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シン・かの国戦記 第1話「軍靴」

fere libenter homines id, quod volunt, credunt.
ほとんどの場合、人間たちは、自分が望んでいることを喜んで信じる - Gaius Iulius Caesar

『ガリア戦記』第3巻第18章

There are no facts, only interpretations
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである
- Friedrich Nietzsche 

Notebooks, Summer 1886 – Fall 1887, in The Portable Nietzsche (1954) by Walter Kaufmann, p. 458

これはわたくしという40代の男が170カ国程度に展開する日本で一番大きい自動車企業と同じくらいの売上規模のIT外資企業で、担当のエンタメ事業が小さくなり、結果レイオフされクビになる全12話の物語だ。


主要な登場人物

  • わたくし --- 41歳の男性。BD(Business Development)。

  • 職歴最強先輩--- BDの先輩。北米外資を中心に渡り歩く人。同じチーム。

  • 越南の人 --- エンジニア。国籍取得し極東の島国の住人に。同じチーム。

  • 上司 --- わたくしの直属の上司。Director レベル。

  • 半導体先輩 --- 年齢10個くらい上の先輩。同じチーム。

  • 本社の人事部長  --- 極東の島国の国籍保有者。

  • 人事担当者 --- わたくしがいる部門の人事担当者。


鼓動

予見されていたし、それであるがゆえ、準備もした。しかしどうもわたくしの想定は甘い。往々にしていつも。

甘いというのは適切でないかもしれない。備えた準備で遊びを持たせすぎてしまい、いざ本番が始まると楽しみすぎてしまう。不必要に盛り上げすぎてしまうのだ。自分の中で不自然に誰に頼まれたわけでもなく煽られ、盛り上げ、誰に言うわけでもなくひとり自嘲する。第三者からみると悪癖でしかないその病気は、本人としては自己完結型のエンタメで、この上ない楽しみでもある。とはいえ、現実は残酷だ。

他人事のように論理性だけが取れた準備というのは、厳しい現実の前では役に立たない。無価値でしかない。ましてや自己完結型のエンタメで悦にしたっているいい年こいた中二病患者を周りのエリートが叩かないほうがどうかしている。

社内チャットが金曜の17時に点滅する。めずらしいことではないが相手が直属の上司となればあまりいい気はしない。
”貝野さん、少しお時間いいですか?オフィスの外の喫煙所にいます。”
彼自慢のブリティッシュイングリッシュはテキストベースでもアクセントが鼻につく。今は動詞の前の please にすらいらだちを覚えるが、まぁそれもどうやら後少しの辛抱のようだ。来る時が来た。

80's

これが "かの国" のIT企業全部に共通する事象なのかはわたくしは知らないが、社内チャットですぐに返信しない人間の人権はかなり削られていく印象が強い。夜中の11時に会議が入り、開始時間が始業時間30分前ということもザラだ。連絡があるのが明石標準時で朝でも夜でも構わないが、この企業は文字通り世界中に従業員がいて、アフリカ大陸の辺境の地からアラスカ、エベレストにまで派遣されている人間がいるらしかった。そしてそれを誇りにもしているし、関わるプロジェクトによっては24時間連絡が引きも切らない。試用期間中にみせられた教育ビデオでは、タンザニア奥地の道路がない辺境の地にも自社製品を顧客のために牛車で運ぶことがこの会社では美徳とされていたことが思い返される。

”困難に顧客のために打ち勝ち価値を提供する”という趣旨の社是は1980年代の日本を彷彿とさせる。根性でやり切れ、だ。「24時間戦えますか?ビジネスマーン。ビジネスマーン。ジャパニーズ、ビジネスマーン。」というCMはわたくしの幼少期に一世を風靡した。まさにあれを現代で具現化しようとしているのがこの会社だ。実際、土日も本社からの出向組は出社しているし、会議では罵声とも根性論とも区別がつかない発言をよく耳にする。一方で、合理性と自立心がDNAに組み込まれている "かの国" の国民性と、熾烈な受験戦争と競争社会を勝ち抜いているエリート集団であるがゆえ、会議の結論は意外と合理的になるのが常だ。上司の前では根性論を唱えたり唯々諾々と不条理に従うように見えながら、うまく合理的に私欲を満たしながら立ち回り、結果を出し続ける。これがこの会社で生き残っていく上では必須だ。その曲芸は見ていて美しい。

おそらくバブルや日本の高度経済成長もそうであったように報酬も高い。2020年代の欧米IT企業だと本社役員レベルで億を余裕で超えたり、エンジニアで3000万円超えるという話は聞く。この会社も負けていないか、もっと高いらしい。なんせ現地法人でも本社出向組は億は超えないがいい線いくらしい。この前の会社の北米のメディア企業でも現地社長は数千万円という噂だったので、うらやましい限りだ。曲芸への対価はそれ相応ということのようだ。(もっともわたくしの給料は残念ながら外資の40代としては分相応ではあるが。)

が、高い対価が将来もらえる可能性があったとしても、やはりわたくしは向いていない。私欲を満たすのは得意でないし、関心がないとは言わないが、相対的に興味関心が低い。 さらに、エリートではない。学歴で単純に比べると、"かの国" 出身の人間の平均値と比べると著しく低いと言える。周りを見渡せばベトナム、香港、シンガポール、中国本土でそれぞれトップオブトップの大学や大学院を出たきらびやかな学歴の人間が多い。たとえ東大や京大卒でも目立つどころか引け目を感じるであろうそれらの面々に比べると、わたくしの学歴はもはやかなりのマイナスであった。

林檎

前に座るGAFAMを渡り歩いて最強の職歴をもつ年上男性曰く
「貝野さんが来てから「死ね」と言ったりする人が増えました。腐ったリンゴですね。」
というありさまだ。確かにベトナム人の日本語もわたくしに感化されて語尾が心なしか横浜弁になってきている。「べ?」という疑問形をエリートが集うオフィスで使うベトナム人もめずらしい。隣に座っている台湾人に「ベトナム人の同僚がついに横浜弁をマスターした。」と誇らしげに自慢したところ、「聞き取りずらくなるから迷惑だ、変な日本語を教えるのは止めてくれ」と流暢な標準語で軽く怒られた。国際交流は一日にして成らずである。

話を喫煙所に戻そう。

次へ続く

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