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シン・かの国戦記 第2話「鳴鼓」

通知

点滅するチャットボックスを自分のデスクですぐに開いた。
"すぐ行きます。下に降ります。"
相変わらずわたくしは簡単な英語しか打てない。が、これでも少しは入社前より英語はマシになったと思う。

喫煙所とは名ばかりのオフィスビルの外で喫煙する社員たちがたむろする路地に向かう。敷地内で喫煙すると近所からうるさく言われるのか会社ビルの敷地内は喫煙禁止ポールがこれでもかというほどびっしり並べられている。そのため、喫煙者はとぼとぼと、少し離れた路地裏に群がっている。
今日は幸い周りに誰もいない。週末の遅い時間のせいだろうか?

彼は煙を吐き出した後に喋り始めた。

「貝野さん、ワタクシはこんなことは言いたくないが、会社のトップマネジメントたちは決断をしてしまった。」

8カ月前、彼の赴任直後に初めてオンライン会議をした際に「あなたの英語はブリティッシュ発音でポッシュですね。」と本音で思わず世辞を言った。その笑顔が彼に戻っている。

「Unacceptable!」と意にそぐわない返事をパートナーからもらってくる部下たちへの罵声。脊髄で浴びせられる怒号。怒声を浴びせなければ、ただ睨み付け流れる沈黙。週2回の定例でバッチ処理される罵声と攻撃的沈黙。目の前の彼はこれを繰り返す人間と同一人物とは思えない。

彼は続けた。

「会社の状況は貝野さんも気づいていますよね?違う国のオフィスにいったり、本社に帰ったりしている同僚たちがいます。会社を去った同僚もいます。」

煙草を口元に運び、一呼吸置いた。

「…これからワタクシが何を言おうとしているのか分かりますか?」
嫌な間と沈黙だがわたくしの番だ。

「わたくしにやめてほしいと?」

わたくしを正面から見つめ、首を多少すくめてうなずく上司。その後で横を向いて煙を吐き出す。

「週明けに人事から呼び出しがあります。そこで話をしてほしい。退職に関する話です。そしてこの企業に限らず、次のチャンスを探すことを考えてほしい。」

「仕方がない。この会社外の状況は変えられない」
という趣旨のことをわたくしは言った。上司は安心したのか、また笑顔を浮かべはじめた。

「貝野さんはもうここで働いて2年半ですよね?」

そうですね、と考えるふりをして答えた。実は転職活動を水面下でおこなっていたので職歴を説明するのに十二分すぎるほど期間は分かっていた。英語でも他社で繰り返し説明したので、ファイアやメラを詠唱する程度には簡単に感じる。

「落ち着いたらビールでも飲みましょう。」

愛想笑いを返しつつ、2人でエレベーターに乗り込みオフィスに戻る。自分が意外とショックを受けたことに驚いた。前職では自分の部下のPerformance Improvement Planを管理職として実施したこともあったし、その前の会社で出向先の会社から人件費削減のために本社に戻されてクビもどきの措置をくらったこともある。なんなら、「首になったことも、したこともある、というのが自分の変わったところです」と気心知れた同僚に自嘲し懺悔したことすらある。にもかかわらず、ショックを受けている自分がいる。

エレベーターのなかでは、引継ぎ相手のことなどを軽く上司と事務的に話した。なにかで時間を埋めないと間がもたなかった。

自席に帰ったが、すぐ席をたった。トイレに行くふりをしてコンビニに向かう。特に買うものもないのでローソン店内を一周してまた外に出る。それっぽく夜空を見上げる。特に何も見えない。強い衝撃から一拍おいたので、感傷が湧いてくることを期待した。が、そうでもない。上司の最後のビールのくだりのサイコパス感を責める資格はわたくしにはなさそうである。

並行して進めていた転職活動の状況を、事務的に思い起こす。意外とまだ時間がかかりそうだ。見込みのありそうな1社が6次面接まで進んでいたがそれ以外はまだ時間がかかりそうだ。次の転職先が決まる前にクビを宣告されるとは間に合わなかったかぁと少し残念に思う。すると情緒的な怒りが衝動的かつ主観的に湧いた。

短い時間の間に、感情が急に出てきたり、引っ込んだりしていることを考えるとどうやらわたくしは混乱しているのが正しいようだ。

週末

人事との退職面談のためにとりあえず準備をせねばならない。仕事柄調べて喋ることを準備するのは慣れている。興味を持てない広告案件のパートナーでの提案で適当なプレゼン資料を作ってそういえばあの上司を怒らせたことがあったが、まぁ今回はさすがに我が事だ。準備に自然と熱も入る。

