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随筆|「うさぎや」のどら焼きについて、十年ぶりに思い出して味を言語化してみる。

 先日、SNSのトレンドを眺めていると『雲霧仁左衛門』というワードがランクインしていた。現在、NHKで放映中のドラマがどうも人気らしい。

https://www.nhk.jp/p/ts/NZ28LWRKMV/

私はこのNHK版は観ていないけど、95年に放映されていた山崎努主演のフジテレビ版が好きだった。中でも石橋蓮司演じる切れ者の二番手・木鼠の吉五郎(通称・小頭)が大好きだった。シリーズの中盤でこの吉五郎をフューチャーした回があり、放送を心待ちにしていたのに、修学旅行帰りの疲れから寝過ごし見逃してしまい、号泣したことまである(母はそんな私を見て困惑していた)。


 池波正太郎の原作も読んだのだが、内容は少ししか覚えていない。それでも面白かった記憶がある。池波正太郎は料理の描写が抜群に上手いと書いてあった何かの記事も読み、その池波正太郎が好物だったという、上野「うさぎや」のどら焼きを知った。

 まだ札幌に住んでいた学生時代にその記事を読み、その後、東京に引っ越した。それから東京に住んでいる間中「うさぎや」のどら焼きのことがずっと心にひっかかっていた。いつか食べてみたい、そう思いつつ、住んでる場所から遠かったので、わざわざ足を運ぶほどでもないと思い、食べずじまいだったのだ。なので十年を超える東京生活を終え札幌に戻る時に、この「うさぎや」のどら焼きを絶対に食べておかねば、と思った。

 長い東京生活の中で、何度か上野に行ったことはあった。大学の先輩との妖しい店での飲み会、年末のアメ横と地下食品街、脱糞するパンダを見た動物園。そんな思い出を振り返りながら、駅構内のハードロックカフェに立ち寄ってから、うさぎやを目指した記憶がある(ビールでもひっかけたのか)。地図を片手にたどり着いた「うさぎや」は、駅からけっこう離れていた。

 それが十年以上前の出来事で、そこで食べたどら焼きの味はどんなものだったかな? 思い出そうとするけど、記憶が遠すぎる。なのでサイトで調べてチラ見した情報と、自分の記憶の中の味だけを頼りに、頭の中から「うさぎや」のどら焼きを掘り起こしてみようと思う。

 ――形は手焼きならでは、正円ではなく少し歪んだ円だった。色はやや淡くて狐色。持った感じはとにかく柔らかかった。なのにしっとりと重い。人差し指と中指だけで中央を支えて持ち上げると、皮と餡の重みで真っ二つに折れてしまいそうなほどだった。それほどに、柔らかい。皮の表面は滑らかというよりスポンジ状に細かく空いた穴が目立っていた。その皮に挟まれた餡を覗いて見ると、水気が多くてとろけ出しそうだった。
 齧りつくと、まず唇にふわりと柔らかな感触。唇と歯と舌でそのまま皮を押しつぶすと、じゅわっと甘い汁が口内に広がる、餡だ。べたっと甘いわけじゃない、果汁みたいにすっきりとした甘さが舌の上、そして口中に広がってから、ゆっくりと喉に落ちる。小豆の粒の固さもある、だけど飲み込むのに邪魔にはならないほどで、とろりの中に、薄い皮が破ける、ぷつ、とした食感。皮と餡をさらに咀嚼する。鼻の奥で卵と小麦の香りを感じる。優しい味、カステラだ。だけどよく知るカステラよりずっと軽くて、不思議と、薄荷みたいにすっと冷えた上品な甘味があった。餡と混ざって一体になったせいだろうか。やがて皮と餡は、口の中でとろとろになった。ようやく飲み込む。卵と小麦の濃い香り、小豆の自然な匂い。喉を滑り落ちていく甘み、舌の上には清涼感が残る。ともかく、旨い。

 ……ってな感じだったかなぁ?
 なんせ十年以上も前なんで、実際のところはまるで分からないし、だいぶ盛ってる気もする。

 思い出だけが、美味しく残っている。

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