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戦争責任と敗戦責任

ウクライナ戦争を見ていると、どうしても「戦争責任」と「敗戦責任」の問題が頭に浮かぶ。

私の頭の中でずっと未解決になっているのは、昭和天皇の戦争責任と敗戦責任の問題だ。そして、たぶんスッキリ解決することなく、私は寿命を迎えるだろうという予感はある。

(政治家も含めて、みんなあまり考えてないように見えるが、次に日本が戦争をする時ーーそれがあるとすれば自衛権による自衛戦争だろうがーー大統領のゼレンスキーに当たるのは、首相ではなく天皇である)

この問題にはもちろん、戦後すぐからの長い論争史があり、無数の議論が戦わされてきた。

しかし、頭の中でスッキリ解決している、という人は、どれほどいるだろうか。

結論が曖昧に思えるのは、もちろん天皇タブーの問題がある。昭和天皇の戦争責任問題には、右翼やマスコミがいつも神経質になる。

しかし私は、左翼的見地や、天皇制否定論から、これを言いたいわけではない。

そして私は、法の専門家でないのはもちろん、いかなる意味でもこの問題の専門家ではない。

ここでも専門的な議論ができるわけではないが、問題の所在だけは書いておきたい。

これまでの議論で前提とされてきたのは、戦争責任と敗戦責任は違う、ということ。

そして、昭和天皇の責任を問う場合は、法的問題ではなく、倫理的問題だ、ということだろう。

戦争責任と敗戦責任の違いを、簡単に記せば、

1 戦争責任とは、「不当な」戦争によって起こった被害に対する責任(勝敗は関係ない)

2 敗戦責任とは、戦争の「敗北」によって起こった被害に対する責任(戦争の当否は関係ない)

昭和天皇に、それぞれの責任を問えるかについて、2つの鋭く対立する立場がある。

A  昭和天皇には、敗戦責任はないが、戦争責任はある(例えば、法哲学者の井上達夫「戦争責任という立場」『普遍の再生』所収での説)

B 昭和天皇には、戦争責任はない(あるいはわからない)が、敗戦責任はある(例えば、哲学者の吉田夏彦「敗戦責任」『相対主義の季節』所収での説)

で、私は、ふだんは井上達夫の説に賛同することが多いのだが、この問題は別で、どちらかというと、Bの吉田夏彦の説に共感するのだ。

インテリや法の専門家には、Aの考え方が多いかな、と思う。

しかし、一般の日本人には、Bの方が共感できるのではないか。

Bの考え方を述べるときは、天皇の地位はよく「会社の社長(あるいは会長)」に例えられる。

昭和天皇は、実際の作戦の立案など、細かい戦争遂行にはかかわらなかったかもしれないが、「代表取締役」として、「敗北」という経営の結果に責任がある、という考え方で、実際、吉田夏彦もそういう論じ方をしている。

昭和天皇死去のさいも、朝日新聞などには、「昭和天皇は破綻した企業の社長と同じ。国民を路頭に迷わせた」という投書が載っていた。これがBの立場と言えるだろう。

しかし、私が昭和天皇に敗戦責任があるのでは、と思うのは、そういう「代表取締役」という地位にいたから、という理由ではない。

昭和天皇は、あまり戦争に熱心でなかったらしいからである。

これは、戦後、A級戦犯容疑で公職追放になった徳富蘇峰が、「敗戦後日記」で書いている。

蘇峰は、皇室派ジャーナリストとして、明治天皇の日清日露戦争も、昭和天皇の15年戦争もサポートした(名文家の蘇峰はスピーチライターのようなこともしていた)。

しかし昭和天皇は、一貫して戦争に積極的でなかった、と蘇峰は言う。明治天皇は日清日露の時、広島まで住まいを移して最前線で指揮しようとしたのに、昭和天皇はただ東京で軍人の話を聞いているだけだった、云々。

もう少し昭和天皇が戦争に真剣だったら、戦況は違ったものになったのに、と蘇峰は言いたかったわけである。

それは、戦争責任論ではないのはもちろん、敗戦責任論でもないかもしれない。

「仮に、昭和天皇がもっと戦争に熱心であっても、戦争には負けたかもしれない。勝負は時の運だから、それは仕方ない。しかし、天皇が全力で当たっていなかった結果がこれだから、悔いが残り、残念だ」

という思いだ。

これは、敗戦責任論としても、敗北そのものではなく、「経営の怠慢」を主に責める声だと言えるだろう。

この蘇峰の感じ方が、私の感じ方に近いのだ。

一方で、昭和天皇は、戦争に不熱心だったからこそ、戦争責任論から免れたところがある。

昭和天皇は、本当は戦争をしたくなかったが、軍人と政治家が戦争をしたかったので、立憲君主として仕方なくそれに従った。本当の天皇は平和主義者だった。

だから、昭和天皇には戦争責任はなかった。

こういう見方は、昭和時代より、むしろ最近、平成時代以降に、より強まったと感じる。

しかし、蘇峰が生きていたら、憤慨するだろう。戦争に不熱心だから「褒められる」なんて、信じられない、と。

私も、そう思うのである。

今更こんな話をするのも、今回のウクライナ戦争での、日本人のゼレンスキーの評価に、この昭和天皇の責任をめぐる議論が、なにがしか影を落としていると感じたからだ。

戦争を始めたプーチンはもちろん悪いが、それに「熱心に」対応して戦うゼレンスキーも悪い、という一部識者の言論には、昭和天皇の免責論が影響しているかも、と感じるのだ。

昭和天皇は戦争に不熱心だったから悪くない、という議論に納得した者は、ゼレンスキーは戦争に熱心だから悪い、という議論に傾きがちなのではないか。

もちろん戦争は起こってほしくないが、仮にそうなった時のことを考え、国民で防衛論議をし、できるだけ備えておくことは必要だ。民族の存亡がかかるのだから。

そのさい、天皇の役割については、どう考えるべきだろう。民族を代表するのは天皇のはずである。民族の存亡がかかった場合のことを、憲法は想定しているのだろうか。また、天皇自身はどう考えているのだろうか。

政府は戦争すべきだと考えるが、天皇が反対した場合は? あるいは、逆の場合は? 

開戦の場合も終戦の場合も、天皇の協力が必要なはずである。幕末、孝明天皇は攘夷を主張したが、政府(幕府)はそれに逆らった。そのために大老が殺された(そして幕府も倒れた)。同じようなことが起こる可能性はないのか?

前の戦争で、天皇について曖昧にしてきたツケが、その時に回ってくるかもしれない。

防衛論議とともに、そういうことも考えておくべきではなかろうか。

ウクライナ戦争がいつまで続くかわからないが、みんなは戦争責任と敗戦責任をどう考えるのか知りたい。

そして、それを知ったとしても、昭和天皇の場合と同じで、私の頭の中ではスッキリしそうにない、と思う。





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