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私が今日、菅野(山尾)志桜里をダメだと思った理由

菅野(山尾)志桜里が、国葬が終わった後、「国葬は必要か? 私が今日まで沈黙した理由」という文章を出した。

河野太郎の人気取りの「霊感商法云々会議」に出て行って、統一教会「解散命令」を議論する姿を見て、この人はダメだと思ったが、上記の文章を読んで、さらに呆れてしまった。

彼女は国葬に招待されていたが、出席しなかった。その言い訳から始まる。(太字は上記からの引用)


同じ職場で、生身の人間同士議論をしてきた、その人が殺されて亡くなったということをまずは個人的に内的に受け止める時間が必要でした。

そして何より、故人が歴史の一部になる手前の、まだその死が生々しい時点で何かコメントして、故人の業績に通信簿をつけるようなことをしたくないと感じていました。


「故人の業績に通信簿をつけるようなこと」って、何言ってんだこいつ、と思う。

この人は、人の葬式に出るのに、「故人に通信簿をつける」ことが必要だと思っているのか。葬式なんて、出るか出ないかだろう。

それなら、安倍の国葬になんか出るか、と早々に啖呵を切った辻元清美の方がまだマシだ。

こんな決断力のない人が政治家をやっていたことに驚く。


そして、菅野(山尾)は、国葬法を作るべきかどうか、という議論に誘導する。

すぐ得意の法律論議に誘導してマウントを取ろうとし、弁護士商売に結びつけようとする姿勢、嫌いだわ。

さらに、こんなことも言う。


(人の)評価せずとも国民的合意を調達できるのは、結局のところ、天皇そして上皇の「大喪の礼」に限られるのではないでしょうか。


つまり、大喪の礼以外の「国葬」はやめろ、というのが彼女の意見らしい。

大喪の礼が政教分離に抵触しないか、あの「言論統制下」ですら法律家の間で激論になったことを、この人は知らないのだろうか。

そして、選挙で選ばれた民主的リーダーは、世襲で選ばれる天皇より「下」だと決めつけて、平気なのか。少なくとも、菅野の言う「国民的合意」の「国民」の中に私は入っていない。一度は憲法を語っていた人がーー本当にがっかりだ。


「国民一人一人が国家観を持つのが大事」の逃げ口上で、天皇制は無前提で肯定し、安倍晋三の評価を避けて自分の国家観を表明することはしない。

結局この人は、自分の国家観を持たず、マスコミに愛されたいだけなんだな、と思う。心の中は、「アニー」の子役のままなのかもしれない。

安倍晋三について何らかの評価をすると、何か批判されそうだから、通信簿がどうのこうのと言い逃れする。

国葬に出ると言っても、出ないと言っても、批判が出そうだから、「沈黙」の後、わけのわからない議論に逃げるだけ。

国葬に出なかったことで左翼と思われると困るので、天皇制に媚びを売る。そうすれば、マスコミや親分の小林よしのりの筋にもいい顔ができる。

次の大喪の礼の機会も、いずれ来るだろう。

それで法律論議になったときに、メディアからお座敷がかからないかと期待しているのがミエミエだ。

(なお、人気の高かったエリザベス女王の国葬にも国民の反対はあったのだが、それについては過少に報道し、安部晋三の国葬への国内の反対は過大に報道する、日本のメディアの姿勢に、いつもながらの偏向<皇室上げと自民党下げ>を感じた)


この人は見込みがあると思ったんだが・・。

この人が週刊文春の標的になった時、私は同情したが、考えてみればあの不倫騒動の時も、「プライベートのことは政治に関係ない」と、一切説明せずに「沈黙」した。(菅野が「今は私人だから」と国葬問題で言葉を濁すなら、私人になった今こそ不倫問題を説明しなければならない道理だろう)

今回の国葬問題でも、結局、同じ態度なのだ。自分の商品イメージ的にまずいと思ったら「沈黙」する。

自分のイメージを汚しても、やるべきことをやる姿勢で人は評価される。安部晋三だって、辻元清美だってそうだ。それで好き嫌いがわかれるのが人間だ。この人には結局、自分にとってのやるべきことが見えない。

まあ、同じ東大法科卒の三浦瑠麗とかに負けないよう、せいぜいタレント業で稼いでください。

(敬称略)

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