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思考のスケッチ

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日々のあれこれについての未熟な思索と潜考。あくまで「スケッチ」、すなわち思考行為の一部的な言語化であり、決して「主張」として表現できるものではありません。
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『すずめの戸締り』を観た

ロンドンで『すずめの戸締り』が上映されたので早速観てみた。正直観終わった感想として思ったのが、「やーあまり理解できなかった」である。それから家に戻りちょっと考えた。 もちろん本考察は、作者の意図とは異なるかもしれない。後詳細を完全に捉えきれてないかもしれない。その辺はお手柔らかに。是非コメントにでも。 ちなみに、個人的には「正しい」考察などないと思う。映画を含めた芸術作品は、作者と観客がいて初めて成り立つ。すなわち、作者が何かしらのメッセージを込めた作品を披露し、それを観

成田氏の「集団自決」発言の背後にあるもの:「閉塞」と「破壊」

「口にしちゃいけないって言われていることは、だいたい正しい」、これは成田悠輔氏のツイッターの自己紹介欄はこの一言だけ書かれている。 その成田が発して「高齢者は集団自決すれば良い」発言がNYTに取り上げられ多くの批判が再度巻き起こった。見た感じ多くの批判は「集団自決」という言葉が持つ歴史的意味(第二次世界大戦時の沖縄における集団自決)に構わずその言葉を使った成田氏の言論やエール大学助教授でありながらそのような暴力的な言葉無責任に放ったことなどが批判の主な論点である。 もちろ

「醤油ペロペロ」を咎める大人が居なくなったから「バカッター」が増えたのか?:承認と資本主義の疎外

こんな議論をツイッターで見つけた この人が一連のツイートを通して言いたいことはこういうことだ。つまり、昭和の「怖い大人」たちが敗戦、高度経済成長からのバブル崩壊という流れの中で居なくなり、その跡を継いだ「歪んだ」価値観を持つバブル世代や団塊ジュニア世代による間違った教育と崩壊したモラルによって今回のよう「醤油ペロペロ」迷惑行為などこ行い、TwitterなどのSNSに投稿する通称「バカッター」という若者たちが生まれたという。 自分に言わせれば、この見方は端的に言えば、家父長

戦後日本と空っぽな「平和主義」

8月、「八月ジャーナリズム」と共に毎年蘇る戦争の記憶。 原爆、敗戦、暴力と平和 恒久平和を唱えるのと同時的に靖国参拝まさに戦後日本の「平和主義」が抱えた大きな矛盾を体現しているようだ。 結局平和主義を掲げて、散々平和の尊さを教育しながらも、その中身は空っぽなのかもしれない。 広島の慰霊碑。「安らかに眠ってください、過ち(=戦争)は繰り返しませんから」と反省の念を示していながらも、なぜこの戦争が起こったのかを問おうとは一切不問。すなわち、戦後日本が抱えてきた、先の戦争に

「生きる意味」、資本主義社会とカルト

安倍が撃たれた。国内外に大きな震撼をもたらした。元首相経験者が日中堂々と暗殺されたのもそうだが、何より犯人の動機が政治心情などによるものではなく、それとは全然関係のないカルトとの関わりによるものだった。 安倍は韓国のカルト世界平和統一家族連合(元統一教会)と長年の間癒着関係にあったことはもう周知の事実だろう。戦後岸の時代からそれは続いていた。そして今回、それを理由に犯人は安倍を暗殺した。ここでは別にカルトや宗教と政治との関係性について論じたい訳ではない。自分が考えたのは、そ

集団と孤独〜東京という街

東京には色々な人が集う。東京で生まれ育だちずっと都会で暮らして来た人、地方から東京へ古びたスーツケースと数千円片手に夢を求めてやって来た人、海外から出稼ぎや進学のために来た労働者や学生、さらにはただ旅行の為に東京を訪れた観光客。 言語、文化、肌の色、性別、年齢、仕事、思想の何から何まで、違う人たちがこの大きくて小さい街「東京」に暮らす。 東京には色んな仕事がある、色んな文化があり、色んな世界がある。渋谷、新宿、池袋、六本木、新大久保、浅草から秋葉原まで、どれをとっても異な

中国の「ゼロ・コロナ」と政治的正当性

コロナ禍のロックダウンや規制などが議論されていたパンデミック直後の世界から比べ、2022年の世界はより「コロナと共に歩む」方向へと進んでいるように思われる。アメリカやイギリスの一部ではマスク義務も解け、今では屋外ではマスクをつけない人々が大半だ。日本でも、2021年に比べてコロナ関係の規制が随分緩くなった。もちろん、感染力が強いが重症化する確率が低いオミクロン株と感染力は相対的に低いが重症化率が高く医療体制に大きなダメージを与えたデルタ株とでは異なる対応が必要であるという側面

