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【令和の大スクープ】「消えた百合丘第1公園」は弘法松公園だった (川崎市麻生区の公園に謎が多すぎる件)


「第1公園」の謎


以前にも記しましたが、川崎市麻生区の百合丘には「百合丘第2公園」から「百合丘第7公園」までのナンバリング公園がありますが、なぜか「百合丘第1公園」が見当たりません。


百合丘第2〜第7公園


麻生区の公園を全部回る、という企画を進行中の私は、「おかしい」と何度も地図を見直して「第1」を探していたのでした。

すると、「百合丘第1緑地」というのを発見しました。


百合丘第1緑地


そして、「百合丘第2緑地」以降は存在しません。

だから私は、「百合丘第1緑地」が「第1公園」なんだろう、なにかの理由で「公園」から「緑地」に名称変更したのだろう、と思っていました。

その「百合丘第1緑地」にも行きました。それは、私が「隠れた名園」と呼ぶ「百合丘第2公園」の隣にある、というか、「第2公園」に付随したような、森の散歩道です。


百合丘第1緑地


百合丘第1緑地


たしかに、これを「公園」と言うのは無理があるかも、とか思っていたのでした。


しかし、それは誤った認識でした。

「弘法松(こうぼうのまつ)公園」が、かつての「百合丘第1公園」だったのです。

それを、以下のmorikuma氏のブログで知ったときは、「これはスクープだ」と身体が震える思いでした。


現在「第一公園」の名前は残っていません。 
しかし、1990年発行の地図(印刷物)には「弘法松公園」(こうぼうのまつこうえん)のところに「百合丘第一公園」と記(しる)されていました。 
そこで、私は弘法松公園が第一公園と呼ばれていたことがあったのではないかと考えています。 
ただ、弘法松公園に行ってみると、入り口には「弘法松公園」としか表示(ひょうじ)されていません。
❖ その後たしかめたところ、川崎市の公園一覧表に『弘法松公園 (旧 百合丘第1公園))』と書かれていました。 
いつ頃までその名前だったかははっきりしませんが、上に書いたように1990年発行の地図には「百合丘第一公園」と記(しる) されています。(2019-09 記)
❖ (追記 2022-02-02) 調べたところ、公園名が変更されたのは 1989年3月とのことです。


弘法松公園の入口


morikuma氏は、子供のころから生田と百合丘に住んでいた地元の方ですが、そういう方にも「第1公園」がないのは謎だったわけです。

ネットには、「弘法松公園」を「旧百合丘第1公園」と書いている人は少数ながらいましたが、morikuma氏は、その疑問を追究し、変更年まで突き止めたわけですから、立派な市民ジャーナリズムだと思います。

ちなみに、1989年3月に変更したということは、ちょうど昭和から平成に変わったときの変更です。(1989年1月に改元)

その名称変更の背後に何があったのか。「弘法」のネーミングライツを高野山に売ったのか、あるいは買ったのか(?)、といった疑問の究明は、今後に委ねられています。


「第6公園」の謎


morikuma氏は、同ブログで、「第6公園」の謎にも触れています。


若いカップルが入居してきた百合丘団地周辺には児童公園(じどうこうえん)がいくつもありました。 
第一から第七まで確認できますが、なぜか団地の近くには「第六」がありません。 
バス停団地坂上から南に250mほどのところに「百合丘第6公園」があるのですが、その周辺は百合丘団地ができたころにはまだ里山(さとやま)あるいは畑の中でした。 
「6」がなかったので後から作った時にその番号を使ったのでしょうか。


「第6公園」については、ここだけ「百合丘」ではなく「百合ヶ丘」表記(「百合ヶ丘第6公園」)であることを、私も以前の記事で指摘しました。


この公園だけ表記が違うのも、「第6」が「後から作った」ものだからでしょう。1960年当時、「第6」の場所がまだ里山か畑の中だったとは、地元の人ならではの情報です。


しかし、morikuma氏の解釈だと、なぜ当初「6」がなかったのか、という新たな疑問が浮かびます。

「公園探訪」のサイトでそれぞれの開園日を調べると、以下のとおりでした。

第1公園(百合丘2丁目) 1962(昭和37)年11月26日
(1989年に「弘法松公園」に名称変更)
第2公園(百合丘3丁目) 1963(昭和38)年7月10日
第3公園(百合丘1丁目) 1962(昭和37)年7月10日
第4公園(百合丘2丁目) 1963(昭和38)年7月10日
第5公園(百合丘3丁目) 1963(昭和38)年7月10日
第6公園(東百合丘4丁目)1979(昭和54)年12月27日
第7公園(百合丘1丁目) 1979(昭和54)年9月3日


