【22】着物記者歴30年のライターも驚く「究極のきもの」とは? 染め織り篇①
「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト!
《私たちのシルクロード》
第22回 染め織り篇①糸との対話
お蚕さんから糸を作り、染めて織って着物に仕上げる――この全工程をレポートする「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクトです。
それは「私たちのシルクロード」。
前回「糸づくり篇」⑥では、中島愛さんによる精練(せいれん)が終了し、座繰(ざぐ)り糸は染め織り担当の吉田美保子さんに託されました。今回から「染め織り篇」、《私たちのシルクロード》もいよいよ佳境に入ります。
■「ようこそ染織吉田(そめおりよしだ)へ」
2021年4月1日から本連載が始まって、2ヶ月がたとうとしています。その間、大変多くの方にご高覧いただき、メンバー一同心から感謝しております。そんな方々には、上の写真、懐かしいでしょう? どこかで見ましたね。覚えていらっしゃいますでしょうか?
そうです。連載初回、1枚目の写真がこれでした。思わせぶりに「これ何だと思います?」とご紹介した絹糸です。
熊本県は山鹿市で、慈しむように育てられたお蚕さんたちが結んだ繭(生繭:なままゆ)から、座繰りという手作業で一本の極細の糸を取り出し、合糸、撚糸、精練という加工を経て作り出された絹糸です。(第1回より)
2021年1月5日、糸づくりをしてくれた中島愛さんから糸を受け取った染め織り担当の吉田美保子さんは、抱きかかえるように神奈川県の「染織吉田」工房まで持ち帰りました。
吉田さんは、糸の感触を確かめ、見つめ、糸たちと語らう、静かなひとときを過ごしました。
下は、今回のプロジェクトの糸を説明する吉田さんを撮影した、2分ほどの動画です。動いている糸の美しさ、糸を操る手の動きは、動画だからこそ伝わります。(撮影は、吉田さんと同じく染織の道を歩まれている柳川千秋さん。写真家でもあり、染め織り篇の写真のうち、素敵な写真と動画は柳川さんの撮影、下手な写真は吉田さんの撮影、とは吉田さんの弁です。)
「この時点で、どのような養蚕が行われたのか把握していませんでしたが、大事に愛されてここまで来た糸であると感じました。キラキラと発散される美しさがあり、自分が扱えることを恐れ多くも有り難いと思うと同時に、緊張感で寿命が縮まるような身が引き締まる思いがしました」(安達の質問に対する吉田さんの返答。「染め織り篇」で、この枠内のコメントは以下同)
え、寿命が縮まる? あの底抜けに明るい(と、私が勝手に思っている)吉田さんが?
「これまでも国産の貴重な糸を糸屋さんで購入し、着物や帯を作ってきました。しかし今回のように繭から糸づくりまで把握できる糸を使うのは初めてでした。いえ、繭になる前のお蚕さんが誰に育てられ、何を食べてきたか、その桑はどこでどのように栽培されたか、その土壌まで把握できます。すべての過程で大事にされた糸なのに、私が失敗したら台無しになります。大事だから私も大事にしたいけれど、大事にしすぎて無難な作になってもいけない、そう思うと寿命が縮まりそうなほど緊張したのです」(吉田さん)
「蚕から糸、糸から着物」プロジェクトの、最終ランナーならではの責任感と緊張感。吉田さんは糸たちとの対話から、着物づくりのイメージを広げます。緯糸の写真も撮りました。
無垢な絹糸たち。吉田さんに染められ、織られるのを待っています。
光を宿したようなふっくらとした糸たちが、わずかに撚られているのが見て取れます。甘撚りですね。
下の写真は比較のため、吉田さんがサンプル用に持っている特に撚りが強い双糸(そうし:2本の糸を撚り合わせた糸)と一緒に撮ったもので、左が今回のプロジェクト糸、右が双糸。同じ絹糸でも表情はまったく違います。
緯糸を拡大鏡でのぞいてみました。下の写真です。
吉田さんは拡大鏡で見て、お蚕さんを感じました。お蚕さんが吐いたままの極細の糸が見えます。「このプリミティブな感じを大事にしたい」吉田さんはそう思いました。
お蚕さんが3、4日かけて首を振りながら8の字を書くようにゆるゆると吐いた、まっすぐでない自然な糸。
その個性を生かすよう、中島さんはゆっくり糸を繰り出しました。
中島さんが大切にされた「花井さんの繭の個性」、「生きている糸」。
本当に糸たちが息づいて、語りかけてくるようです。
吉田さんの思考を、共にしてみましょう。
「私だったら、この糸でどういう着物を作るかな」
どうぞ想像と創造をお楽しみください。
■対話を経て着物や帯を創る
