坂本弁護士一家を「殺した」のは誰か
坂本弁護士事件から32年、というニュースを感慨深く聞いた。
32年間、私の心にずっと引っかかっている事件だ。
この事件を題材にした「小説」を書いたこともある。
掌編小説「冷血」
これを書くときに改めてオウムの裁判資料に目を通したが、一家が冷酷に殺されていく情景、わけても奥さんの殺され方には、改めて怒りを覚えたものだ。
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この事件に関して、メディアの責任といえば、坂本弁護士のインタビュービデオを内密にオウム真理教に見せた「TBS」があげられる。
しかし、意外に指摘されないのは、オウム真理教の「狂気」をスクープし、そもそものきっかけを作った「サンデー毎日」の責任だ。
ネタを持ち込んだ江川紹子と、それを採用した当時のサンデー毎日編集長・牧太郎は、功名心に駆られて、かなり強引な報道をしたのではないか。
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この問題については、2つの見方がありうる。
1。江川紹子とサンデー毎日は、オウム真理教の危険性をいち早く察知し、社会にそれを警告する貢献をした。
2。江川紹子とサンデー毎日は、オウム真理教の危険性に気づいたが、それを仕留められず、手負いの獣を街中に放ち、被害をさらに大きくした。
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強引な報道と感じるのは、サンデー毎日側が、
「憲法によって宗教は自由だが、オウム真理教は公共の福祉に反するから、これを弾圧しても憲法違反ではない」
という憲法解釈を振り回したからだ。
こうした「公共の福祉」の拡大解釈は、いまも不当であると感じる。「血の教義」の不気味さや、「高額献金」などの非常識があったとしても、それだけで「公共の福祉に反する」と言えるのか。しかし、この解釈を牧編集長に説いたのが、坂本弁護士だった。
「家族の許可がなければ出家は不当」という主張も、当時から批判されていた。出家信者のほとんどは18歳以上だったからだ。「子供ではないのだから、勝手にさせていいのでは」と。
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見方「1」に従えば、そのような強引ともいえる主張によって、なんとかオウム真理教の暴走を抑えようとした、と取れる。
しかし、見方「2」に従えば、そうした強引な主張をしたせいで、不当に潰されると感じたオウム真理教の過剰な反応を招いた、とも取れる。
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真実は、「1」と「2」の中間にある、と私はずっと思っている。
もし、その時点でオウム真理教が「清廉潔白」であったなら、「2」も成り立つ。
しかし、サンデー毎日報道時点で、すでにオウム真理教は、脱会を希望した信者を1人(見方によっては2人)、「ポア」していた。
オウム真理教がサンデー毎日報道でいちばん恐れたのは、その殺人を暴かれることだったろう。
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しかし、「1」も、完全に成り立つとは言えない。
なぜなら、江川紹子とサンデー毎日がやるべきことは、オウム真理教のその時点での犯罪(殺人)を、完全に暴くことだったからだ。
それができず、つまり不十分な取材のまま終わったために、オウムを「手負いの獣」化してしまったのは否定し難い。
それが、ひいては、6年後の14人の死者を出した地下鉄サリン事件にもつながっていく。
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麻原彰晃は、牧編集長を暗殺するつもりだったが、ガードが固くてできなかったので、坂本弁護士一家が代わりに犠牲になった。
牧は、それが分かっているので、その後はこの事件で世間のオモテに出てくることはなかった。
江川紹子も、責任を感じて、坂本一家事件を執念をもって追求した。その点は評価されていい。
しかし、原点のところでの、サンデー毎日報道の妥当性は、いま一度検証されていい問題である。
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