ナブルシーマジック【パレスチナ現地滞在記 #13】
中東パレスチナのフェアトレードブランド「架け箸」です。
コロナ禍で創業して初めて現地に行けることになり、
只今滞在記を毎日更新しています。
協働する女性起業家アイシャさんが暮らすナブルス。
数千年の町の歴史が今も息づくパレスチナきっての観光地です。
彼女の言葉の端々から故郷への思い入れが感じられたので、じっくり回って彼女のバックグラウンドを体感したいとずっと思っていました。
ところでナブルスといえばこちらのデザートが有名です。
クナーファはナブルス発祥といわれ、ナブルシー(ナブルスの)チーズが使われています。
「他の場所とは一味違うでしょう!」とアイシャさんも自信満々。
デザートひとつとっても(彼女に限らず)郷土愛がすごいです。
ナブルスの素敵ポイントはその景観にあると思っていて、残念ながら1927年に起きた地震で旧市街が崩落してしまったものの、復興した街並みがそのまま住空間として継承されています。
それに加え、商業都市としても有名で、新市街の後ろに旧市街、さらにそのなかに数千年の歴史を誇る古代ナブルスが位置していて、写真ではとても伝わらないほど圧巻です。
旧市街の中の様子もお見せしたいのですが、怪しまれるような行動は出来ないので許可を得た一部の店のアップを掲載しています。
旧市街の中の古代ナブルスには昔々サマリア人という人達が住んでいて、彼らと対立関係にあったローマ帝国が中心を移すために造ったのが旧市街なんだとか。そのやり方が功を奏してナブルスは旧市街を中心に交易地として栄えていったんだそうな。
このサマリア人というのもナブルスのキーポイントで、詳しく書き始めると歴史書みたいになってしまうのでかいつまむと、この集団はモーセに率いられ、エジプトからこの地域に辿り着いた人達のなかで、せっかく築き上げた王国が分裂してからも信仰を守って暮らし続けた人達です。
近代に入ってからもナブルスの旧市街でイスラム教徒やキリスト教徒と共に暮らしていたものの、80年代に占領に反対する動きが活発化し、イスラエルの取り締まりが厳しくなった時、サマリア人の家屋が兵士に利用されるようになり、板挟みで暮らしにくくなったことから、聖なる山「ゲリツィム山」のてっぺん近くに集住するようになったんだそうです。
今でも学校や仕事の場で交流があり、サマリア人の信仰や慣習を伝える博物館でもパレスチナの人がガイドとして働いていました。
多宗教のコミュニティが混ざり合って暮らしてきたナブルス。
今を含め歴史の中で何度も占領や侵攻に遭ってきた町ですが、ひとつひとつの歴史が消えずに町の空気の中に残っている由緒ある土地だなと思います。
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