統一教会報道はメディア史の汚点 真のリベラルを見分ける試金石になった
もう多くを言うつもりはないが、民主主義の破壊者であるテロリストの尻馬に乗り、左翼活動家と手を携え、この1カ月、統一教会報道に狂奔したマスコミは、本当に醜く、愚かで、度し難かった。安倍晋三をどう評価するかなどは関係ない。
支持率が落ちるのを恐れて平身低頭する岸田首相にも、マスコミ受けだけを狙って霊感商法対策会などを開いた河野太郎にも、それに嬉々として出席して「解散命令」を議論する菅野(山尾)志桜里にも、本当にがっかりだ。菅野志桜里はもう少し憲法がわかっていると思ったが。
統一教会など反吐が出るほど嫌いでも、それでも信教の自由を守るべきだと主張した者だけが、本当のリベラルだ。
信教の自由は大事だが、しかし・・
言論の自由は大事だが、しかし・・
表現の自由は大事だが、しかし・・
イエス・バット話法で世論に媚びる奴らばかり。
今回の問題だけではない。自由をシリアスに考える人がなんと少ないことか。(私が見た範囲では、パックンとか池田信夫とか、くらいか)
マスコミはそういうものだと知ってるから今さら失望しないが、少しは期待していた知識人や政治家たちにがっかりした。
どうせ政局で騒いでいるだけだ。統一教会から国葬に話題が移り、それが終われば「統一教会問題」などは忘れ去られていくだろう。
もちろん何1つ「解決」などしないのだ。権力が慌てふためくのを見て「自分たちの力を見せつけた」と喜ぶメディアと活動家と大衆の自己満足に過ぎない。
(左翼としては、大騒ぎして、参院選で示された防衛強化や改憲の民意が忘れられればいいのだ。ウクライナ情勢下で、まともに議論すれば負けていた。何のための選挙だったのか。選挙を、民主主義を何だと思っているのか)
メディアには、もう汚点を汚点と認識する者すらいないかもしれない。
それで終われば、まだいい。自由をシリアスに考えないツケが社会に回ってくることが怖い。
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