なぜ政権交代は起こらないか 井上達夫への反論

井上達夫東大名誉教授が、今度の選挙で政権交代を訴えていたことを前に書いたけど。

でも実際は、今度の選挙で政権交代は起こりそうにない。自民党は「お灸」をすえられる。軽〜中度の火傷はしそうだ。でも「勝敗ライン」は超えて、岸田の退陣はなし。あっても幹事長交代くらい。自民党の減らした分で立民、共産、維新が増える。

井上も言っていたように、来年に参院選を控えているから、そこまで含めて考えなければいけないけど。衆院選後にどうなるかはまだ未知数だ。

ただ、若い層ほど自民や保守支持者が多いことを考えると、ますます政権交代は遠のいていくと見たほうがいい。

ただし、維新の躍進などが発火剤になって、保守分裂、保守2大政党の環境に変われば、わからない。

左派政党を抱え込む限りは、結局55年体制が続くだけだと思う。共産党が増えるのは時代の逆行で、立憲民主党は、旧社会党メンバーを切らなければいけない。やっぱり冷戦の遺物、左翼の死に損ないだからね。

保守2大政党になって、はじめて政権交代が可能になる、と私は見る。

政権交代は民主主義を機能させるために必須だ、というのが井上達夫の理論ですね。勝者と敗者が常に入れ替わりうることで、統治が正統性をもつ。

政権交代にも2つあって、「多数にとってよりよい政策を選ぶ」タイプ(反映的民主主義)より、「悪しき為政者のクビを切れ」タイプ(批判的民主主義)のほうがよい、というのが、井上独自の主張です。

このあいだのツイキャスの番組では、日本で政権交代が起こりにくいのは、「よりよい政策を選ぶ」にこだわりすぎて、「悪しき為政者を切る」判断をしないからではないか、と言っているように思えた。

そして、自民党は、モリ・かけ・桜で、悪しき為政者なんだから、追い出さなければいけない、とーー

ここがねー、説得力がイマイチだと思った。

モリかけ桜って、マスコミが言っていることでしょ。検察よりマスコミを信じるんですか、と。私はマスコミを信じない。

左翼偏向を別にしても、マスコミは「疑惑」を引っ張りすぎなんだよね。新聞記者なら疑問の余地なく犯罪を立証しろよ。安倍晋三といえども1市民だからね。名誉毀損で訴えられないことをいいことに。起訴されないのは検察までグルだからだ、権力が絶望的に腐敗しているからだ、って思わせるような。それ陰謀論でしょう。マスコミはNHK番組改変問題の「疑惑」もまだ決着つけていないんだから。さすがに安倍が気の毒だ。

安倍晋三が選挙に出られるということは、犯罪者じゃないんでしょ。「疑惑」があっても選挙の禊が終われば民意による代表者に違いない。それでもまだ言うんですか、と。

その疑惑のマスコミと一心同体が野党だからね。

あー何が言いたいかというとーー

井上は、自分の政権交代論を正当化するために、自民党を「悪しき為政者」に見せようとしすぎている、と。

万一、今度の選挙で政権交代したら、「9条命」の共産党の権限が増し、井上の悲願である9条改憲がますます遠のく、ということは承知の上だろうから、井上の心中も苦しいところだろうけれど。

それはともかく。

マスコミと野党を信じて自民党を「悪しき為政者」だと思う人はいるだろうけど、そうは思わない人のほうが多い、というのが現状でしょう。

それは、立民とかと比べて「相対的に」悪しくない、ということではなく、絶対値で「悪しき為政者」というほどではない、と思っているのでは。

私もそうだ。

たとえばコロナ対策。死者の少なさと、いま感染者が少ないのを「偶然だ」とまで譲歩するとしても、自民党のコロナ対策はそれほど間違っていなかった。アベノマスクをマスコミは嘲笑したけど、世界的に見ても素早く正しい対応だったと言っていい。そのあと、オリンピックのため「希望的観測」が勝ったのは確かだ。ただ、オリンピックは自民党だけの責任ではない(それこそマスコミもグルだった)。それを「悪しき」とまで言えるかどうか。まして、その後のワクチン接種のスピードは海外からも驚かれたほどで、それが現在の感染の少なさを説明する自然な要因であることを勘案すると、それほど悪くはなかった。

経済政策はどうか。これも「悪しき」とまで言えるかどうか。日銀を抑えて大胆な金融緩和に踏み切ったのは安倍の政治力であり、それが失業率を低く抑えたのは確かに思える。経済が成長しないのは政治だけの問題ではないし、コロナは自民党の責任ではない。

総体として、「善政」とまでは言えなくても、「悪政」とも言えないのでは、と。

経済で「悪者」と言えるのは、デジタル化に反対したマスコミだと思うけどね。紙の新聞を残したいばっかりに、思いっきり日本の足を引っ張っていますから。

その点では、民主党政権の時に、デジタル化を進めようとした人たちがいたのも知ってるけどね。でも、結果は、マスコミの反対で進められなかった。

自民党(と維新)はマスコミを批判するけど、その他の野党と公明党はマスコミべったりだから。

政治家には選挙がある。企業は市場で淘汰される。マスコミだけなんだから、既得権益で力を持ちつづけ居座れるのは。

それはともかく。

井上がツイキャスで言っていて共感したのは、公職選挙法を緩和して、もっと日常的に選挙活動できるようにしなければならない、ということですね。

私の観点から、なぜそれが必要かというと、そうでなければ政党や政治家のイメージ操作をマスコミが担ってしまうからです。実際上、マスコミが選挙活動を代行することになる。それが民主主義を壊している。

ただ、ここでも疑問なのは、以下の点です。

井上の政権交代イメージは、やらせてみて、ダメなら次、ダメなら次、と政権交代を繰り返すイメージですね。

それは、投票者から見れば、「投票交代」を繰り返すことに他ならない。少なくとも相当数がそういう行動を取らないと政権交代が起きない。前の投票を次から次への「裏切る」ことですね。政治家や政党への忠誠はなくてもいいのか、と。それなら、選挙活動は何のためにするのか、と。

井上の主張は、理論が勝ちすぎて、投票行為のリアルを失しているのではないか。そういう疑問がある。

スローガンとしては、「悪しき為政者の首を切れ」より、「イマイチの為政者とは別れて次の人」くらいにしてくれると、受け入れやすさは増すかな。

結論から言うと、政権が何か大きな「悪しきこと」をしでかした場合のために、常に政権交代が起こりうる環境は必要だけど、常に政権交代が「起こる」必要はない。

長く自民党政権が続いているのは、日本の民主主義の未成熟が理由ではなく、絶対値で「悪政」をしていないからではないか、と。そう考えることはできないか。





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