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【ゆる日記。#13】リウマチ娘と母の話。<ほぼ毎日更新>

<ほぼ毎日更新>のタイトル、そろそろ外してしまおうか… 。と言いたくなるほど、毎日更新ができなくなっています。なんてことだ。

でも毎日やりたいんだよ〜。
もともと「日記(note)すら毎日更新する余裕なかったら、仕事なんて受注できないんだよ??」と自分を試す意味で始めたこともあり、ここで諦めるのは悔しいのよ。頑固なんです。笑



といきなり余談からのスタートになってしまいましたが、今回は

【リウマチ娘と母の話。】
と題しまして、私の母のお話をちょこっと。


▼病気について触れた過去記事はこちらです(^^)


では 早速本題に入りますが、



■じつは母も、リウマチになりました。

私がリウマチと診断された約6年後、母もリウマチになってしまいました。

この病気、何度でも言いますが発症原因は不明。何らかの原因で、自己免疫が誤作動を起こしているのですから。必ず遺伝するような病気では、ありません。

私自身、当時中学2年生のころに受けた イジメ のストレスが引き金となり、発症しています。


とはいえ 親子でリウマチになってしまったもんだから、周囲からすれば“遺伝病”のように感じてしまうのも、仕方ないと思います。
でも、遺伝ではない。「体質や不調の現れ方が親子で似ていた」という、ただそれだけの話だと思っています。

母がリウマチを患ったのは、私が看護師を辞める決心をした年。退職の1ヶ月ほど前でした。

■母が病気になったのは、私のせい?

ズタボロな看護師時代

看護の専攻科を卒業後、地元を離れて神奈川にある病院へ入職した私。地域医療支援病院に認定されており、地域の中核病院として急性期医療を担う、まぁまぁ大きな病院です。

結局体調を崩し、わずか1年ほどで退職することになったのですが、退職までにいろいろなことがありました。

“体調を崩した” と言いましたが、その大きな理由はリウマチ

・朝起きて身体が動かない、起きられない
・出勤できたけど、手や肩が痛くて動かせない
・関節の炎症にともなう発熱、強い倦怠感

リウマチによる症状で出勤できない、かろうじて出勤できても使い物にならないので早退、手や腕に症状があれば繊細な業務(注射など)は困難なので他スタッフに代わってもらう

など、上司や先輩・同期に頭を下げまくる日々。

いつしか心までズタボロになってしまい、自宅で急に泣けてきたり、過呼吸を起こしたり、自分の存在価値を否定してしまう日々が続いてしまいました。

「新人のくせに、休みが多すぎ!」
「病気だからって甘えてんなよ!」
「気合い入れて頑張れば、仕事できるだろ?」
「看護技術に自信がないからって、どうせズル休みだろ?」
「どうせ仕事から逃げてるんだろ?」
「奨学金借りてるんだから、ちゃんと働け!」

と 自己否定 や 自分責め が始まり、そのうち

「あぁ…どんどん同期から遅れていく…。」
「同期はこんなにできるのに、私は…。」
「私が行ったところで、何も役に立てないし…。」
「なんか、上司や先輩に気を遣わせてる気がする…。」
「担当の指導ナースに申し訳ない…。」
「私はこの仕事に向いていない。看護師になるべきではない…。」
「奨学生だし、契約の期間は意地でも働かなきゃ…。」

と勝手に自信をなくし、どんどん落ち込む負のループ。

今思い返しても、とてもツラかったです。

入職半年後には、家族からの連絡も無視してしまうほど、ただひたすらに孤独を感じていました。連絡に反応する気力すらも、残ってなかったのかもしれません。


母に最大級の心配をかけたあの日

そんなある日、ふとスマホを手にとって見ると、母からの鬼着信。と メール。

「あぁ、そういや全然連絡に出てないな」と思い 電話をかけ直すと、心なしか声を震わせた母が「…もしもし」と。

恐る恐る、でもかなり慌てた?焦った?ような声色で、電話に出ました。


「電話したー?なにー?」
そんな調子で、話しかけたと思います。


「なに じゃないよ!全然電話に出ないし メールも返さないし、心配してたんだよ!もしかしたら…って。ずっと心配してたのよ!」

と。


私が思うように出勤できずにいたこと、そのことでどんどんストレスを抱えてメンタルも不安定になっていたこと、奨学金を借りているから辞める選択肢がないと思っていること ───。

