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9条改憲のために

9条改憲の必要について、昨日の夕刊フジで、前統合幕僚長の河野克俊がいいことを言った!

改憲の中身については、「時代の変化に対応して改正していかなければならないもの」と、「憲法そのものが、そもそも抱えていた矛盾あるいは問題点を根本的にただすこと」の2種類があり、これらは区別すべきだと考えている。
すなわち、「緊急事態条項」「合同解消」、そして「教育の充実」は時代の変化に応じて変えるべきものだが、「憲法9条の問題」は、憲法が制定されたときから抱えていた矛盾であり、時代が変わったから改正するものではない。


9条は、憲法そのものが最初から抱えていた問題点であり、その他の「お試し改憲」的なアレコレと同じにすべきではない。

河野と同じく、そんなアレコレよりも、ストレートに、率直に、9条改憲に進め、というのが私の考えだ。

これを、「ウクライナ」便乗の右翼的言説と捉えて欲しくない。

私は9条とともに、天皇制に関する条項(その曖昧さ)も、「最初から抱えていた問題点」だと考える。

日本も、ウクライナと同じく、大国、強国に囲まれた「緩衝国」である。

万一、ウクライナのようになったとき、ゼレンスキーの役割を担うのは、首相なのか天皇なのか。そういうことに、憲法は答えているのだろうか。

だから、同じく国民投票にかけていいと思っている。


9条と天皇制規定は問題だ、とは、戦後すぐの日本人は気づいていた。

例えば読売新聞は、1946年に次のように書いた。

「負けたりとはいえ、われはいつの日か独立を希望し、民族純一の意思に基づいて国家百年の礎たる憲法は決定したい」

天皇制については、

「連合軍の撤退直前に天皇存否の国民投票を行ってもよい。なぜなら米軍撤退は日本の民主革命が完了、民主政権が確立される時であるからだ。いづれにせよ、天皇の地位は天皇制批判の薄明がいまはじまったばかりの時に、永久固定的に確定すべきでないのではあるまいか。三千年来はじめて解放された国民感情は刻々変化しつつあるのである」

戦力不保持(9条)については、

「もしわが国が他国の侵略を受け、侵略国に隷属させられた場合に、わが国民にも当然解放戦争の権利は残されるべき」

(読売新聞1946年3月8日「人民憲法の制定」)


当時、読売新聞は、労働争議で共産党系に支配されていた。

当時の共産党と社会党は、ともに、

「とりあえずGHQが憲法を作るのは仕方ない。いったん受け入れるけど、独立したら自分たちで作る」

と考えていた。現在の野党の「護憲」ぶりと対照的である。

それについては、以前も書いた。

戦後すぐの総選挙で、社会党と共産党が躍進したことは、こうした憲法観が国民にかなり共有されていたことを物語るだろう。

(ただし、実際の選挙戦では、両党の主張は「生活第一」で、憲法問題はあまり押し出さなかった)


改憲派だった共産党・社会党が、「護憲」に変わった背景には、やはり東西冷戦下での「反資本主義」「反保守主義」があった。

日本の戦力が社会主義勢力(ロシア、中国など)の脅威となることを恐れた左翼と、資本主義と保守主義が戦争を起こすと信じる反戦運動を担ったリベラルとが、「革新」「市民連合」として合体した。そのさい、「9条」をシンボルとするのが、いちばん国民的支持を調達できたのだろう。


ウクライナ情勢によって「新冷戦」時代になったとしても、現在の「護憲」がもはや説得力がなくなっているのは、自覚しているだろう。

別に9条を変えなくても、いくらでも現実的な安全保障ができる、という「リアリズム」論もある。

しかし、問題は国防だけではない。民主主義や法の支配を、もっと真面目に考えるべきという視点から、改憲を進めるべきだと思う。


終戦直後に自覚されていた「宿題」を70数年後に果たすために、9条を国民投票にかけるべきなのだ。

そして、同時に天皇制についても、国民投票にかければどうか。それなら共産党も反対できまい(というか、本来、共産党が提案すべきだろう)。

これまで書いてきたように、私が言う「9条改憲」は、必ず9条を変えろということではない。私個人は変えた方がいいという意見だが、改憲発議され、それが否定されたとしても、「改憲」されたと見る。

天皇制がなくなることはないだろうし、9条も「このままでいい」が多数かもしれない。

しかし、少なくとも国民投票は、それらを国民全員が真面目に考える機会になる。そして、憲法に民主的正統性を与える。それによって、初めて憲法も、天皇制も、国民のものになるはずである。


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