熊本市に生まれた吉田美保子さんは、幼い頃から絵を描くのが好きだったといいます。幼稚園に絵の指導にいらした先生に師事し、中学時代まで習っていたそうです。石倉先生という女性の先生で、独創的な吉田さんの絵を認め、励ましてくれました。紫と黄色で背景を塗ったとき、お母様は心配したのですが、先生のお墨付きを得て、吉田さんは堂々と好きなように描くことに没頭できたのです。
子どもの頃好きだった絵本を聞いてみました。『いちごばたけのちいさなおばあさん』(福音館書店)ですって。それ知ってる!私も好きで、大人になってから子どものために買いました。イチゴ畑の地下に住む小さなおばあさんが赤い染料を手作りして、次々にイチゴの実を彩っていく物語です。
小さな女の子たちは甘いイチゴが大好きです。おばあさんの身体よりも大きいイチゴの実が赤く彩られていくのは、夢のようにときめく物語でした。吉田さんは、その「おばあさんになりたい」と思ったのですって。やはり幼少のみぎりからクリエイターの心を持っていらしたのですね。
好きな絵本を尋ねたのは、吉田さんが日頃書かれる文章や染織作品に「詩心」を感じていたからです。上の写真は右から時計回りに『いちごばたけのちいさなおばあさん』の絵本、2014年にいただいた吉田さんからの年賀状、吉田さんの裂を額装した「タブロー」。
小学生になってからの好きな本は『肥後の石工』(今西祐行著)だって。あー、やっぱりクリエイターですなあ。
熊本屈指の有名高校から美大に進学して絵画を学ぶも、「身のおきどころがない」と感じて中退。アルバイトして貯めたお金を使ってヨーロッパに向かいました。スコットランドをはじめとして各地を巡り、1年半後に帰国。故郷などで働きながら染織を学びつつ「ものづくりを生きる基本にしたい」と思い至り、様々な場で織りの修業にいそしみました。
多くの出会いと学びを経て2003年に「染織吉田」として独立。公募展などには出品せず、自身の価値観と、求めてくださるお客様に支えられてここまできました。着物や帯は、人が身にまとって初めて生きてくるもの――吉田さんのアートは、絵画ではなく染織で発揮されるようになるのですが、安達が立派だと思うのは、彼女が「染織で食べている」こと。つまり家族の収入に頼らず、自身の作品を売ることで生活している、まさしく「プロ」ということです。これは着物離れと言われる現代、並大抵のことではありません。
そんな吉田さんの制作は2本柱で成り立っています。1つは個展などで自身の作品を発表すること。もう1つは「ONLYONLY」というみずからのブランドで、完全誂えの制度です。これは2013年に始まりましたが、独立した当初から「こういうものが欲しい」というお客様の要望に応える形で、話を聞き、デザインを練り、糸を選んで染め、織り、注文主のために唯一無二の染織を行ってきた経緯がありました。
吉田さんの「詩心」は自由な作品制作で発揮されるのはもちろんですが、注文主との対話によって創作されるONLYONLYこそ、「読解力」と「詩心」が要求されます。
下の写真は、かつて吉田美保子さんが安達のためにONLYONLYで作ってくださった着物「Good morning,Koh!」です。私との対話のなかで、「私が好きなもの」からイメージを広げてデザインし、染め織りしてくださったものです。そのおかげで、私に似合い、私がいい人そうに見える気がしませんか? えへへ、かなり自慢コーナーになってしまいました。
でも、ただの自慢ではありませんよ。ここで言いたいのは、吉田さんがイメージを広げて着物を創作するのに素晴らしい才能をお持ちであるということです。そのために「いちごばたけ」から文字を費やしてきました。ふうっ。
アート畑で育った詩心のある吉田さんは、今回のプロジェクトで創作する着物を、どのようにデザインをして、染織に取りかかったのでしょうか。この無垢でふくよかで、ただひたすらに美しい絹糸たちは、どのような変貌を遂げて着物になってゆくのでしょう。
下は「染め織り篇、突入祝い」のおまけ写真です。
「ピンクポルカドット」と名付けられた吉田さん作の八寸帯(なごや帯)。ありそうで、なさそうな1点物。優しいのにポップな個性がある、洗練された帯でしょ。もっとご覧になりたい方は下のアドレスからお入りください。
毎週月、水、金曜にアップしている本連載。次回は6月2日(水)、糸との対話からどのように着物のデザインが行われたかをお伝えします。どうぞご期待ください。
*作品の問い合わせは、以下の「染織吉田」サイト内「お問い合わせとご相談」からお願いします。
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