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若いときメチャ感動したけど、歳をとるとそうでもなくなった本たち

表題のようなのを書こうと思ったのは、私の(小さな)書斎の本棚に、そんな本がたくさん並んでいるからだ。

擦り切れるほど読んだのが外からもわかる。だが、なんでそんなに感動したのか、今となってはわからない。

ふと懐かしくなって、ちょっと読み返したりするのだが、どちらかというと失望する。大したことが書かれていない、と。

1 色川武大「怪しい来客簿」
2 コリン・ウィルソン全般
3 太宰治全般
4 G・K・チェスタトン・・

なぜG・K・チェスタトンの「正統とは何か」に、毎ページに付箋を貼るほど、入れ込んだのか。

今となっては、そのときの心境を少しも思い出せない。


たんに歳をとって、感動する若い心を失っただけかもしれない。

最近は、本を読んでも映画を見ても、あまり何も感じない。だから、見ようという気もしない。

だけど、人生経験を積んだから、目が肥えたということもあると思う。「感動させよう」とか「感心させよう」とかいう、チャチな仕掛けが見えてしまう。

私は、下手に出版界で仕事をしたものだから、作家とか学者とかがどういう人間であるかも知っている。本を書いた人を実際に知って、本を読んだとき以上の感銘を受ける、ということはほとんどない。


逆に、若いときはそうでもなかったけど、いま読むと面白い、というのも少数ある。

火野葦平の「革命前後」などがそうだろうか。失敗作だと思うが、なぜ失敗したのか、書かれていることの外部の、火野葦平の人生のほうに共感を覚えたりする。

三島由紀夫も、昔感動した「憂国」とかより、「軽王子と衣通姫」のような、日本語の美しさをストレートに感じさせてくれる作品の方がいい。内容よりも、技巧に感じるというか。

その人の本領とか、代表作とか言われるものより、少し本筋から外れたものに、意外な魅力を発見することはある。


子供を悩ませる「読書感想文」なんて奇習はやめるべきだと思うが、「昔感動したけど、今はつまらない本」「その逆」という課題で、老人相手に募集する感想文コンクールがあったら、応募したい。



<参考>


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