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人生がいつも楽しいのは仲間のおかげ

創業メンバーには恵まれました。
とにかく笑ったし、楽しかった。

京都リサーチパークが本社の頃のメインメンバーは木村君や島田君や曽利さんです。みんな、真っ正直に生きてる面々で、互いにカッコつける必要もない、気持ちの良いメンバーでした。

木村君は、大学のサークルの後輩です。大学2年生の時、成り行きで潰れかかった公認団体の映画制作サークルを立て直すことになりました。
再建の一年目、僕が3年生の春に新入部員の勧誘をした時、最初に加入してくれたのが木村君です。

左が木村くん

まさか、その縁がきっかけでその後一緒に会社を経営することになるとは想像もしてませんでした笑。
僕がインターネットで仕事をすると決めた時、木村君がMacを持ってると思い出して、すぐに連絡をとって一緒に大阪の日本橋の電気街へモデムを買いに行きました。
いきなり八尾の家に押し入られ、インターネットはすごいぞと一方的に語られ、モデムまで買わされ、怪しいとも言える勧誘で、再度メンバーになってもらいました。
木村君にはその後副社長を担当してもらい、彼なくしてイー・エージェンシーの基礎は築けなかったと思います。

島田君は、大学時代のアルバイト先のスタッフでした。
蛸薬師通りのビブレ21の雑貨屋で、僕がカバン屋で島田君は時計屋でした。
島田君はかなり無口な人間で彼から声をかけてくることはまずありません。
休憩室で二人になった時にさすがに気まずいので、働いて一年ぐらいして、「仕事のあとご飯食べに行こうか」と誘いました。その時何を話したか覚えてませんが、それからはよく話をする仲になりました。
食事の後、会計の時に僕が財布を忘れてることに気づき、島田君に勘定を頼んだことは、今でも島田君から指摘されます。

曽利さんは、リクルートのアントレという雑誌の営業で、まだ珍しかったITベンチャー企業への取材という形で知り合いました。
僕の取材を通じて、インターネットに興味が湧いたようで、後日、曽利さんから当社に入りたいと連絡がありました。
島田君も木村君も性格的に営業を率先してするタイプではなかったので、これは幸いだと、曽利さんに入社してもらいました。
リクルートの営業ということだったんですが、入ってみると、かなり不器用な人間で、よくお客さんと喧嘩してました笑。
喧嘩と言っても、お客さんへの熱い思いでの喧嘩だったんで、喧嘩が済めば以前よりも関係が深くなるという。
こんな営業もあるんだなと、よく感心してました。

木村君、島田君、曽利さんに加え、彼らの友人、知人たちも続々とメンバーになりました。
まぁ来る人来る人、人間として面白い面々ばかりでした。

経営が何もわからない創業期の辛い時、大笑いして乗り越えられたのは、彼らの素晴らしい人間性のおかげだなと思います。


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