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保管と廃棄。モノに価値の差はないと言い切りたい。

みなさんどうも。かけんです。

あるニュースが目に入ったのでそちらを取り上げたいと思います。

簡単にいうと、博物館の収蔵品が多すぎるから価値あるものは残して、他は廃棄するという内容でした。知事は農機具の話をしていたので、鍬や鋤をイメージして、素人なりに思ったことを書こうと思います。


ニュースを見て一番引っかかった発言です↓
「同じような農機具を保管し続ける意味がどこにあるのか。」

農機具は同じように見えますが、資料に残る情報はモノによって異なる可能性があるので、一つとして同じものはありません。調査すれば、使用されていた時代の差、当時の土の情報、使用回数の違いなどがわかるかもしれません。寄贈されたものも含めて同じ農機具は存在しないです。

ただ調査が順調に進むかと言われれば難しいと思います。資料の数も非常に多く、一つ一つ調査をすることはできないでしょう。収蔵場所の確保も非常に困難です。だから一般論として、価値の有無で保存と廃棄を分けるという考え方が出てきます。掃除がまさにそうで、必要なもの、いるものだけ残してあとは全部捨てますよね。
これが文化財でも起きようとしています。
現代の価値観に落とし込めば、意味がないものに見えるかもしれません。
ですが、価値は時代によって変わるもの。資料は残して次の世代に繋げることが大事だと思います。

文化財を現代の価値で簡単に廃棄してはいけない。
価値の有無だけで決めていいことではないです。

では解決策はあるのか?と言われると、ごめんさない。今の自分に考えられるのは意見までです。収蔵庫を新設するとか、浅はかなことしか考えられません。
ただ、ニュースを見かけて、価値あるもの以外は廃棄するという内容を目にして、それはいけないことだと書きたかっただけです。
打開策が生まれれば、価値の有無に関わらず資料がずっと守られると思います。
資料を守れる環境がもっと整ってほしいと願うばかりです。

今日はちょっと気になるニュースがあったので、それについて個人的な意見を書いた回でした。大きな独り言と思っていただけたらと思います。

ということで今日はこの辺で
では〜(^^)

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