「日本の大学の第二外国語って廃止した方がいいと思う」に対する批判への応答

今回の記事では、自分が数ヶ月前に書いた記事に対するStella.氏の批判へ応答する。元記事と批判記事にまず目を通したい方は以下のリンクからお願いします。 元記事: Stella.氏による元記事に対する批判: では、まずわざわざ自分の記事に決め細かく目を通した上で、自分の議論に対する貴重な批判をいくつも挙げて頂いたStella.氏に感謝したい。自分の議論に対してさまざまな視点や立場から建設的な批判を頂けることは、なによりの喜びであり、自分の知的発展において大きな役割を果た

ウクライナを「応援」することは道徳的に正しいのか?

ロシアのウクライナ侵攻が始まって2週間以上が経とうとしている。国際社会からの痛烈な非難とは裏腹に、ロシア政府は侵攻を止めないどころか、より一層過激な軍事行動へ突き進む。多くの一般ウクライナ市民が犠牲になり、戦闘行為下多くの軍人が命を落としている。ウクライナ人の一部は難民としてヨーロッパ各国へ流れ、日本も先日ウクライナ人難民の積極的受け入れを発表した。ウクライナは、ロシアの侵攻に根気強く反抗し、一部戦場ではロシア軍以上の戦闘力と士気を見せ、局面逆転をもたらした。 このように勇

遅すぎますが、「花束みたいな恋をした」を観ました

今回は映画の話です。去年大ヒットした映画『花束みたいな恋をした』をなんと今頃見ました。見終わった最初の印象は、「やー。深いなー」という感じでした。いい意味で普通で、何ら特別でもない二人によるロマンチックな恋愛とその終わりを2時間3分の中で見事に描き出したこの映画を見て、主人公麦と絹に共感や共鳴を感じた人も多いのではないでしょうか。何よりこの映画は、「細部に真実が宿る」というように、細かい描写、人物の表情やセリフから多くの事が語られている。これは本当に監督、脚本と演者が一流であ

日本の一部フェミニズム活動家に対して思ったこと

フェミニズム、すなわち女性解放思想、女権思想など様々な名称で呼ばれる思想は、女性の権利の主張と男性支配的社会に対する批判を何世紀にもわたり展開してきた。特にジェンダー平等が著しく遅れた日本に対しても、フェミニズムは大きな影響を与えている(日本におけるフェミニズム運動の歴史は遥か前のことであるが、そのようが議論が一般的に行われ、検討し始められたのは随分最近のことであろう)。 しかし日本では、一部インテリ層等々を除けば、フェミニズムはすこぶる不人気だ。特にネット上では、「フェミ

日本の大学の第二外国語って廃止した方がいいと思う

日本の大抵の大学では、「第二外国語」というシステムがある。学生が入学後英語以外の中国語、ロシア語、フランス語等々から一つ言語を選び、それを学部在籍中に学ぶというものだ。自分が在籍している英語学位プログラムでは第二外国語というものがなく、日本語ができない生徒はその代わりに日本語を学ぶが、大半の早大生は、第二外国語でなんらかの言語を学んでいる。 自分は正直のところ、第二外国語というシステムが結果的に学生の語学力を低下させていると思う。 何故か?先ず、日本の一般教育において、英

斎藤幸平とセドラチェクの対談から思ったこと

NHK「欲望の資本主義2022」をご覧になられたでしょうか。 正月早々NHKでこのような興味深いドキュメンタリーが観れるのは本当に良いことだ。特に今回印象に残ったのは今絶賛人気上昇中の斎藤氏とセドラチェク氏の対談である。日本の番組ではまれに見る、熾烈な対談であったが、自分の感想を端的に言えば、この二人、結局目指す方向は同じなのだが、両者のバイアスによって、その議論は対立的なものになっていたという感じだ。 まず、自分の家族と国家が社会主義政権を経験したセドラチェク氏は、斎藤

イギリスの大学院のオファーを手に入れた!でも喜んでは居られない…今の心境

自分は今年(残りわずか)の2月末頃から大学院進学を決め、ここ一年色々と準備をしてきた。まあ準備と言っても8月頃までは何を専攻するのか、今後何になりたいのかなど色々と迷走していた。去年までの自分は外交官を夢見て国家総合職試験の勉強に多くに時間を割いていた為、大学院なんて「入省後研修でいいとこ行きたいな」程度しか考えてなかったから。 大学院進学を決心した2月(9月入学なので当時はもうすぐ3年2学期)から全力で卒論に打ち込み、学部の助教のリサーチアシスタントも経験としてやりだし、