「ソ連派」の人びと
昨夜、AmazonPrimeで、「刑事ヴァランダー」の最終回「失われゆくもの」を見ていた。
見るのは2回目だったが、「へー、こんな話だったのか」と発見があった。
BBC制作の本作は、世界中で人気ドラマだから、見ている人は多いと思う。
この回、ヴァランダーは若年性のアルツハイマー病を発症する。そのさいの、ケネス・ブラナーの迫真の演技に、圧倒された人は多いだろう。
しかし、この最終回が、どういうストーリーだったか、覚えている人は少ないのではないか。
このドラマの舞台はスウェーデンだ。
「プーチンが攻めてくる」という「妄想」にとらわれた、ヴァランダーの義父が、この回の被害者なのである。
退役軍人の彼は、冷戦時代、ソ連の原潜が、スウェーデン領海を侵犯した事件に、強迫観念を持っているようだ。
やがて、彼は謎の失踪を遂げーーという話だ。
この回の初回放映は2016年である。
この回のストーリーは、最初見たとき、私にも分かりにくかった。
スウェーデンとロシア(ソ連)との関係が分かりにくく、スウェーデン人の「ロシアが攻めてくる」という強迫観念が、ぴんと来なかったのだ。
もちろん、ウクライナ侵攻が起こり、北欧のNATO入りが取りざたされる今は、より理解できる。
このドラマの「ソ連原潜の領海侵犯」で、 私が改めて思い出したのは、1976年の、ソ連軍人の亡命事件(ペレンコ中尉亡命事件)だ。
ソ連の戦闘機「ミグ 」で、函館空港に強制着陸し、日本に亡命を求めたのだ。
当時、私は中学生だったが、日本政府の対応のドタバタぶりは、子供心にも印象に残っている。
そして、ソ連の戦闘機が、日本の空港に着陸できてしまうことに、みんな驚いた。
しかし、その後も、中国やロシアの「侵犯」はよくあるし、昨日もロシア艦隊が津軽海峡を通過した(防衛省によれば領海侵犯はなかったが)。
ずっと「ザル」のままである。
また、50代以上の人は、ウクライナ侵攻で、1979年のソ連の「アフガニスタン侵攻」を思い出した人も多いのではないか。
ソ連は当時、アフガニスタンを自分たちの勢力圏であるとみなしていた。しかし、そのアフガニスタンにソ連から離れる気配があったので、「アメリカの圧力により、アフガニスタンが西側に近づきつつある」というのがソ連の侵攻の理由だった。
今回のウクライナ侵攻と似ているのが分かるだろう。アフガニスタンがソ連圏だと、国際世論が正式に認めた訳ではないのだが、ソ連は勝手にそう主張し、侵攻を西側のせいにした。
そして、この時も、「どっちもどっちだ」というソ連(ロシア)擁護論が、左派文化人や「世界」などの左派メディアで展開された。
それは、稲垣武の「悪魔祓いの戦後史」文春文庫版の「あとがき」に詳しく書かれているが、稲垣はそこで、左派文化人がこうした場合に常套的に使う「つながる論」についても触れている。
「つながる論」とは、
「日米安保は日本をアメリカの軍事戦略の道具とするものだから、日本を世界戦争に巻き込む危険に『つながる』という論法」(同書p534)
というものだ。
例えば「核シェアリング」のような議論でも、左派は相変わらず同じ論理を使っているのが分かるだろう。
かつて「ソ連派」の文化人たちがいた。
彼らは、「進歩的文化人」と呼ばれた。
私のイメージでは、音楽家の芥川也寸志や、堤剛などが頭に浮かぶ。
彼らが当時のことを正式に謝罪したり反省したりしたものを見たことがない。(芥川也寸志は都合よくソ連崩壊直前に死んだ)
1977年、社会党左派(現在の立憲民主党や社民党の源流の1つ)の理論的指導者だった向坂逸郎は、田原総一朗のインタビューに、こう答えている。
「ソ連はですよ、日本とくらべものにならない。ソ連人の教養というのは、日本とはくらべものにならない。はるかに高いです。自由もね、日本とはくらべものにならない。自由です。思想の自由も、日本とはくらべものにならないくらいある」(稲垣p37)
そして、社会党が政権を取れない間は「非武装中立」を主張するが、社会党が政権をとったら、アメリカとの対抗上「非武装中立」をやめる、という意味のことを田原に答えている。
このあたりの論理と感性も、今の左派に残っているだろう。
ソ連は滅びていなかった。
冷戦は終わっていなかった。
日本の左翼は変わらなかった。
ということかもしれない。
単に。要するに。
つけ加えると、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻、それに対するアメリカの対抗策は、よく知られるように、その後、意外な「副産物」を生む。
ソ連への対抗上、アフガニスタンで「反共戦士」としてアメリカに育てられた1人が、ビン・ラディンだったのである。
今回の「ウクライナ戦争」も、これが終わった後、どのような「副産物」を生んで世界を苦しめていくか、予測できない。
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