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三島由紀夫の「老年小説」 三島は老年を嫌悪したのか

「高齢者は集団自決すべき」「三島由紀夫だってハラキリした」という成田悠輔氏の発言には、賛同者が多かった。

日本の老人は、老年を嫌った三島由紀夫にならって、さっさと集団自決しろ、と多くの人が考えているらしい。

成田氏は三島の自決を理解していないのではないか、というのはすでに書いた。


ここでは、三島が老年を嫌っていた、という通説への疑いを書きたい。


たしかに、年をとった三島由紀夫を、我々は想像できない。

45歳で自決した三島は、生きていれば98歳である(1925年1月生まれ)。いまの時代、健在でもおかしくない。

池田大作氏(1928年生まれ)や、ユルゲン・ハーバーマス(1929年生まれ)よりは年上だが、まだ現役のヘンリー・キッシンジャー(1923年生まれ99歳)や、つい最近103歳で亡くなった水田洋氏(1919年生まれ)よりは年下だ。

女性だが、野上彌生子は99歳で亡くなる直前まで小説を書いていた。

だが、老年になって小説を書く三島の姿も、その小説の内容も、あまり想像できない。


それでなくても、我々に残されている、早すぎた晩年の三島のポートレートは、若々しい肉体を誇示するようなものが多い。そのイメージが強すぎる。

三島は老年を嫌悪していた、というのは正しい気がする。

しかし、それは、三島が老年について思索しなかったことを意味しない。


三島の小説の主人公は、青年であることが多い。

「仮面の告白」「鏡子の家」「潮騒」「金閣寺」「憂国」「春の雪」など。

その一方で、三島文学には、昔のレコードでいえば「B面」のような形で、老年を描いた系譜がある。

「禁色」「宴のあと」「絹と明察」「三熊野詣」「天人五衰」など。

三島の代表作を5つ挙げるとすれば、「青年小説」から選ばれるだろう。私が選んでも、たぶんそうなる。

しかし、「老年小説」の系譜は、三島にとって大きな意味があったと私は思っている。

彼の最後の「豊饒の海」4部作も、全体として見れば、本多繁邦を主人公とした「老年小説」という見方ができる。


三島が老年をどう考えていたか、もっと論じられてもいいと思う。

たしかに、三島には旧世代を批判する戦後派の側面があり、また「肉体の美学」からどうしても老年に美が振り当てられない。「禁色」「天人五衰」のように、老年を「不能性」に結びつけて、否定的に醜く描く傾向がある。

しかし、「豊饒の海」の直前に書かれた「絹と明察」では、主人公の企業家「駒沢」を通じて、老年に意味を与えていた。それは、彼自身が語っているように、父親になって、かつて唾棄すべきと映ったものが、違って見えてきたからだ。

この作品は、発表当時もいまも、あまり人気がない。人気がないのは、観念過剰な三島の癖が出ているからだと思う。まだ実人生で経験していない老年期の心理を「ハイデガー哲学」などの観念で埋め合わせている。

しかし、「絹と明察」は、三島の「老年小説」の帰結として、再評価されるべきだと思っている。もし三島がさらに生きていたら、経験によって、老年への彼の評価も変わり得た、と、そこから想像することができるからだ。


三島は、老年をただ嫌悪したのではなく、それを仔細に検討し、文学的に究めることで、先取り的に体験しようとした。

そして、死の直前には、老年を理解するようになっていた。

「豊穣の海」では、輪廻の思想によって、「加齢」の意味をいったん無化したとは言えるだろう。人は、老いに向かって衰弱するのでも成熟するのでもなく、究極的には、永劫回帰(または停滞)している。

だが、それも、老年を「観念」でだけ理解していたからかもしれない。

もし、長生きしていたら、新たな代表作となった「老年小説」を書いたかもしれない、と思うと楽しい。

現実の三島は、老年を体験することはなかった。

いま、私は老年になったのだから、その視点から、改めて三島の(あまり人気のない)老年小説群を読み直したいと思っている。



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