昨年の春頃に「不都合な真実」(アル・ゴア著)の訳者でもある枝廣淳子さんに今現在の活動についてお話をお伺いする機会があった。
以前は同時通訳などの仕事もされていたそうだが、当時は地球環境問題について国内外では懐疑的な意見もあり、サミットや国際会議で環境問題に後ろ向きな発言を通訳しなければいけない状況が多々あったそうだ。
地球環境問題に触れ、しかし自分の思いと反したことを通訳しなければならないことに違和感を感じ、高給だったその仕事を辞め、自ら地球環境問題に取り組むようになったと、華やかな経歴とは裏腹に楽しそうに穏やかに話す枝廣さんが印象的だった。
彼女にはたくさん著書があるが、そのうちの一冊が「レジリエンスとは何か」~枝廣淳子さん著~だ。
「レジリエンス」とは何か?
深刻で辛い経験を同じようにしたとしても、人によって心境の差、その後の人生において差が出るのはどうしてなのだろう?
本書の中で興味深い考察があった。
アメリカのペンシルバニア大学のセリグマン博士がレジリエンスについてプロジェクトを立ち上げた。その中で、小学校の教師が生徒に対し、どのように注意するのか調べた研究があり、男の子と女の子とでは注意の仕方が大きく異なるという結果が出た、というものだ。
うまくいかないのは「能力がない」せいだと言われれば、永続的な原因となり、うまくいかないたびに悲観的な思いが刷り込まれていくだろう。
しかし、「努力」「注意」「行動」を批判されれば、それらは一時的なもので、本人の努力次第で改善される余地は十分にあり、希望的観測ができる。
今はこういった男女の差など教育の場では改善されてきているとは思うが、パワハラやモラハラ、毒親などが取りただされているのはこういった、無意識のうちに自己否定感を植え付けるような言葉をなげてしまっているところにあるのかもしれない。この研究はレジリエンスを発揮できない例としてわかりやすいと感じた。
レジリエンスを作り出す技術としていろいろな研究が各国でなされ、実験的に学校や会社で取り入れられているが、その中でオーストラリアで政府が実施しているプログラム、「バウンス・バック!(Bounce Back!)」というものがある。このプログラムは教育者で心理学者のトニー・ノーブル氏とヘレン・マクグラス氏が2003年にはじめたものだ。
レジリエンスにはまず、「自己肯定感」「自己受容」が出発点になる。
存在自身を肯定することから始める
その結果、
後天的な部分に着目して物事を考察し、改善する方向へ向かうことができる
これがレジリエンスのメカニズムだ。
特に苦痛経験が多いほどレジリエンスが高い傾向にあるそうである。
辛い経験をした人ほど人に優しくなれるのはレジリエンスが高い、ということでもある。
そしてレジリエンスとは、特別な力ではなく、誰もが本来持っている力であることを知ってもらえたらと思う。
つづく