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古市晃『倭国』と「万世一系」の嘘

だいぶ前に図書館で予約していた、古市晃『倭国 古代国家への道』が、やっと私のところに回ってきた。

本書は、皇室の「万世一系」が幻想であることから、説き始められている。


皇位継承に関する有識者会議は、いいスタートのように思えたが、結局はまた結論先送りで、男系、女系などの論争も決着がついていない。

天皇制について、国民的議論をすることは、皇室や宮内庁としても歓迎だと思う。民主主義の中の皇室の在り方を、皇族の方々も常に模索されているように思われるからだ。

しかし、国民的議論になりそうな時、どうしても障害になるのが、この「万世一系」という「嘘」ではなかろうか。


初代の神武天皇以来、血統が絶えることなく続いている、という、いわゆる「万世一系」が幻想であることは、もう言うまでもないことに思われる。

まず、初代・神武から、9代・開化までが「記紀」の創作であることは、以前から常識だった。

そして、10代崇神天皇から実在したという説も、いまでは認められない、と古市晃は書いている。

第10代崇神天皇以降の天皇が実在したとする主張もあるが、そうした主張は文献史学や考古学の固有の方法論を無視したもので、学術的には何の意義も有さない。(p12)

学問的に実在が確認できるのは、第15代応神天皇、または第16代仁徳天皇からだ。それ以前は後世の創作と見ていい。

その第16代仁徳天皇・第17代反正天皇と、第18代允恭いんぎょう天皇とは、文献史料から、血縁がない可能性が高い。つまり、17代と18代のあいだで、血統が断絶していると思われる。

そして、允恭天皇の血統も、22代清寧せいねい天皇の代で、少なくとも男系としては断絶する。

その後、仁徳天皇の血統が第23代顕宗けんぞう天皇で復活するが、それも男系では25代武烈天皇で断絶する。

そのあとの第26代継体天皇は、応神天皇5世の子孫と自称したが、それまでの天皇と血縁関係のない周辺王族の一人と考えられている。

皇統の連続、そして男系の継続が主張できるとすれば、5世紀後半に即位した、この継体天皇からである。


神武以来、皇紀2681年は主張できないが、継体天皇から男系で皇統が続いているなら1500年以上続いているわけで、立派なものではなかろうか。

天皇制を尊重するとしても、学問的に絶対に支持されない「万世一系」を無理に主張する意味はないと私は思う。

高市早苗のような政治家は、男系での継承を主張するにしても、「万世一系」ではなく、継体天皇からの伝統の尊重であることを、はっきりさせるべきだろう。

「民のかまど」で人気の高い仁徳天皇などと、現在の皇室に血の繋がりがないことを、残念に思う人はいるかもしれない。しかし、今の人は血の繋がりをそれほど重視するものだろうか。「王統」としては連続しているのだからいい、と考えないだろうか。

「万世一系」という「神話」が皇室の威厳の源泉だと考える人は、幻想の上には本当の尊敬も尊重も生まれない、という事実を忘れている。

ちなみに、百田尚樹は「日本国紀」で、継体天皇からの皇統を主張しているらしく、文庫版が発売されたことで、右翼や、上念司みたいな人からも、「百田は『万世一系』を否定している」と改めて批判されている。

百田が正確にどう主張しているか確認していないが(「日本国紀」は単行本で読んだのだがすぐ売り飛ばしたので忘れた)、これは百田の方が正しいのではないか。

いまどき「万世一系」を唱えている方が、「国民のための皇室」の実現を遠ざけているのだ。


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