あと120回のラーメン
昨日、数か月ぶりに東京に出る用事があった。
東京に行く機会があれば、桂花ラーメンと、万世のパーコー麺を食べようと、ずっと思っていた。
桂花ラーメンは、このへんでは都内にしかない。最近、また無性に食べたくなっていた。
そしてパーコー麺は、今月末の秋葉原「万世」移転で、食べられなくなるかもしれないから、食べておきたい。
桂花ラーメンとパーコー麺のはしごも考えたが、さすがに無理だと思った。
どちらを食すべきか。前日に大いに悩んだ。
パーコー麺は並ぶであろうし、秋葉原は今回用事があるところから遠い。条件が悪い。
悩んだ末、今回は桂花ラーメンだけを食べようと決めた。
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それを悩んでいる最中に、ふと、
「自分は、あと何回、ラーメンを食べられるだろう」
と考えた。
『あと千回の晩飯』という、山田風太郎晩年の随筆集がある。
あと1000回、というのは、自分の寿命はあと3年くらい、という意味だ。
自分も老人になって、「あと何回」と考える気持ちがわかってきた。
老人は、つい考えてしまうのだ。
あと何回、旅行に行けるだろう?とか。
あと何回、山に登れるだろう?とか。
お好きな人は、あと何回セックスできるだろう、とか考えるかもしれない。
わたしは、老人になって、「食」に執着するようになった。
老人は一般に、それくらいしか楽しみがない。わたしもそうだ。
貧乏だからぜいたくなものは食べられないが、ぜいたくでなくてもいい。
原価100円以下の卵ごはんだって美味しい。
老人の単調な生活のなかでは、次は何を食べよう、明日は何を食べよう、というのが楽しみになる。
1日に3食しかないのが悔しい。6食にできないか、と思うほどだ。
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ラーメンも好きだが、60歳をすぎて、1カ月1回くらいしか食べていない。
(ここでは、自宅で自炊する袋麺、カップ麺は別と考える)
ひとつには予算の問題がある。いまはお店のラーメンは、1食1000円くらいする。1カ月に1度のぜいたくで食べるしかない。
そして、それくらいの頻度が、老人の胃袋にもちょうどいい。
老人の歯、老人の嚥下力、老人の消化力にとって、ラーメンはタフな食べ物だ。
もちろん、脂と塩分のプロブレムもある。
わたしは、50代で、もう二郎系はギブアップしている。
結果、お店のラーメンは、しぜんに1カ月1度くらいの頻度になっている。
その計算でいくと、わたしはお店のラーメンを、あと何回食べられるのだろう?
死の直前まで、ラーメンを食べられるわけではなかろう。
80代、90代まで、かりに長生きしたとしても、その歳でラーメンをおいしく食べられる自信がない。
最後はガリガリ君しか喉をとおらなくなる。
「健康寿命」と同じような意味で、「ラーメン寿命」がある。
わたしのラーメン寿命は、あと10年くらいではないか。
いまの自分の健康状態などを考えて、そう設定することにした。
それで、月1ペースだとすれば、単純計算で、あと120回しかラーメンは食べられないことになる。
「あと120回のラーメンか」
意外に少ない、と思った。
*
これは、どこのラーメンを食べるか、よく考えなければいけない、と思った。
きのう、東京に向かう電車のなかで、あと120回の配分を、一生懸命考えた。
もう新しい店を開拓することは考えない。
老人になると、食に関して保守的になる。
ラーメンに関しても同様だ。
信じてほしいが、わたしは東京でサラリーマンをしていたころは、評判のラーメンはたいがい食べた。
東京駅の「ラーメン激戦区」に、毎昼かよっていた時期もある。
それで、自分の好みは、もう絞られている。
120回しか機会がないのに、いまさら冒険する気はない。
神奈川の柿生から行きやすい、という条件を加味した熟慮のすえ、新宿に着くころに、以下のように決まった。
残りの人生でのラーメン計画表
家系ラーメン 30回 (おもに新百合ヶ丘の「町田家」)
白河ラーメン 30回 (おもに町田・三輪の「竹の助」)
博多ラーメン 20回 (おもに町田の「一蘭」)
熊本ラーメン 10回 (おもに新宿の「桂花」)
京都ラーメン 10回 (町田か新宿の「天下一品」)
パーコー麺(「万世」)、喜多方ラーメン(「坂内」)、餃子の王将のラーメン、街中華のラーメンの組み合わせで、残りの20回。
うん、これでいい、と思った。
あとこれだけ食べられれば、この世にそれほど未練はない。
というわけで、きのう、あと10回のうちの1回を食べてきた。
よく味わって食べたので、おいしかったです。
<参考>
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