こうして見ると、第6と第7は、両方とも、あとから作られたのがわかります。

「第6」が不思議なのは、この公園だけ団地から遠いことだけではなく、東百合丘には「餅坂(もちざか)公園」という別のナンバリング公園があるのに(餅坂第5公園まである)、その中に混じって、この公園だけ「百合丘公園」であることです。

餅坂公園と「百合ヶ丘」第6公園


餅坂公園も1979年ごろにできていますから、「百合丘第6公園」を「餅坂第6公園」にして、いまの「百合丘第7公園」を「百合丘第6公園」にすれば、スッキリしたのに、と思うのですが、どういう事情があったのでしょうか。


ちなみに、この東百合丘のあたりを「餅坂」というのは、餅屋という屋号の家があって、昭和25年ごろまで餅を売っていたからだそうです。

そして、この餅坂公園も、第2~第5があって、「第1」がない、という謎があります。公園の謎は、次から次へと出てきて尽きません。


morikuma氏が「児童公園」と書いているのも面白いと思います。百合丘団地を同時代に知る人は、そこに「若いカップル」の入居者が多く、少子化前で、子供が多かったことを覚えているのでしょう。

いまも一部で「児童公園」の表記は残っているかもしれませんが、団地の入居者も、公園の利用者も、現在は高齢化していると思います。


その他の謎


麻生区が長寿日本1になった理由の1つに、公園の多さが挙げられました。

それが、私が「麻生の公園完全制覇」を思い立ったきっかけです。

公園を回っていると、確かに公園の多さを実感しますし、おおむね管理もいいと思います。

ただ、上記のように、公園名には謎が多いです。


他にも、「王禅寺ふるさと公園(旧川崎市制60周年記念総合公園)」なる表記をネットで見つけました。

「川崎市市制60周年記念総合公園」という散文的な公園名が、「王禅寺ふるさと公園」というポエムな名前になったのはいつ、そして、なぜなんでしょう。

来年は川崎市市制100年ですが、「100周年記念公園」に再改名とかあるのでしょうか。


だいたい、「王禅寺公園」という立派な公園が別にあるのに、なぜわざわざ混乱させるような命名になったのでしょうか(私もときに混同する)。

ほかにも「王禅寺見晴し公園」とか、「王禅寺さくら公園」とか、紛らわしい名前が多すぎて、「王禅寺公園」の立場がない。「王禅寺公園」を、「元祖王禅寺公園」とか「王禅寺公園オリジナル」とかに改名すべきではないでしょうか。


命名のときは、その都度、理由や事情があったと思いますが、麻生区は、ここらでいったん立ち止まって、公園名を整理してはどうでしょう。

そして、これまでの公園の旧名や、変更時期、変更理由などを、区がはっきりと告知してほしいんですね。

そうしないと、記録や記憶が失われて、わからなくなってしまうかもしれません。

麻生区は「長寿日本1」になって、世の注目を多少ともあびているのだから、そういう観光情報の基本みたいなところ、しっかりやってほしい。

あと、麻生区の歴史を残すために、morikuma氏とか、およばずながら私なんかの「市民ジャーナリズム」活動も必要だ、と思うわけですね。


「百合丘」なのに「新百合ヶ丘」?

なお、「百合丘」の表記のブレに関連して、morikuma氏は、百合丘にある一部のマンションが、「新百合ヶ丘」をマンション名につけていることを問題にしています。

百合丘だけでなく、近隣の柿生や五月台にも「新百合ヶ丘」を名乗る物件はあります。急行やロマンスカーが停まる「新百合ヶ丘」の方がイメージがよく、物件価値が上がるからでしょう。

しかし、「新百合ヶ丘」が最寄り駅ではないのに、それを名乗っていいものでしょうか。

不動産業界にも一定の基準はあると思いますが、こういう「誇大」表示はどこまで可能なのか、実態はどうなっているのか、それも調べてみたいものですが、それはまた別の話になるでしょう。


<参考>

新百合ヶ丘は「お笑いの聖地」だった、ことも歴史に残したい。



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