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「おカネ、くれくれ」ばかりで国家の大事を考えないどこかの国民

いや、日本のことですが。

でも、今の日本国民のことではなく、75年前、終戦直後の日本の話。

1945年の秋から、1946年の春まで。つまり、占領開始から、現行憲法の案がGHQから(形式的には日本政府から)出てくるまで。

この半年は、日本国民が空前絶後の「言論の自由」を得ていた時期だった。

もちろん、GHQの検閲はあり、軍国主義の復活やアメリカへの報復をほのめかすような言説について厳しかった。

でも、民主主義や自由な議論は奨励する立場にあった。例えば、天皇制をどうするか、残すか廃絶するかを国民が議論できる、史上最初の機会になっていたのだ。

具体的には、新憲法の中に天皇をどう位置づけるか。最初GHQでもまだ固まっておらず、日本人の意見が知りたかった。

アメリカが天皇制を残すつもりだったのは本当だ。その方が統治しやすい。日本のエスタブリッシュメントももちろんそうで、それは戦前からのマスコミも含まれる。

しかし、占領期日本は、国際世論の監視下にあって、必ずしもアメリカ政府の好きにできたわけではない。天皇の戦争責任を問う欧米の世論も無視できなかっただろう。

またソ連は当然、日本の君主制存続に反対だった。日本国内でも、共産党は天皇制を残すことを警戒していたし、この時期というのは、近代日本史上、共産党が最も世論に影響力を持った時だ。

GHQも、最終的に天皇制を残すつもりだとしても、日本国民が議論した上で新憲法を作った、という体裁を作らねばならなかった。だから、天皇制を含めて、新憲法の議論を国民にさせるよう、朝日毎日などのマスコミに非公式に促していた。

だが、朝日毎日は、その役目を果たせなかった。意外に思うだろうが、いまは「護憲」をうたうこれらの新聞は、新憲法制定に消極的だった。大日本帝国憲法のままで基本オーケーだと考えていた。社内の記者から「社が新憲法に消極的で困る」とGHQにチクられたりしている。

当時の朝日毎日が「社内民主化」という名の「社内下克上」に忙しかったこともある。しかしそれ以上に、天皇制について議論するというような言論スキルを持っていなかった。「天皇制」という左翼の言葉を一般紙も使い始めたのはこの頃だが、敬語を使うべきかどうかとか、言葉づかいからわからない。

そして、戦後の日本で天皇制をどうするか、結局、新聞社自身が答えを持っていなかったことが大きい。

今もそうだが、日本の新聞社は、「答え」を上から訓示するのは得意だが、落とし所がわからない議論はしたがらない。どちらに転ぶか分からないような議論はなるべく避けるので、憲法改正の議論も苦手だ。世論がコントロールできなくなるのを極端に嫌う(だから官僚制の一部だと言われる)。つまり、自由な「民意」に従う気はない。

この時もそうで、だからGHQから「答え」が降りてくるのを、ひたすら待っていた。

国民が、支配層だけでなく庶民が、天皇制について率直に議論できる唯一無二の機会は、こうして潰された。

その間に先んじたのは皇室で、昭和天皇は以心伝心のようにしてGHQの意思を読み(実際にどのような駆け引きがあったかは明らかでない)、軍服を脱いで「民主的な天皇」像を国民の前にさらした。いわゆる「巡幸」も戦後すぐから始める。

そして、国民議論のために紙面を割かなかった新聞も、そうした「平和主義の皇室」の様子を連日のように新聞に載せた。つまり、憲法で予定されていた「象徴天皇制」を、議論抜きで、イメージ先行で定着させようとしたのである。

しかし、これには第2ラウンドがあった。

GHQは、1946年4月の、戦後初の総選挙の結果をもって、3月に出た新憲法案についての世論の承認を得ようとした。

短い期間だが、この1カ月の間に、各政党は、天皇制を含めた憲法の重大問題を議論することができた。

しかし、ここでも、議論にならなかった。天皇制に敵意を持つ共産党も社会党も、さすがに準備期間がなかった。重要なことは後で憲法改正すればいい、と社会党の森戸辰男は発言している。

共産党、社会党の民主統一戦線(野党共闘!)が唱えたのは、何より「政権交代」、つまり幣原内閣(進歩党)から政権を奪うことだった。

そのため、史上初めて選挙権を得た女性を含めた選挙民に、これらの党が訴えたのは、「食糧問題」「コメ、寄こせ」だった。

5月、戦後初のメーデーでは、「憲法より飯だ」というプラカードが林立した。

選挙では結局、吉田茂の自由党が勝ち、6月に憲法改正案を帝国臨時議会に上程、10月に成立する。

後の細かいことは省くけど、

・天皇制や憲法など、国家の重要なことほど取り上げない/考えないマスコミ

・天皇制や憲法など、国家の重要なことより「生活感」からの訴求に走る選挙民

・天皇制や憲法など、国家の重要なことより選挙民に媚びるだけの政党

この3者は変わんねえなあ、と。

てこと〜。

(参考:有山輝雄「戦後史のなかの憲法とジャーナリズム」)






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