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「左」を排除できない立憲民主党 でもいずれは「排除の論理」が発動する

立憲の代表選候補者に、共産党との共闘を否定する人はいないようですね。

じゃあ、それこそ「立憲共産党」になっちゃえば、と思うよね。

立憲と共産、どこが違い、どこが同じなのか、それくらいははっきりさせてほしい。

立憲のルーツにはかつての社会党がある。

その社会党の左派と共産党は、同じマルクス主義的な社会主義革命を志向する人々で、一般人には違いがわからなかった。左翼の中の路線争いでしょ、くらいで。

社会党と共産党が、結びつきそうになって、離れていく、ということはかつてもあった。

1970年代の「社共共闘」を思い出す人もいるだろう。

あの時は、自民党VS「社会党、共産党、公明党」という図式だった。

社会党と共産党が一緒になって(社共共闘)、野党の公明党を巻き込み、自民党と対峙して政権交代を実現しよう、と。

これを「民主連合政府」構想と言った。たぶん、今回「市民連合」を作って野党共闘を進めた山口二郎らの頭にあるのは、この時の構想でしょう。

いまだに「1970年代の夢」を追っている。佐高信とか。まだ世界中で社会主義が真面目に信じられていた時代。ベトナム戦争でアメリカに勝利した、新聞記者がニクソン大統領を辞任に追い込んだ、創価学会と共産党を松本清張が握手させた、公害問題で左翼活動家が輝いた、あの70年代。

文化大革命の、ポルポト革命の、「輝ける道」の70年代。

と言っても、今の若い人は知らないだろう。1940年代〜1960年代生まれ、つまり今の60歳代以上の世界観だ。

この1970年代でも、社会党の中で共産党と組むのを嫌う人がいて、「社会党・公明党・民社党」の構図に引っ張られた。民社党は反共主義で、イデオロギーを別にすれば、今の国民民主党みたいな位置付けだ。

この時も、傘下の組合が右往左往するなど、今と同じような状況が生まれた。

結果は、社会党と公明党が結びつき、共産党が排除された。

あるいは、初の政権交代となった、1993年の細川政権の時を思い出すかもしれない。

あの時は、連合の意向もあって、政権交代を優先し、社会党の左派議員を選挙名簿から「排除」した。その結果、非自民・非共産の細川政権ができる。

その後の「自民・社会・さきがけ」村山政権が、安保や自衛隊を認めたことで、「社会党」が終わった、と見る人が多い。

その後の、1996年の民主党結成時の、鳩山らによる「排除の論理(元祖)」。

また近くは2017年の、「希望の党」小池百合子による「排除の論理」(それで立憲民主党ができた)。

いずれも、「左」を排除する、という歴史なわけです。

自民党に代わる責任政党の「塊り」を作って、政権交代を目指そう、とするたびに、「左」が排除される。

しかし、排除された「左」を激励し、支援し、また復帰させる「無責任」勢力がある。それが、朝日、毎日新聞だし、左派文化人たちなわけです。

戦後の日本の政治は、その繰り返しなわけですね。

今回の立憲の代表選の行方も、結局、同じことの繰り返しとなるでしょう。

共産党を巻き込んだ「政権交代」構想が日本で実現したことはないし、これからはますますない。

立憲の代表が誰になろうと(左派メディアが必死になって大きな政治的スキャンダルを炸裂させられない限りは)、立憲は参院選で「順当に」敗北し、「排除の論理」で分党することになるでしょう。

しかし、そうなっても、左派は相変わらず「排除された側」の党を応援するでしょう。

立憲民主党のように、一時は同情が集まって人気になるかもしれない。しかし、「左」の地金が現れて、また同じことの繰り返しだ。

メディアも、「左」を応援すれば、自民党の権力に対抗したwatchdogの役割を果たしている、という自己満足を得ることができる。

しかし、それによって、政権交代を遠ざけ、むしろ自民党を「絶対権力」化させてきたことに、人々は気付き始めていると思う。

誰が政権交代を遠ざけているのか、一目瞭然だ。

もう国民はうんざりしているのですが。



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