それらをすべて分かっていた母は、私が心まで限界に病んでしまって、自らこの世を去ってしまったのでは?と、最悪のシナリオを考えてしまっていたというのです。



「いや、そんなことしないし。ただ体調悪くて寝てただけ。大丈夫よ」

(なんて返事したけど、一ミリくらいは考えてしまった瞬間がありました。今だから言えますが。)

そんな会話をしたことを、今でも鮮明に覚えています。


親の泣きそうな声や焦る声って、怖いくらいに子どもの記憶に残るんですね。「こんなに心配させてしまったんだ…」と、ものすごく胸が苦しくなったことも、ハッキリと覚えています。


そこから約半年後、家族・親戚の助けもあって退職を決意することになるのですが、すべてを書くと長くなるので、今回その話については割愛させてください。


そして、退職する1ヶ月ほど前の話

退職する意思を病院に伝え、家族にも報告。同期にもお別れを言ってまわり、いったん実家に戻るので引越し準備も少しずつ始めたころ。

母から1本のメールが入りました。

ママもリウマチになっちゃった!」と。

離れたところに住んでいるとはいえ、自分のことばかりで、母の体調の変化にまったく気づいていませんでした。それどころか私の心配をさせていた。


・・・いや、待てよ。
母がリウマチになったのって、私が原因では?

私がイジメのストレスで発症したように、母にとっては “私がストレス” となって発症したんだ。

私がたくさん心配かけて、挙げ句の果てには看護師を辞めることになった。そのストレスが、母を病気にしてしまったのでは?

そうだよ、、絶対にそうだ。どうしよう、どうしよう…。


─── 自分自身をとても責めました。あまりにも申し訳なくて、ずっとずっと泣いていました。ごめんなさい、ごめんなさい、、、と。

このときの心の声は、母に伝えたことはありません。もちろん今もです。伝えたところで「そんなわけないよ!関係ない」と優しく返されるのが、安易に想像できるから。

それどころか「娘にそんなことを思わせてしまった…」と、また心配をかけてしまうと思ったから。


そんな私をよそに、母のメールは続きます。

ママがリウマチになったのは「娘のツラさをちゃんと分かりなさい!」って、神様からのメッセージだと思うの!

あなたが学生でまだ実家にいた頃、手が痛くてお箸が持てない…って泣いたことがあったけど、「そんなバカな。お箸が持てないわけがないでしょ。大袈裟なんだから。」って思ってた。

でも今自分もリウマチになって、本当にお箸が持てないんだもん!びっくり!

あのとき、あなたの痛みを信じてあげられなくて、理解できなくて、本当に悪かったなーって感じてる。リウマチって、こんなに痛いんだね。

自分の娘と同じ病気になれて、このツラさを理解できて、ママ本当によかった!

─── 今思い出しても、泣けてしまいます。

自分が病気になったのは神様からのメッセージ
あなたのツラさを理解することができて、病気になれて本当によかった

こんな言葉が出てくるって、母親ってなんて強いんだろう。凄すぎる。病気に弱音を吐くどころか、神様に感謝しちゃってんじゃん!なんじゃそりゃ!?

心の底から、そう思いました。
なんでそうなるの!?」と。笑


しばらくは自分を責めてしまう時期が続きましたが、母の前向きな姿を見ているうちに私も「一緒に治療がんばろう!」「痛いよね〜って共感できる相手ができてよかった!」と、少しだけ前を向けるようになりました。



私はどれだけの試練が与えられてもがんばります。だからお願いです。どうかこれ以上、母の病状を悪化させることだけは、この先絶対にやめてください。

と、私がこっそり神様にお願いしていることは、これまた母には一生秘密です。(^^)


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