Kindleで退職推奨の会社側の視点で書かれたことを読んで最新状況を頭に入れる。前回PIPの研修や準備をしたのは3年ほど前だ。判例で新しいものが出ていたりするといけないので、極力出版年が新しいもので実践的かつ具体的な事例が乗っているものと基本的なアウトラインがわかるものを購入した。ネットで弁護士事務所の解説ページなどはざっと読んでいたので、それを頭に整理するためと、最新の事例を頭に入れて対策を考えるためだ。

まず、概要本のまとめを紙にまとめて要旨をつくった。これはメモなしで交渉するであろうことを踏まえ、用語を頭に叩き込むためだ。

次に事例を集めた書籍をざっと読んだ。ここでは自分と同じようなケースを特に探して参考にするのが狙いだった。が、意外と自分よりすごいケースが多すぎたり、知的好奇心をそそられすぎて、横道にそれすぎた。------例えば

  • 部下の女性に「この中でだれがタイプか言え、言わないと犯すぞ」と宴会でセクハラ発言をした管理職が解雇

  • 鉄道会社社員が女子中学生に痴漢行為をして解雇

  • エンジニアが出向先の企業で自分の副業の派遣業に精をだして会社メールの私的利用などで解雇

  • 鉄道運転士が上司の注意にぶち切れて暴行し全治一週間の打撲を負わせ解雇

などなど、このようなケースですら、解雇は無効とされ、会社側から見ると解雇権濫用法理という不条理な壁にぶちあたっている。わたくしのケースは程度で言うと普通すぎるようだ。つまり、上司をなぐってもいないし、会社の資産を横領してないし、痴漢などで刑法に触れて略式起訴もされていない。極端な判例を読んでいると、自分が善良すぎる小市民すぎてなんだか気恥ずかしさすら覚えるレベルのすごさである。

判例の積み重ねという前例主義が終身雇用が長かった国で運用されると解雇権乱用の法理という鉄則めいたことになったようだ。

そして最後に違う著者の書籍を数冊流し読みする。違う角度や見方で正反対の箇所があったりするとまずいなと思ったのが読んだ理由だ。が、概ね趣旨は違わないようだ。

ざっくり次のようなことがわかったし、確信がもてた。

  1. 労働基準法そのものは欧州と比べると緩いが、判例の積み重ねのなかで解雇権濫用法理が確立されて雇用主が従業員を解雇するのは日本ではかなり難しい。(前述のようなケースでさえ解雇が無効になっている凡例がある)

  2. 解雇された従業員に解雇が無効だと訴訟されたりすると負ける可能性がある上に、解雇が無効とされると形式上当該従業員を復帰させて、解雇した時から無効とされた時までの賃金を払う必要がある。これをバックペイという。

  3. しかも、バックペイに加え、和解金が半年から1年程度上乗せすることもある

  4. 整理解雇4要件を今回のリストラは満たしていない

  5. 整理解雇ではなく、わたくしの能力不足を理由にして、クビにするにしてもPerformance Improvement Planをやっていない

  6. 整理解雇で仮に会社側がやりたいのであれば、(日本に支社を構えて長いGAFAM各社のように、)1年分くらいの退職金を積んで早期退職を募るのが王道。(裁判になって解雇が無効になると、どうせ会社としては1年かそれ以上裁判中の給与を後払いで従業員に払うことになる。このバックペイを考慮して揉めずに前払いで払って時間を優先させて早く辞めてもらうのが早期退職の良さ。会社の評判が必要以上に下がらないというメリットも大きい。)

知的好奇心とクビを宣告された衝動的な感情が入り混じって無限に時間を浪費しそうだ。が、翌週にオンラインでUS本社の会社と早朝面接が入っていることを思い出して、切りのいいところで切り上げた。

さて来週はどう交渉しようか。

次へ続く


参考

問題社員の正しい辞めさせ方 単行本(ソフトカバー) – 2021/4/10 新田 龍 (著), 安田 隆彦 (監修), 野崎 大輔 (監修)
問題社員トラブル円満解決の実践的手法 訴訟発展リスクを9割減らせる退職勧奨の進め方 単行本 – 2021/10/22 弁護士 西川暢春 (著)
社長、辞めた社員から内容証明が届いています ── 「条文ゼロ」でわかる労働問題解決法 単行本 – 2018/10/16 島田直行 (著)
会社のやってはいけない! ~良い人材が辞めない人事のしくみ~ 内海正人 (著)
社長も知らない「モンスター社員・問題社員の解雇のルール」 弁護士 西川暢春 (著)

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