怒りをコントロールした先にあるもの
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今回は「怒りをコントロールした先にあるもの」をテーマに書いてみたいと思います。
私は喜怒哀楽の中でも「怒」が強いタイプの人間です。
以前からこの「怒」をコントロールすることに試行錯誤してきました。最近やっと「怒」を少しコントロール出来るようになってきたと感じているので、その経過を書いてみたいと思います。
ちなみに私が日頃どのようなことに「怒」を感じていたか公私関わらず簡単に書いてみます。情けないほどに小さなことでも「怒」が発動していました。
愛想がなくいい加減な接客をする店員
割り込み運転、煽り運転
横柄な対応の介護サービス事業所
結論に行き着かない前置きの長い会話
いい加減な仕事をする人全般
などなど上げたらキリがない程に小さなことでイラつき「怒」の感情が表面化していました。
私は顔や声に「怒」が出るタイプなので、以前は人からあまり声を掛けられるタイプではありませんでした(今もさほど声を掛けられませんが(笑))
しかし最近は「怒」の感情を以前に比べてだいぶコントロール出来るようになったと感じています。
そして、その結果自分が「機嫌が良い」と感じることが増えています。
「自分の機嫌は自分で取れ」などという言葉が聞かれますが、まさに自分の機嫌を自分で取るには「怒」の感情をコントロールする必要があるのだと思います。
今日はそんなお話です。
「怒」がコントロール出来ない原因
人は感情の生き物と言いますが「喜怒哀楽」どの感情が表面化するのも決して悪いことではありません。
「喜」や「楽」の感情は良い感情で「怒」や「哀」が悪い感情なんてこともないと私は思います。
「喜怒哀楽」どの感情でも表面化することは人間らしくあること。
でも「怒」や「哀」の感情はそれを他者にぶつけてしまった場合、相手に不快を与える可能性がある感情だとも思います。
私は「怒」の感情が強く出るタイプですが、些細なことでイラついてしまう自分が好きではありませんでした。
以前は「それも自分」なんて言い訳をして、気にせず表現していた時期もありましたが、それは周囲に甘えているだけということを知りました。
「喜怒哀楽」の感情の中で「怒」がもっとも「意識的」に表現する感情だと思います。
相手を攻撃する、相手を威嚇する、相手に自分の正義を表現するなど様々ですがこれらは意識的にやっていることです。
例えば仕事中にメチャクチャ怒っている人が掛かってきた電話に出た時に同じトーンで電話に出ることって無いですよね?
これは「怒」を意識的に表現している結果だと思います。
ということは「怒」をコントロール出来ない一番の理由は「怒」がコントロール出来るモノだという意識が欠けているからだと私は思います。
6秒堪えれば怒りは抑えられる
こんな話を聞いたことがいらっしゃると思います。
でも私はこれを知っていても「怒」を抑えることが出来ませんでした。
「腹が立つものは腹が立つ」
私は「怒」が表面化している時に6秒堪えても6秒の間に顔に出たり、「怒」が余計に膨れ上がることが多かったです。
とは言え6秒あれば自分に「怒」の感情が湧いていることには気づくことが出来ます。
それまで私は「怒」が湧いたと同時に「怒」が顔に現れ間髪入れずに「言葉」に出るか「態度」に出ることがほとんどでした。
しかし、「怒」が湧いたと同時に「今私の感情に怒りが現れた」と認識することで6秒堪えることは容易くなり、次第に「怒」が湧いている自分を俯瞰して見られるようにもなりました。
「今のは相当頭にきたな~」「この流れで先に進むと自分の怒りボルテージが確実に上がるな」「今の言い方相当腹が立ったからこの先の会話で怒りが漏れ出ないように気をつけよう」など自分の中でもう一人の自分が分析しているような感覚が作れるようになったのです。
怒りがコントロール出来るようになって
私の感情の中でもっとも大きかった「怒」をコントロール出来るようになったことで、私の中で起きた一番の変化は…。
自分を責めなくなりました。
自分が「怒」の感情に捉われた時、攻撃を向けるのは「怒」の感情に繋がった「原点(人・出来事・物事)」に対してです。
でも今「怒」をコントロール出来るようになって感じることは「怒」を対象にぶつけたつもりがすべて自分にはね返ってきていたということ。
「怒」の感情をぶつけて「スッキリする」なんてことはこれまでなかったのだと気づかされました。
自分で自分を傷つけていたと最近になり気づきました。
アホらしくないですか?自分に「怒」の感情を芽生えさせた対象に対して怒りをぶつけた結果自分が傷つくなんて…。
「怒」が湧くことは人間の感情の一つとして悪いことではありません。
しかし、その「怒」を対象にぶつけることで傷つくのが自分なのであれば、「怒」が湧いたとしてもそれを納める方が賢明です。
「怒」という刃は相手に向くものではなく、常に自分にも向いているもの。諸刃の剣のようなモノだと私は思います。
自分を大切にする上で「怒」を納めるのは大切なのかもしれません。
不思議と「怒」を抑えらえるようになると周囲の感情もより敏感に感じ取れるようになりました。
けっこうメリットが多いのでおススメです。
今日も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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