新宿再訪 さらば「珈琲西武」

画像1 今週、久しぶりに新宿を歩いた。外国人が多い(まだ中国人は目立たず、主に白人)。退職して数年。現役時代と、何か変わりがないか、点検するように歩いていくと、新宿駅東南口の「珈琲西武」がまだあるのに安心した(写真)。出版界で、新宿で打ち合わせといえば「滝沢」だったが、2005年に閉店した。「西武」は、それに次ぐ頻度で利用していた。学生時代からかよっていかたら、もう40年以上だ
画像2 ところが、よく見ると、店の入り口に「移転のお知らせ」が貼ってあった(写真)。8月いっぱいで閉店だという。正確には移転のようだが、ビル建て替えにより、この場所は59年で幕となった。また「昭和」がひとつ消える感慨があるが、そんな思いを見越したように、新店舗でも「昭和モチーフ」を継承すると書いてある
画像3 不良の溜まり場として話題の歌舞伎町「トー横」にも行ったが(写真)、昔からこんな所だったなあ、と思う。このスペースに面したビルに、1980年代、有名な「ワンプラスワン」というディスコがあって、私もよく行った。そこで遊んでいた家出少女が殺される事件が起きた。アキレス腱と首を切られていた。たしかあの犯人は結局つかまらなかった。まあ、昔からそういう所だった。石原が知事だったとき強権で「浄化」したけど、ユリコじゃ無理だな
画像4 新宿で遊んだ夜の常宿だった、西武新宿駅前のカプセルホテル「グリーンプラザ」は、高層ビルに生まれ変わっていた(写真)。2011年の東日本大震災のとき、私を含めて帰宅難民となった者がグリーンプラザに押し寄せたのだが、中に入れてくれなかった。こんなときに役立たないなら、潰れてしまえ、と思ったが、ホントに潰れた。JR新宿駅がシャッターを降ろして人を締め出したのも有名で、石原都知事が抗議した。ああいう恨みは一生忘れない
画像5 その横のビルの角にあった、中国人(台湾人?)がやっていた中華料理屋がなくなっていた。あの日、地震が続くなかでも、陽気に大鍋を振ってチャーハンを作っていたあの店主にどれほど励まされたか。その前の時代には、近くに「放尿の瀧」というスカトロクラブがあった。あまりに秀逸な命名で覚えている(近くに「養老乃瀧」があった)。ノーパン喫茶とかが流行っていた時代だ。1970年代からの記憶がこの辺りに折り畳まれている
画像6 最後は、「今度新宿に行ったら食べる」と決めていた桂花ラーメン。1970年代、九州から東京に来て、まともなラーメンが食えないと絶望していたとき、一筋の光明となってくれた店だ。その後、九州ラーメンも東京で当たり前に食えるようになり、ラーメンはどんどん進化して、桂花ラーメンの味は時代遅れになっただろう。でも、古くからのファンに支えられて、店はまだ続いているのがうれしい。太肉麺も高くなった。昔と同じ肉量だと1150円、肉量少なめ(シングル太肉麺)950円。私はシングル太肉麺を頼んだ(写真)
画像7 年寄りの胃にはシングル太肉麺でも重かったが、塩分をたくさん摂って熱中症対策になったと思う。若いときなら一本盛り(写真)でもいけたのに

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