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150年変わらないもの、それは「自民党」と「朝毎新聞」のプロレス

別の記事で「岸→池田」「安倍→岸田」の首相リレーの相似について書いた。

それを書きながら思ったのは、日本は結局、60年前から変わらないだけでなく、150年前から、つまり明治維新で日本の近代が始まって以来、変わっていない、ということだ。

自民党は、ほぼ150年前に初代総理大臣になった伊藤博文が作った立憲政友会をルーツにしている。

その伊藤博文の保護を受けて大きくなったのが、現在の毎日新聞のルーツ、東京日日新聞であり、朝日新聞のルーツ、大阪朝日新聞だ。毎日新聞は、来年150周年を迎える。(朝日新聞が伊藤から秘密の資金を得ていたことは別の記事で書いた)

他のいろいろなものが変化した中で、150年変わらず続いている、この「自民党」と「朝毎新聞」のチームが、近代日本そのものを作ってきたと言える。表面上はともかく、結局は「自民党」と「朝毎新聞」のプロレスをずっと見せられてきただけと思える。

(なお、昭和に入り、震災被害から立ち直った「読売(報知)新聞」も主要プレーヤーに加わる)

そのプロレスが、やはり同じ頃成立した三井・三菱などの財閥の利益とともに、日本と「国体」を守ってきた、と捉えることもできる。

しかし、私はもう新聞(プラス、それと連なるテレビ)を通じて政治の情報を得るのが虚しくなっている。

日本の「システム」においては、野党も、マスコミも、自民党の派閥のようなもの、と考えたほうが、事態を正確につかめると思う。

野党が自民党を攻撃すれば、自民党のある派閥が弱り、ある派閥が強くなる。

マスコミも同様で、政権を攻撃すれば、自民党の別の派閥を利する。

そういう形で、自民党内の派閥の代理を演じ、総裁の交代を促して、「擬似政権交代」「擬似民主主義」を上演する役割だ。

立憲のようなベビーフェイスも、維新のようなヒールも、この興行の中でそれぞれの役割を果たすのだ。

どんな政治スキャンダルも、最終的には「自民党」そのものを倒すことはできない。60年安保も、それどころか敗戦も、倒せなかったのだから。

だから、本当に日本を変えたかったら、政治スキャンダルではなく、天皇制とか憲法とかの根本問題を正面から政治テーマにして戦うべきなのだ。

しかし、それをさせないのが、「朝毎新聞」なのである。話が「根本」に近づきそうになると、必ず政治スキャンダルに目をそらさせる。

そういう「プロレス」なのです。

それに虚しさを感じているのは私だけだろうか。

「革命」が起こらないと日本は変わらない、という当たり前のことを言っているだけかもしれないが。(そして、まあ、革命は起こらなくていいかもしれないが・・・虚しい。)


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