや製造業でもリスクとなった「円安の時代」
日本製鉄社長も円安への危機感をあらわにした
東洋経済オンライン 2022/04/19





■2022年の貿易赤字、19兆9713億円 1979年以降で過去最大 資源高や円安で
TBS NEWS 2023年1月19日





■貿易赤字最大の19.9兆円 22年、円安と資源高響く
日本経済新聞 2023年1月19日





■円安は1ドル=130~135円も視野に…「値上げラッシュ」と「国富の流出」はいつまで続く?
週刊現代 2022.04.19 町田徹





■原油高と円安で日本の“赤字化"は不可避なのか
第一生命経済研究所の星野氏に見通しを聞く
東洋経済 2022/04/20 





■日本円の価値は半減する?黒田日銀総裁の「利上げ放棄」任期満了待ち作戦で“トルコリラ”の二の舞も=今市太郎
まぐまぐニュース 2022年1月22日





■日本社会を襲う「危ない円安」 異次元緩和の果てに打つ手なく 金利差でドル買い円売り拍車
長周新聞 2022年4月28日





■「やっぱりアベノミクスが元凶だった」金融緩和を続ける日本が貧しくなる当然の理由
・円の大暴落を引き起こした「日銀の指値オペ」
・輸入依存の日本にとって「円安」こそ危険
PRESIDENT Online 2022/04/15 立澤賢一 元HSBC証券社長、京都橘大学客員教授






■アベノミクスで経済が破壊されても真相は報じられない理由
日刊ゲンダイ 2015/05/03





■アベノミクスのワナ?「規制緩和」「構造改革」は、米国による日本弱体化戦略の一環?
Business Journal 2013.08.08





■すべてはアメリカの思惑次第…どれだけ円安が進んでも日銀が異次元金融緩和をやめられないワケ
PRESIDENT Online 2022/10/28 森岡英樹





■ソロス氏のヘッジファンド、円安で10億ドルの利益
日本経済新聞





■植草一秀 安倍売国政治の系譜
「アベノミクス誕生予想に伴う円安で巨万の為替益を稼いだと言われるヘッジファンドの雄=ジョージ・ソロス」
2013/5/2





■9.11テロ なぜ自作自演が可能なのか 1/4
ベンジャミン・フルフォード 2007年09月15日講演





■嘘から始まった湾岸戦争!自作自演の議会証言とPR操作!





■この戦争観はアメリカに押しつけられたものだったのか、日本人が自ら選んだものだったのか
Video News 有馬哲夫





■ウクライナ危機の正体 馬渕睦夫(元ウクライナ日本国大使館大使)
決して報道される事のない真実
・Youtube 2022/02/18





■日本人愚民化を狙う日本の報道メディア|奥山真司の地政学「アメリカ通信」




■CIAの協力者・正力松太郎が設立した日本テレビによる大衆洗脳と不祥事





■日銀金融緩和で刷られた円の行き先が日本企業でも日本国民でもないカラクリ
TOKYO MX バラいろダンディ(2016年9月15日)Dr.苫米地


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