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「手が小さい人」用のピアノはなぜ普及しないのか

「夏の思い出」「小さい秋見つけた」の作曲家、中田喜直は、嫌煙運動の先駆者として知られた。

飛行機みたいな密閉空間で喫煙が許されているのは危険極まりない、と中田は早くから主張していたが、世間の反応は冷たかった。

1980年代ですら、「あんな怖い場所では、煙草がないと精神の安定が保てない」というのが大方の喫煙者の意見であり、航空会社といえば「タバコ会社さんとの付き合いもありますので」という回答だった。

しかし、中田が亡くなる2000年までには、航空機内での禁煙がほぼ常識化する。それを見届けられたのは中田にとって幸いだった。

しかし、もう一つの宿願は果たせなかった。

中田は、早くから「手の小さい人用のピアノを普及させろ」と主張していた。

欧米人に比べて日本人は体が小さく手も小さいのに、体に合わないLサイズのピアノを使わされている。バイオリンやギターに小型のものがあるように、MサイズやSサイズのピアノをつくるべきだ、という主張だ。

中田の手も小さく、9度しか届かなかった。

そこで中田は、ヤマハやカワイに、オクターブで現行より約1センチ鍵盤の狭いピアノをつくらせた。それを中田はMサイズのピアノと呼んだ。中田の手でも10度がつかめるピアノである。その程度の改変ならさほど追加の製造コストがかからず、音量も変わらないことを確認した。

それを発表したとき、中田はMサイズピアノの問い合わせと注文が殺到すると期待していたが、ほとんど反応がなかった。中田はその後も「Mサイズ」の啓蒙を続けたが、嫌煙運動ほどの反響もなく、中田の死後はほとんど忘れられている。

ピアノは、左右とも、10度が届く手の大きさでないと、基本的には弾けない。10度というのは、ドから、1オクターブ上のミまでだ。プロを目指すなら、さらに大きい方がいいと言われるだろう。

19世紀のショパンやシューベルトの楽譜にも10度の和音は出てくる。10度が届く手があって、初めて8度(オクターブ)が安定的に弾けると言われている。

私の手も小さく、左手は10度届くが、右手は9度しか届かない。だから、中田の主張はよくわかる。女性などで、8度がやっと、という人もいるはずだ。

中田の主張には、ピアノ教育者から次のような反論があった。

・最初は届かない幅に届くように努力するから、手が開いて弾けるようになる。最初から幅が狭いと、手が広がっていかない。

・特殊なピアノで練習してしまうと、コンサートホールのピアノや、外国のコンクールなどに対応できなくなる。

・いまの日本人の体格は欧米人並みになってきているから心配ご無用。

しかし、これは考え方がおかしい。

体が大きい方がプロレスラーに向いているというのはわかる。

背が高い方がバスケットボールプレーヤーに向いているというのもわかる。

しかし、手が大きい方が音楽に向いている、というのはおかしい。手の大きさと音楽性は何の関係もない。

そもそも、いまのピアノの鍵盤の幅は、いい加減にできている。人間工学とか、そういうのに則っているわけではない。

もともとはもっと狭かった。手が小さかったショパンやシューベルトがなぜ10度の和音を書いたかというと、当時の鍵盤の幅が狭かったからだ。それがいまの幅になったのは1880年代以降だとされている。

ただの慣習で、人間がつくったものだから変えられるはずだ。なぜ頑なに「いまのピアノ」に固執するのか。

多様性だ SDGsだ、と言いながら、こういうところでは、思想が停滞している。それに教育者も気づかない。誰も置き去りにしない、の精神はどうした。才能があるのに、手が小さいから音楽を諦めなければならない理不尽を、みんな看過し、容認している。

「いまのピアノに合わせるべきだ」というのは、障害者に対して、あくまで健常者に合わせろ、という論理と、さして変わりがないのだ。

ただ、私は中田にも作戦ミスがあったと思う。

「体の小さい日本人向け」とか「手の小さい人向け」とかを強調するのは失敗だったのではないか。

そうではなく、手の大きい人にとっても、鍵盤が狭い方が弾きやすい、という点をもっと言うべきだった。

実際、これは多くのピアニストが証言している。往年の名ピアニスト、ヨーゼフ・ホフマンが、自分専用の鍵盤の狭いピアノをコンサートで使っていた話は中田も書いている。

つまり、Mサイズピアノは、ピアノのユニバーサルデザインなのである。手の大きい人も弾けるし、手の小さい人も弾ける。そういう風に宣伝すべきだった。

また、中田は、狭い鍵盤だからこそ、新しい和音を発見でき、作曲にも益すると書いている。

そういうことに重点を置いて啓蒙すべきだった。

そして、啓蒙のために最も効果的なのは、Mサイズピアノで、名ピアニストを現に輩出させることだろう。

手が小さい女性でも、これまで手が小さくてプロになることを諦めた人でも、Mサイズピアノなら才能を発揮できる。子供も、ハンデなく大人と対抗できる。そうして、手の大きさは音楽性に関係ない、ということを立証して見せるのである。

もし私が大金持ちだったら、宇宙に行ってニヤけた顔をさらすだけに大金使うようなバカなことはしない。

ヤマハを買収して、以後、ピアノはMサイズしかつくらなくする。そして、世界中のコンサートホールや音楽大学にそれを置かせ、コンクールでもそれを使わせる。

そうすれば、われわれはピアノ学習を根本的に革命でき、無数の才能あるピアニストを発掘できるだろう。

私がこんなとこで書いても世間は動かないだろうが、誰か影響力のある人に中田の遺志が届いてほしい。


参考:中田喜直『音楽と人生』




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