1日の幸せを味わうこと

どーもカイゾウ(@kaizo777)です。

今日は土曜日なのでツラツラと思っていることを書いてみたいと思います。

記事の最後には今週の記事まとめを貼りますので、宜しければそちらだけでも見て頂けると嬉しいです。

昨晩は高校時代の友人に誘われて飲みに出掛けてきました。

帰宅したのは夜中2時。その後すぐに寝たのですが、朝はいつも通りに起床し母親の通院の送迎や自分の身体のケアである整体に行ったりと活動していました。

そんな中でふと感じたのが「1日ごとの幸せを味わう」ということ。

以前に比べ私は「今目の前のこと」に集中して意識を向けられるようになったと思います。

そこで感じるメリットが「1日ごとの幸せを味わうこと」ですが、デメリットがあるとも感じています。

今日はそんなお話です。


1日の幸せを味わうとは?


人は誰しもその人にしかない1日を過ごしていると思います。

起床~就寝までの間、誰一人同じことをしている人間はいませんし、例え家族でもすべてを共有しているわけではありません。

1日そのものがオリジナルであり特別です。

例え「平凡な1日」だったとしても、それが「毎日」続いているとしても、それを感じているのは「自分」だけ。

これだけで「特別」なのだと私は思っています。

私自身の話をすれば、昨日は友人が誘ってくれて飲みに行きましたが、その友人とは定期的に飲みに行く間柄。

話をしている内容も人からしたら「くだらないこと」を話しているかもしれませんが、私に取ってはその時間が「最高」だと感じます。

今日で言うなれば、母親の通院の送迎を行いましたが、これも幾度となく行っていることです。

毎回同じ時間、同じルートで、車内で似たような話をしながら送迎していますがこれが出来るのも「永遠」ではありません。

「永遠」はあり得ないからこそ「特別ではない」日常こそが「本当の特別」なのだと最近私は感じるようになりました。

「平凡な1日こそ」幸せだと感じるようになりました。

目的・目標が定められない


今となれば「平凡な1日に幸せを感じられるようになること」が私の以前の目的だったように思います。

以前は何かに追われるように日々を過ごし、毎日何かを学んだり行動したり「しなければならない」という感情に捉われていました。

でも、「しなければならない」先に求めていたものが「今」手にしたモノのように感じています。

漠然としたモノだったので「今のような形」で手に入れるとは思ってもいなかったのですが、これはこれで「良い」と感じています。

私はそもそもの性格的に「具体的な目的・詳細な目標」を立てるのが苦手です。

例えば「○○になって、○○年までに○○万円稼げるようになる」等の具体的な目標を立てるのが苦手…。その目標の先にある「目的」に意識が向きます。

「そもそも○○になって、○○年までに○○万円稼げるようになる意味って何だろう?」みたいな感じです。

すると「○○万円稼げるようになってやりたいことって?」という質問を自分に投げかけると「特にないな」で終わってしまい、結果「今のままでも十分満足」という結果に…。

今目の前にある1日に意識を向けて幸せを感じられるようになったデメリットは「具体的な目的・目標」に意味を感じないことです。

私の場合「本当の幸せを理解して、その幸せが手に入ると良いな」くらいに漠然としていた方が後々叶っているような気がしています。

でもこれってどうなのだろう?と一抹の不安はあります。

具体的な目的・目標があってこそ人は爆発的な成長を遂げられると思っている自分もいるので…。

今のままでは目に見える爆発的な成長は期待できません。とは言え、その為に大切なのは人としての内面の強化が大切だとも思っています。

一生考えることになりそうな課題です(笑)

今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。

今週の記事まとめ


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