この衣装に描かれているのは……? 各時代を沸かせた「地獄太夫」とは?
一目でただものではないとわかるこの女性。
重そうな簪(かんざし)、笄(こうがい)、櫛たちが小さな頭を彩っている。
細面な白い顔はややうつむけられ、白いうなじが覗く。
しかし一番目を引くのは彼女の美しさではなく、豪華絢爛な打掛に違いない。
だが、燃えるような赤色が目立つこの衣装に描かれているのは
「地獄」
である。
よくよくご覧いただければ、この赤色が文字通り地獄の炎であることが見て取れるはず。
他にも、肩のあたりには牛頭・馬頭が死人たちを運ぶ火車を引いていたり、裾の方にはお馴染みの針山が亡者を責めさいなんでいるのが分かる。
右下に描きそえられたしゃれこうべもおどろおどろしい雰囲気を煽る。
この絵画のタイトル「地獄太夫」。実は室町時代に存在した遊女なのだ。
一休さんの弟子だった!? 室町時代の「地獄太夫」とは?
地獄太夫の幼名は「乙星」。如意山中で賊に囚われるも、美しいがために遊里へ売られてしまったと言われている。
彼女はこうなった原因を、前世での行いが悪かったからだと考え、自ら「地獄」と名乗り、打掛にも地獄の様相を表したんだとか。
さて、彼女と一休宗純の出会いだ。
ある日、一休は地獄太夫の住まう堺(大阪)へとやってきた。
地獄太夫は彼がやってきていることを知り、一休へとある歌を送る。
「山居せば深山の奥に住めよかし ここは浮世のさかい近きに」
(山に住んでいるのなら、そこに住んでいるといいでしょう。ここは現世との境に近いところですよ)
山に住んでいるというのはすなわちお坊さんである一休のことで、彼女がいるのは遊里という地獄、現世との境だ。さらに、堺(地名)と境(境界線の意)もかかっている。
本来地獄とは無縁でなければならない一休に対しての警句ということもできる。
一休の返歌がこれだ。
「一休が身をば身ほどに思わねば 市も山家も同じ住処よ」
(自分が自身を何とも思わなければ、街であろうと山であろうと同じだ)
自身を何とも思わない、というのは禅宗でいう「空」の悟りだ。
色即是空の「空」である。
つまり、お坊さんである自分を咎めてきた地獄太夫に、大きなお世話だと返しているとも読める。
この歌を返すと、一休はこんな歌を詠んできたのは誰なんだと周りの者に尋ねた。
「あれが噂の地獄太夫です」という答えを聞き、一休はしみじみとこんな句を詠む。
「聞しより見ておそろしき地獄かな」
(聞いていたよりも恐ろしい地獄だな…)
地獄太夫はこれに返して、
「しにくる人のおちざるハなし」
(私と遊ぶ人で堕ちなかった人はいないわ)
とのこと。本来色とは無縁なはずのお坊さんにこの返し。
自信にあふれた、まさに花魁と呼んで差し支えない風格の返歌である。
私はこの返しが結構好きだ。
この後、二人は師弟関係を結んだとも言われているが、詳細は定かではない。
いやはや、この堂に入った女っぷりを見ると、「地獄太夫」と名乗ったこともPRの一環ではないかと思えてしまう。
華やかで晴れ晴れしい遊里で、地獄の擬人化みたいな女性が一人でもいたら逆にとても目立つはず。もしかすると彼女なりの戦略だったのかもしれない。
・この絵の本当のモデルとは……? 「小指を送りつける」原典!
この絵、タイトルは「地獄太夫」となっているが、本当のモデルは一休と知り合いの地獄太夫ではないそう。
室町時代の地獄太夫と混同されがちな、明治時代の遊女、「幻太夫」がモデルではないかと言われている。
幻太夫の特徴としては、「髪を紫の紐で結んでいること」と「切り下げ髪」(肩のあたりで切りそろえた髪のこと。結んでいる場合も下ろしている場合もある)がある。
絵をよくよく見てほしい。
額の上で紫の紐が結ばれているのが見えないだろうか。
この絵のモデルが幻太夫だと言われている所以だ。
さて、この幻太夫は所変わって根津の遊女である。
大松葉楼の遊女で、野ざらしの髑髏や抹香くさい打掛を羽織っていることで有名だった。
やはり地獄太夫の再来と言われていたらしい。
彼女は月岡芳年と懇ろな関係だったという噂もあるが、さらに強烈なエピソードがある。
ある夜、岩垣というお金持ちが楼閣に遊びにやって来た。じゃぶじゃぶとお金を使う男。いい太客になるとふんだのだろう。幻太夫は岩垣に猛アタックをかける。
会社や自宅に熱い手紙を送り、誘ったものの、彼は一向に応じてくれない。そこで彼女は、自分の小指を切り取り、会社に送り付けたそう。
ここまでやればさすがに来てくれるだろう、と思いきや全くの無反応。それどころかせっかく切り落とした小指は送り返されてきた。
そこで彼女は、自分の小指の葬式をあげようと思い立ち、豪華絢爛な衣装を身にまとった自分を先頭に、岩垣の家まで行列したそうだ。
果たしてそこで岩垣が絆されてくれたのかどうかは分からない。小指を送ってもダメなら、葬式をあげたところでダメだとは思うが、異様かつ美しい行列の様はきっといい宣伝になっただろう。
ところでこの岩垣と言う男、三菱の設立者、岩崎弥太郎の弟だったのではないかと言われている。「君子危うきに近寄らず」を地で行く対応に、さすがと言わざるを得ない。
さて、今回は能天気で楽しい世界に一輪だけ咲き誇る妖艶な花、「地獄太夫」と呼びならわされた女たちについて紹介した。他とは毛色の違う彼女らは、楼閣で人気を博したに違いない。
この世も楼閣と同じく、楽しくて明るいものだけではつまらない。このnoteでは、ちょっとダークで恐ろしい。でも触れずにはいられない、そんなストーリーや逸話実話を紹介していきたいと思う。
こんな話が知りたい、これを調べてほしい等のリクエストがあったら、ぜひコメントやTwitterで教えてほしい。
同じジャンルが好きな方々と交流できることをとても楽しみにしている。
・参考文献
「地獄太夫」橘小夢/画、昭和30年代、個人蔵
『魔性の女挿絵集 大正~昭和初期の文学に登場した妖艶な悪女たち』編著中村圭子、河出書房新社、2013年
『一休関東咄』http://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi
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