自民党と「ヤクザ」の基礎知識
*タイトル画像は河野一郎
自民党は、かつてヤクザを利用していた。
戦後すぐは、闇市での「三国人」の暴徒を取り締らせるため。
その後は、共産主義の運動をつぶすため。
ヤクザと付き合って、彼らに指示していたのは、河野太郎の祖父の河野一郎や、大野伴睦といった、いわゆる党人派の政治家だった。
だが、1960年安保騒動が終わると、いったん日本共産化の危機は去り、警察や自衛隊組織もしっかりしてきた。
河野一郎などの党人派は、義理・人情を大切にして、ヤクザに「お世話になった」恩義を感じる傾向があった。
だが、吉田茂に発する官僚派は、人間的には冷徹で、ヤクザなんかに頼るのは恥ずかしいから切り捨てろ、という考えだ。
そして、ヤクザとの仲介役だった大野伴睦(1964年死去)、河野一郎(1965年死去)が相次いで亡くなると、
ヤクザはもう要らんわ
ということになった。
自民党はヤクザを切り捨て、警察は「第一次頂上作戦」でヤクザ撲滅に走る。
ーーという経緯を解説してくれているのが、10月1日にアップされた山之内幸夫氏の以下の動画だ。
山之内幸夫が語る~山口組 組史㊾頂上作戦 政府がヤクザを見放す~(山之内幸夫チャンネル 2024/10/1)
しかし、ヤクザと縁を切った後も、自民党には「反共部隊」がいぜん必要だった。
1960年安保以降も、共産勢力、共産シンパは、日本の内外にはびこっていた。
それは私の子供時代だが、義務教育の先生は日教組で共産シンパ、新聞も共産シンパ、大学の先生も、彼らが主役の論壇、アカデミズムも共産シンパ、見渡す限り共産シンパであった。
だから、ヤクザのあとには、自民党は、勝共連合、統一教会のような組織との付き合いが必要だった。
汚れ役としての「反共部隊」は、ストつぶしから選挙中の謀略まで、いろいろな場面で必要だっただろう。
自民党員の「汚れ役」との付き合い方にも、いろいろあったはずだ。かつての「ヤクザ」との付き合い同様に。
現在の野党政治家だって、極左セクトなどの「汚れ役」を頼ることはあるだろう。マスコミの中にも、そういう「汚れ役」(組織の秩序や出世を無視して左翼宣伝に努める人)はたくさんいた。
安倍晋三のような人は、祖父は官僚派の岸信介だが、清和会は党人派の肌合いがあり、世話になった「汚れ役」との縁を切れなかったのかもしれない。
それを批判する人は、かつて日本共産化の脅威がどれほど強かったか、考えてほしい。
日本は共産国になった方がよかった、という人だけが、自民党と統一教会のつながりを批判できる。
<参考>