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両親の愛情が僕のエンジン

親の寛大な判断のありがたみに気づいたのは、30歳手前ぐらいです。

自分の会社経営で暮らしていけると少し気持ちに余裕ができて、やっと親の気持ちに感謝できる余裕ができました。

両親はともに小学校の先生をしていて、小さい頃から「ああしろ、こうしろ」と言われた記憶があまりありません。
当時、父も母も学校の生徒たちで手一杯で、その分、自由に育てられました。

父は変わり者でした。どこに行っても誰にでも声をかけて友達になる人で、子供の頃は、父親と一緒に出かけるのがいつも恥ずかしいと感じてました。
創業後も、父はたまに短パン、ランニング、麦わら帽子姿で会社に来ては、当時のメンバーに飴を配って、「真樹をよろしくな」と声をかけてはさっさと帰っていきました。
いつの間にか僕の名刺の束を持って帰って、誰彼構わず「息子をよろしく」と名刺を配っていたようで、おかげで時々全く知らない人から電話がかかって来たのには閉口しました。
思い出話には困らない人でした。

11年前、父は69歳、ガンで亡くなりました。

亡くなって初めて、「先生」としての父について知りました。
葬儀の後、何年経っても父の教え子が実家にやってきては、僕に「甲斐先生に会えたから今の自分がある」と親父の思い出を語ってくれました。
父の教え子の方々のお話から、親父はいい先生だったんだと亡くなってから知りました。

母は寛大な人です。変わり者の父と長年連れ添い、また、社会性のない息子をいつも応援してくれてます。
70歳を超えても近所の子供たちを集めては、寺小屋と言って英語や料理を教えてます。
いつまでも、ほどほどに仕事をしながら、健康で長生きしてもらいたいと思ってます。

両親の応援があって、今、こうやって経営者という仕事に携わることができたと思ってます。

父と生まれて間もない私


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